淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


6


 目覚めた時、己の腕の中で眠る愛しい者を見る幸せ。

 カカシは、そのあどけない無防備な寝顔をじっと眺めた。 今イルカは自分を拒まない。 欲を言えば、情事の翌朝だったらもっとよかったのに、と思ったりもした。 目覚めればイルカはまた自分を拒むだろう。 こうして腕の中にいてくれるのも、あとほんの僅かの間だけだ、そう思うと堪らなくなって綻んだような唇に吸い寄せられたその時、イルカが目を開けた。
「おはよう」
 お互いの唇があとほんの数センチで触れ合う距離で、カカシは囁いた。
「お… おは…」
 イルカの口が僅かに空間を作った。 その瞬間、カカシは一切の事を忘れてその唇に接吻けていた。 イルカは一瞬硬直した後、猛烈に暴れ出した。 その肩を押さえ、手首を握り、体全体で跳ねる体を押さえつける。
「んっ んあっ や、やめっ」
 イルカは拒絶の言葉を叫びながら必死で抵抗してきた。 片手でその両手を一纏めに頭上に拘束すると、もう片方の手で左右にめちゃくちゃに振られる顎を掴み固定して、思う様その唇を味わう。 イルカの唇は経験したことのない甘美な味がすると思った。
「んっ んんっ」
 硬く喰いしばられた歯列を舐め開門を願うが、イルカは闇雲に首を振り全身て抵抗し続けた。
「このまま抱く」
「ダメです!」
「口、開けて」
「いやだっ」
 カカシは低い声で囁くように喋っていたが、頭の中は既に煮え滾っていた。 これでもかと横に背けられたイルカの顔に手を伸ばし、顎を掴んでぐっと力を篭める。 それでもイルカは歯を喰いしばった。 硬く目を閉じて眉を寄せる表情にカッとなりつつももう一方で、ダメだ失う、と怯えたような声がした。
「くそっ」
 汚い言葉を吐いて頭を一振りすると、カカシは力任せにイルカの口を抉じ開けて喰らいついた。 だが、口中に舌を差し入れようとした瞬間、ガリッと唇に熱いほどの痛みを覚えて体を仰け反らされる。 舌に鉄の味が広がった。 イルカを見ると、はっはっと肩で息をしながら瞠目してこちらを見上げている。 その口元に赤い物が見えた。 俺の血か、とどこか他人事のように思いながらカカシがイルカの口元を拭おうと手を伸ばした時、イルカは渾身の蹴りをカカシの鳩尾に入れて身を躍らせた。 そして転げ落ちるようにベッドから飛び降りると、部屋の隅まで這って行って蹲った。
「イルカ先生…」
 カカシは名を呼び、ギシリと音を立ててベッドを降りた。 昂揚していた気持ちはすっかり萎え、ショックでしばらく言葉も出なかった。
---この人は、あの部隊の者達に対しても、今くらい抵抗するのだろうか?
 それとも自分だけなのか。
 拒まれてからもイルカに会うと、腕を広げて纏わりつき「愛してる」と囁いて離れていく風のようなイルカの声を、自分ははっきり聞くことができていた。 だが、ここまで徹底して拒まれるとそれも自分の勝手な思い違いだったかと自信がなくなってくる。
「イルカ先生」
 もう一度呼びかけて近付こうとした時、イルカはくるりとカカシに向き直った。 肩を上下させるほど喘ぎながら、その手に握られていたのはクナイだった。 それを自分の首筋に当てて、壁に背を貼り付けるようにしてカカシを仰ぎ見ているのだ。 乱れる呼吸に揺れる体がその切っ先を首に触れさせたのか、一筋赤い液体が既に首を伝っていた。
「こ、来ないで、くださ…」
「イルカ先生」
 カカシはベッドの前から足を動かすことができなくなった。 押さえ込むのは簡単だ。 だが、ここまで拒まれてどうせよと言うのか。 
 カカシは無言でイルカの家を出た。
 去り際、押し殺したようなイルカの嗚咽が聞こえた。




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