淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


4


 荒い息。 汗の滲む肌。 ほつれる後れ毛。 時折上がる苦しげな呻き声。
 カカシは多大な努力をして忍耐した。
 倒れたイルカを抱えて中へ入り、冷や汗で濡れる忍服を脱がせると、肌のあちこちに濃いものから薄いものまで無数の鬱血の痕が広がっていた。 さすがに秘所までは検分する事は憚られたが、きちんと手当てをしているとは到底思えず、カカシはその発熱して熱る体を思わず抱き締めた。 発汗が意外に激しく、背を掻き抱く手も滑る。 ただタオルで拭おうかと考えていたカカシだったが、一旦イルカを寝かせると風呂の支度をした。 イルカの家は古かったが、どこも小ざっぱりと奇麗に整えられていた。
 湯の頃合を見てイルカを連れに行くと、イルカはベッドの端で丸まってガタガタと震えていた。
「イルカ先生」
「さむい…」
 名を呼ぶと、うわ言のようにイルカは呟いた。 額に手を宛がって驚く。 燃えるように熱い。 風呂は止めた方がいいだろうかと一瞬躊躇したが、先程の薬が気になった。 これは恐らくその副作用ではあるまいか。 発汗も解毒の一部なのだとすると、洗い流した方が良いように思えた。 カカシはまず自分が衣服を脱ぎ捨てると、イルカを抱いて風呂場へ行きそのまま湯船に浸かった。 「寒い」と繰り返し呟き自分の腕の中で震えるイルカは、しがみつく様にしておとなしく丸まっている。 肩口に押し付けられている頬が接触面の皮膚を焼くかの如く熱いのに、全身は蝋人形のように青白く血の気がなかった。 鳥肌まで立っている肩を湯にとっぷりと浸けるためにイルカの体を前向きに抱き直す。 両足の間に座らせるようにして自分の胸に寄り掛からせ、その頭を自分の肩に預けさせてから、カカシはやっとふぅと吐息を漏らした。 改めて風呂場を見回すと、湯気の向こうに小さな窓があり格子の隙間から夜空が見えた。 すぐ近くにまだ戦場の殺伐とした雰囲気を纏ったままの忍の気配が三つ、依然として存在している。
「三人か」
 青いイルカの顔を後ろから眺めながら考える。 いつも複数を相手にしているのだろうか。 あんなに凶暴な気配を発散させて、獲物を骨までしゃぶり尽くさねば収まらない興奮を抱えたままで、花街に行くでもなく毎夜毎夜イルカだけを貪っているのか。 何故なんだ? 何故イルカでなければならない? カカシは、イルカの二の腕と腰の両側にくっきりとした手形の痣を見止めて思わずギクリと体を強張らせた。 一人がイルカの腰を掴んで激しく前後に揺すぶると同時に、別の一人が腕を掴んでイルカの口を使って腰を振る様が容易に脳裏に浮かんでくる。 くっと低く唸り声さえ漏らして、カカシはイルカを抱く腕に力を篭めた。
「うっ うん」
 思わず篭めた腕の強さにか、それとも体が温まってきたからだろうか、イルカが腕の中で身動いだ。
「大丈夫ですか?」
 だがイルカはそれには答えず、苦しげにはっはっと浅く呼吸を繰り返し、二三度頭を振るようにして身を捩らせるとザバッっと浴槽から体を乗り出してそのまま嘔吐した。 ドドッとほとんど液体の吐瀉物を洗い場にぶちまけた後も、イルカは数度繰り返しえづいた。 そして大きく胃のあたりを痙攣させ、ぽろっと丸薬のような物を吐き出したのを最後に、ガクリと体を弛緩させて湯船の縁に凭れた。 カカシはイルカの背を撫で擦りながら腕を伸ばしてシャワーを引き寄せ、イルカの吐いた物を流しながらその丸い物体を拾い上げた。 イルカはまだはぁはぁと呼吸も浅かったが、大分落ち着いたように見えた。 手元と口元もシャワーで洗い、また抱き直して湯船に引き戻す。 イルカはまた「寒い」と小さな声で呟いた。

「ここは…」
 暫らくすると、イルカがやっと会話らしい言葉を口にした。
「あなたの家の風呂ですよ。 勝手に使わせてもらいました。」
 カカシはなるべく穏やかな声でイルカの後ろから返事をした。
「まだ寒いですか?」
「いえ、もう大分」
 答えながら、イルカは預けていた頭をカカシの肩から持ち上げた。
「カカシ先生」
「はい」
「ご迷惑を、おかけしました」
「……いえ」
 その他人行儀な物言いに、意識がはっきりしてくると早速これだ、とカカシは哀しくなった。 さっきまでは小さく丸まって自分の胸に収まっていたものを、と少し残念な気持ちにもなってくる。 だがイルカの具合が幾分かでも快方に向かっていることは確かで、それはほっとカカシの胸を撫で下ろさせもした。
「もう、出ます」
 イルカは今度はカカシの胸から体を起こし、湯船の縁に手を掛けた。
「もう少し、暖まったほうがいいですよ」
「いえ、今はなんだか、暑くって」
 切れ切れに言葉を発するイルカは、まだ喋る度に肩を上下に喘がせている。 だが肌にはほんのり赤みが差してきていた。 熱が取り敢えず収まったのだろう。 体を横にさせてやった方がいいのかもしれないと、カカシはイルカの脇と膝裏に腕を通して抱き上げた。
「そうですか。 じゃ上がりましょう」
「じ、自分で」
「ダメです」
 狼狽えたように身動ぐイルカを無視して、サッサと立ち上がって脱衣所まで抱えて行くと、そこに一旦下ろしてバスタオルを探した。
「その棚の扉を開けてみてください。」
 諦めたのか片手でカカシの肩に掴まるイルカに、天井近くに据え付けられた棚を指されるままそこを開けると、奇麗に畳まれたバスタオルが積み重ねられていた。 そこから2枚取り、まずイルカの体を拭こうとしてまた手を止められる。
「そのくらい自分でできます」
 だが、カカシが黙って手を離すと、イルカはその場によろりとへたりこんだ。 跪いてその手からタオルを取り上げ、カカシは黙々とイルカの体を拭いて、自分も簡単に雫を拭った。 先程から自分のモノは隆として猛っている。 それを隠そうとは思わなかった。 イルカは俯いて顔を背けていたが、心なしか項が赤くなっているような気がしてカカシは思わずその手を掴んだ。
「な、何ですか」
 ビクリと体を揺らしてイルカはカカシの顔を見上げてきた。 カカシは無言のままその手を自身に導いて、その怯えの混じる顔をヒタと見つめた。
「か、カカシ先生っ」
 体を強張らせて手を引こうとしたが幾らも力が出せないのか、イルカはされるがままにカカシを握らされて震えている。
「これが俺の気持ちです。」
 カカシは低い声で囁くようにイルカに宣告した。
「間違わないでください。 友情じゃない、肉欲を伴った恋情ですから」
 カカシに指を絡めたまま動かすことも出来ず、イルカはじっと下を向き目をぎゅっと瞑って、体を震わせていた。 また汗がその項を伝って流れていく。 自分自身にイルカの指を感じながらそれを見ていると、クラリとするほど欲情してくるのが自分でも判った。 これ以上は拙いと思いイルカの手を離すとサッと立ち上がって腰にタオルを巻く。 イルカは離された位置で空中に手を置いたまま暫らくカタカタと震えていた。 それ程体を強張らせていたのだという風に、ガクガクする体を自分の腕で掻き抱きながらイルカは振り絞ったような声を出した。
「もう帰って、ください」
「いいえ」
 胸の内は逆巻く嵐のようだったが、なるべく静かに否定の言葉を上から落とす。
「今晩は泊めてもらいますから」
「でも、今日はお相手は、無理、ですから」
 喘ぐようにイルカは言い募った。 そんなイルカにタオルを被せると、サッと横抱きに抱え上げる。 イルカはあっと声を上げた。
「今日は抱きませんって言ったでしょう」
 でも、外の連中にも抱かせないよ、とカカシは心の中で続けた。 イルカは体を硬く強張らせたままでカカシの腕の中で暴れた。
「下ろして、自分で歩けますから」
「黙って」
 自分で自分でと言うイルカにビシッと叱りつけるように言い含める。
「今日はおとなしく俺に看病されてなさい。 でないと俺だって何するかわかりませんよ」
「でも、でも今日は、抱かないって…」
「抱かなくても、あなただけ達かせて一晩中泣かせる事もできるんですよ?」
 イルカの目を見てニタリと嗤ってやると、イルカはピキッと頬を強張らせたが、やがてオズオズと腕をカカシの首に回して掴まり、やっと体の力を抜いたのだった。



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