淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


8


 イルカの体ばかりか命までもが相手の手中にあると言う思いが、一晩中カカシの身を焼き続けた。 確かにそれらしい事を言われたが、彼らとて木の葉の忍。 冷静に考えれば同胞をこんなことで傷つけるなどと言う事は通常では有り得ない。 だがもし、彼らが異常な精神状態に陥っていたとしたら? 何かの術や毒にでもヤラれていたとしたら? 思考はどんどん悪い方へ傾き、どうしてこれほどと自分でもおかしくなるほどの焦燥感に苛まれた。 守らなければ、イルカを守らなければ、と言う強迫観念にも似た想いに気も狂わんばかりだった。


 明け方、一人の戦忍がイルカを抱いて現れた。 毛布に包まれたイルカは意識が無く、死んだようにその男に横抱きに抱えられていた。
「少し、無理をさせた。 悪かった」
 男はカカシにボソリとそう言うと、イルカを差し出してきた。 カカシは、怒りと嫉妬と後悔がドロドロに交じり合った殺気を放って男を睨んだが、男は怯むこともなくカカシに近付いてイルカを押し付けてきた。
「体を拭いて、手当てもしてある。 時間があるなら風呂にでも入れてやってくれ」
 それだけ言うと、男は踵を返してその場を去ろうとした。
「ちょっと待てっ」
 鋭く呼び止めてから、カカシはイルカをその場に置いて男に対して殺気を漲らせた。
「いったい何時までこんな事を続けるつもりなんだ?! どうしてこの人でなければならない?」
 男は足を止めはしたが、カカシに背中を向けたまま振り返ろうとしなかった。 カカシにこれだけ殺気を向けられても、殺されるとは露ほども思っていないかのようにその背を無防備にカカシに晒している。 気配を探っても、些かも戦闘の意思が感じられず、カカシの方が困惑するほどだった。
「悪いと思っている。 だが、その人でないとどうしてもダメなんだ。 判ってくれ。」
 男は少しだけ肩越しに振り返りカカシに告げた。
「あと三人なんだ」
「三人って、まだこの人を犯すつもりか?!」
「明後日には里を発つ。 それまでにあと三人、どうしても…」
 それだけ言うと、男はふっと姿を消した。

 イルカを抱いて、カカシは自宅へ戻った。 もうイルカを他の誰にも触らせるつもりはなかった。
「あと三人だって? 笑わせるな!」
 悪態を吐きながら乱暴に部屋のドアを蹴り開け、それでもイルカだけは壊れ物のようにそっと自分のベッドへ下ろす。 巻かれている毛布を剥ぐと、イルカは全裸だった。
「…っ」
 息を飲んでその白い体を見つめる。 情交の痕も生々しい肌に思わず手を這わせると、イルカがピクリと身動いた。
「……カカシ、先生」
「イルカ先生…」
 ぼーっとして状況を把握しきれないでいるらしいイルカの顔を見つめた後、顔を覆って溜息を吐く。 思っていた以上にイルカの事が心配で堪らなかったのだ、と今になって気づいた。 一晩中まんじりともせずにいたのだ。 体も疲労していたし、それ以上に精神的に限界だった。 それなのに、イルカは裸でカカシの目の前にいる事に気づくと、慌てて毛布を掴んで引き寄せベッドの上でできるだけカカシから距離を取った。
「あの、あの…、俺を、抱いてません、よね?」
「俺は意識のない人間を犯すような真似はしませんっ」
 思わずカッとして怒鳴ってしまう。 だがイルカはほっと安堵の吐息を漏らし、剰え「よかった…」と呟いた。
「イルカ先生っ」
 疲れた精神と混乱した頭は、カカシをこれ以上紳士でいさせるには脆弱すぎた。
「昨夜は何人に抱かれたんですか?」
 カカシはイルカに覆い被さって肩を両手で押さえつけると、低い声で問うた。
「答えて」
 顔を引き攣らせて硬直しているイルカに重ねて問う。
「…五人」
「…!」
 カカシは激情に任せてイルカの被っている毛布を引き剥がし、そのキスマークだらけの体に乱暴に手を這わせると噛み付くように首筋を吸い上げた。
「カっ カカシ先生っ だめっ」
「なんで!」
 その腹の上に馬乗りになったまま上着を脱ぎ捨てると、また覆い被さって体中に舌を這わせる。 イルカはこれ以上ないくらいに抵抗した。
「暴れるな! 五人とお楽しみのイルカ先生は、あと一人くらい増えたってどうってことないでしょう?!」
「!…」
 大きく目を見開きカカシを見つめるイルカの黒い瞳があまりに穢れが無さ過ぎて、これが毎夜男を迷わせ狂わせている体の持ち主なのかと疑いたくなった。 その黒瞳がみるみる潤み、眦に水滴を大きく盛り上がらせては溢れさせ、涙の跡を幾筋も頬に作っていく。 その様を間近で見せられては、カカシにそれ以上の無体を働く気力が無くなるのは否応もない事だった。
「ズルイですよ、イルカ先生…」
 泣き濡れるイルカに一応抗議の声を上げてはみたが、カカシはおとなしくイルカの上から退いて、イルカに毛布を掛け直した。
「ごめんなさい、もうしません。 これでも俺、すごく心配して昨夜から寝てないんですよ」
「ご…なさ… すみませ…」
 毛布の中で丸まってしゃくりあげるイルカも、切れ切れに謝罪の言葉を口にした。 その嗚咽の合間合間から、「愛している、愛している」とリンリンと鈴でも鳴るかのようにイルカの声が響いてくるのをはっきり感じる。 口には出さないその愛の囁きに耳を傾けている裡に、カカシは落ち着きを取り戻した。 そして、何が問題なのかも見えてきた。
「ねぇ、イルカ先生。 俺に理由を話して。 俺に助けてって言って。 それで俺の手を取って」
 毛布の上から丸まるイルカの背中を撫でてやる。 一昨日の晩にそうしてやったように。 ゆっくりゆっくり優しく撫で続けていると、イルカはごそりと起き上がり毛布から顔だけ覗かせてカカシを見た。 そしてポツリと呟いた。
「訳を、お話します。」

 イルカの話は、信じられないものだった。




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