淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


5


 すっかりおとなしくなったイルカをベッドまで抱いて行き、勝手に箪笥を漁ってパジャマを探し出して着せた。 自分も一枚借りてもう一度風呂場へ行き、イルカには悪いと思ったが先程の彼をオカズに抜かせてもらう。 これは今晩一晩のイルカの身の安全のためだと言い訳をしながら、しかし妄想の中では自分は乱暴にイルカを組み敷き、激しくその体を貫き掻き回し揺さぶって、これでもかと腰を打ちつけていた。 だが最も昂ぶりを感じたのは、イルカの唇を貪る自分を想像した時だった。 その口からあえかな喘ぎ声が漏れ、自分の名が紡がれた瞬間を想像した途端、熱い欲望の証が手に迸った。 上がる呼吸を収めつつ頭から水のシャワーを被って熱くなった体を冷やす。 だが、体の熱りは取れても昂ぶった気持ちはなかなか収まらなかった。 脱衣所の鏡に映った自分の顔は、まるで獲物を狙う猛禽類の目をしていた。 そんな自分の頬を自分で抓っていると、台所の方からカタンと音がして、弱々しいイルカの気配がしてきた。
「イルカ先生?」
 慌てて行ってみると、イルカが起き上がって流しに凭れている。
「水を」
 カカシを見ると少しピクリとしながらもイルカは片手に持ったコップを上げて見せた。
「起きて平気なんですか?」
「はい」
 イルカは向き直ってカカシを真っ直ぐ見つめてきた。
「あの、今日はたいへんお世話になりました。 助かりました。」
 ありがとうございました、と頭を下げられ頬を掻く。 ここ最近、こんな殊勝なことを言われた例がなかった。 イルカは、カカシが告白した最初の時から、カカシに対して冷たい態度を取り続けていたからだ。


 イルカを求めた時、彼は激しく動揺した。 そして拒んだ。 ただ拒むだけでなくこの世の終りのような顔をされたのだった。 そんなに嫌われてしまったのだろうかと、カカシは性急過ぎた求愛を少々後悔した。 が、実を言えばカカシはイルカに拒まれるとは全く思っていなかったのだ。
 下忍達を介して互いに面識を持つ前から、イルカの事は知っていた。 だが特に意識するほどの興味は無く、知り合った後も緩やかで穏やかな関係を築いてきてはいたが、唯それだけだった。 それがいつの頃からか、イルカの好意を感じるようになった。 最初はただの憧れの勝ったものと思っていた。 ”車輪眼のカカシ”にはよくあることだったからだ。 だがイルカのそれは、広い平原をどこまでもどこまでもただ風が渡っていくように掴みどころがないにも拘らず、耳を澄ませば「愛している」と其処此処から聞こえてくる、そんな包み込まれるような感覚に浸されるような愛だった。 カカシはその声を聞き続け、なのに当の本人からは何のモーションも掛けられないギャップに、いつしか苛々している自分に気付いた。 そして、彼の口から直にその言葉を聞きたいと強く望み始めた。 腹が決まるとカカシは行動を迷わない性質だった。 だから直ぐに決めたのだ。 髪を煽る風のように「愛している」と囁いては、何も求めず通り過ぎていく彼をこの手で捕まえて、面と向かって自分にはっきり「愛している」と言わせようと。 彼がそれを口にしたら、目も眩むような愛を彼に教えようと。 そんな風に何も求めず口に出しもせず、ただ真綿で包むような遣り方ではなく、互いを貪りあい毟りあい、最後には与えあって満たしあう、そんな愛を彼に教え、その愛で溺れさせて雁字搦めに縛り捕らえてしまおうと思い決めた。 イルカには、どこかそんな風に人を加虐的にさせる雰囲気があった。
 拒絶された今でも、その声はまだ依然としてイルカから響いてくるのを感じる。 だから今NOと言われても、最終的にはYESと言わせる自信があった。 あったのだが…。


「それで、俺はもう平気なんで、今夜はお帰りください。 寝具が一式しか無いので」
「いえ、あなたと一緒でいいですよ」
 ちょっと元気になるともう拒まれる、とカカシは溜息混じりに返事をした。 そう彼は、カカシが口説いても口説いても、その度に絶望したような表情をして、今もカカシを拒み続けている。 不特定多数に嬲られ続けるという極限の状況にあっても尚、誰の手も取らず、一人で耐え続けている。
「で、でも、普通のシングルですし、狭いですし」
 拒むイルカを見て考える。 力で手に入れるのは簡単なのだ、と。
「あなたを抱いて眠ります」
「だ、だ…」
「抱かないって?」
 ちょっとした意地悪のつもりで言った言葉に狼狽するイルカが可愛かった。
「セックスしない、というつもりで抱かないと言いました。 でも抱き締めて寝るくらいはいいでしょう?」
「だ、だめですっ」
 カカシがそう言って一歩踏み出すと、ふるふるっと頭を振りながらイルカはじりりと後退した。
「じゃあ、その辺でゴロ寝します」
「そんなの、ダメです、俺がしますから」
「具合の悪い人にそんな事させられません」
「もう、もう平気ですからっ」
 一歩また一歩と近付きながらイルカを追い詰める。 イルカは台所の端に追い詰められて、喘ぐように答えながら頻りに頭を振った。 きっと頭を振りすぎて眩暈がしたのだろう。 いきなりその場にへたりこんだ。
「じゃあ、セックスして眠りましょうか?」
「いいえ、いいえ…」
 覆い被さるように屈んで追い討ちを掛けると、両手で顔を覆って更に頭を振る。
「ほらほら、そんなに頭を振るからクラクラするんですよ」
 二の腕を掴むと、イルカはビクっと大きく震えて怯える目でカカシを仰ぎ見てきた。
「セックス、しますか?」
「いいえ」
 ふるふるとまた頭を振る。
「じゃあ俺に抱き締められて眠りますか?」
 今度は答えず、イルカはついにコクリと首を縦に振った。

 胸にすっぽりと収まった体は最初こそガチガチに固まっていたが、まだ湿って冷たい髪と丸まった背をゆっくりと撫でていると、やがて呆気ないほどくたりと弛緩した。 余程疲れているのだろう。 毎夜男に抱かれていたのだ。 それに今日は薬の影響もある。 風呂場で吐いた丸い物の正体が気になったが、おおよその見当はついていた。 おそらく紅が盛った薬だろう。 イルカは自分で後から解毒剤を飲んだのだ。 それが先に飲んだ毒の類を胃の中で集めて球状に形成し吐き出させたのだろう。 くノ一辺りが盛られた薬の成分分析用に開発した物なのだろうが、あのように激しい副作用がある薬は諸刃の剣だ。 イルカは盛られて直ぐにトイレに立った。 胃の中にある内は効果があるのだろうが、さすがに血中に吸収されてしまったものを取り出すのは不可能に思えた。 それなら敵が居る目の前か、そうでなくてもすぐ近くで飲まなければならない。 あんな風に行動不能になってしまうのは命取りだろうに、実戦で使われているのだろうか? それに何故イルカがそんな薬を常備していたのかも腑に落ちなかった。
 腕の中で静かに寝息をたてるイルカの顔を覗く。 半開きになった口元がいっそ幼いほどで、接吻けたい衝動に駆られるが、カカシはそれをぐっと堪えた。 二人でベッドに入った時に、キスだけならいいかと強請ったのだが、イルカはそれもきっぱりと拒んだ。
「まだ毒が移りますから」
 俺が寝入っても決してしないでくださいね、とまっすぐ目を覗き込まれて念を押されれば頷くしかなかった。
「移るような毒じゃないくせに」
 カカシは眠るイルカに恨めし気に囁くと、そっと唇に唇を寄せて触れるだけのキスをしようとした。 だがその時イルカがほんの僅か身動ぎ、ぽそりと何か寝言を言った。 カカシはそれを聞いてひとつ溜息を吐き、接吻けるのを諦めてそっとイルカを抱き締め直した。 イルカは寝言でカカシの名を呼んだのだった。

 外の気配は何時の間にか消えていた。 今夜は諦めたのだろう。 カカシもイルカの髪に顔を埋めるようにして目を閉じた。




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