淋しい兎は狼にその身を捧げ
- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -
3
よろよろと歩くイルカの半歩後ろを着いて歩く。 どちらも口を利かず互いを見ず、だがイルカの足取りが覚束なかったのでその重苦しい行進は酷く遅々としたものだった。 イルカはどんなに言ってもカカシの手を拒んだ。 一人で歩けると言い張った。 一人で帰ると言うのをやっとの事で送るのだけは折れさせたのだった。 結局イルカは誰の手も取らなかった。
「一人で帰りたいんですよ」
迷惑そうな顔を隠そうともせずイルカは言った。 だがカカシはめげなかった。
「俺が後で後悔したくないだけだから」
今晩ひとりで帰したら、家に着くまでに3回は物陰に連れ込まれてますよ、と言うのを堪えられたのはカカシにとって僥倖と言えた。 イルカはそれほど弱々しい気配を漂わせていたし、それがどこか艶っぽくもあった。
「どうしてそんな風に俺の後ろを歩くんですか」
イルカは物憂げに口を利いた。
「これが一番守りやすいから」
カカシはもう取り繕うことも止めて、イルカが一番嫌がりそうな言い方を構わずしていた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ… 皆殺気だってる。 帰還したばかりの戦忍を数人相手じゃ俺もちょっとね。 あなたを担いでスタコラ逃げるのが精一杯ですから」
「今だけ逃げても同じですから」
だがイルカは相変わらず迷惑そうに呟くばかりだった。
「家までお送りしますよ」
「あなたが帰れば同じです」
「では、今晩一晩一緒にいます」
「…」
イルカはちょっと足を止めてカカシを振り返った。 その顔はあれからずっと青白く、月の光に余計に死人のように見えた。
「具合はどうですか?」
「…平気です」
イルカはまた素っ気なく答えて歩き出した。 顔を前に戻す直前にはっきり苦しげに歪んだのをカカシは見たが、それが何を意味するのかは解らなかった。
「あなたは難しい人ですね」
取り繕うのを止めるとそんな感想も口を吐いて出てしまった。 イルカは少しクスリと笑ったようだった。
「めんどくさいでしょ。 放っておいてくださって構わないのに」
「いいえ、めんどくさくはありませんけど」
「…けど?」
初めてイルカに先を促されてカカシは少しだけ気持ちが浮き立つのを感じた。 そんな自分が可愛く哀れだった。
「けど、何です?」
カカシが答えないでいるとイルカがまた催促した。 その声音には少しばかりの苛つきが感じられた。
「いえ。 唯、解らないのは哀しいですね」
「そんなこと…!」
イルカの声が少し震えている。
「俺は見たまんまの人間です。 なんにも解らないところなんてありゃしません。」
「見た目のあなたと、見えないあなたは違う。」
「見えない俺は、ただのアバズレですよ」
「…」
カカシは黙るしかなかった。 泣いているのだろうか、と思った。 声は最後まで震えていたし、月明かりに頬が少し光っていた。
イルカの住まいは、里から随分と離れた古い平屋の一軒家で、両親と共に住んでいた物らしかった。 何本かの木が植わった小さな庭と低い垣、濃い灰色の瓦屋根とささくれだった木造の壁、玄関に続く飛び石、ぼんやりと薄明るい街灯。 どれをとっても古く暗く重苦しい印象ばかりの家だった。 イルカはずっとこの家で独りきりで暮らしてきたのだろうか。 自分もたいして変わりはなかったが、何故か淋しさはイルカの家の方が数段勝って見えた。
垣の端に設えられた低い門を潜るとき、チリっと何か違和感を覚えて立ち止まる。 結界の類か。 人間を拒む物ではないらしいが、意味の無い結界だ。 何故、毎夜訪れる暴漢共を排除するために張らないのか。 カカシが憮然として立ち尽くしていると、イルカから声が掛けられた。
「上がっていかれますか?」
イルカは玄関の柱に片手を掛けたまま、カカシの方へ僅かに体を振り向かせていた。
「はい」
自分が帰るのを待ち構えている気配が三つ。 カカシは帰るつもりなど最初からなかったし、今日は遠慮はしないと決めていたのでサッサとイルカの横を抜けて玄関の引き戸を潜った。 中は意外と広い土間のようになっていて、三和土が鉤型に囲っていた。 奥まで進んで履物を脱ごうとしたのだが、いつまで経っても戸を閉める音がしないので、カカシが訝って三和土の前で振り返ると、イルカは戸に凭れて外をぼーっと見ていた。
「俺を……、抱いていかれますか?」
イルカは外を向いたまままた問うた。
「いいえ」
外の者達に聞かせているのだと感じて、カカシは「はい」と答えた方がよいのかとも思ったが、やはり今日は嘘を吐く気になれなかった。
「でも、泊らせていただきます。」
そう付け加えておけば、まぁ押し入ってきたりはしないだろう。 カカシも少し大きめの声でイルカの向こう側に向けて答えた。 イルカはゆっくり中に入ると、引き戸を閉めて、そしてその場に崩れ落ちた。
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