淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


2


「イルカ先生、大丈夫ですか?」
 カカシは態とドアの外から声をかけ、気配には殺気を滲ませた。 中ではバタっガタンっと人が何かに躓くような音がして止んだ。 一呼吸置いてからドアを開けると、大柄な先程の上忍とイルカが狭い個室の外と中で睨み合っていた。 イルカの顔は蒼白で、室内に酸味のある臭いが残っていたことから吐いていた事が伺われた。
「邪魔しないでくれ」
 その上忍は、カカシを見ても怯まなかった。 目に真剣な光が宿っている。 カカシはその男が自分と同類であるのを感じ取って内心彼に同情したが、イルカを渡す気は更々無かった。
「その人はこちらの連れだ。 こっちで介抱するからアンタは行っていいよ」
「そういう事を言ってるんじゃない。 アンタこそ関係ないだろう。 行ってくれ」
 ”関係ない”と言われてカカシは顳をヒクつかせた。 イルカに言われた傷がまだ癒えていない事を自分で感じながらも、それでもまだイルカは自分の手を選ぶだろうと疑わなかった。
「イルカ先生、こっちへ」
 カカシが身を乗り出して手を差し延べると、その上忍もイルカに手を出した。
「イルカ、俺の家へ行こう」
 ”イルカ”だと?
 カカシはイルカを呼び捨てにする男を改めてマジマジと観察した。 男は、自分達と同年代くらいで背も体格も若干だがカカシより大きかった。 イルカの横で心底心配そうな顔をしていると、まるで似合いの恋人同士のように見えてカカシは苛々と再びイルカを呼んだ。
「イルカ先生、行きましょう」
 だがその時、イルカが急に座り込んで便器を抱え込んでえづき出した。
「イルカ先生っ」
「イルカっ」
 二人同時に声を出し、思わず顔を見合わせる。 相手もカカシの片方だけの瞳に自分と同じ色を読み取ったのか、益々眉間の皺を深くして入り口をその大柄な体で遮った。
「おいっ」
 カカシが些か声を大きくすると、ふっとイルカの気配に冷たいものが混じり二人とも後ろを振り向かされた。 イルカは口元を手の甲で拭いながらよろよろと立ち上がったところだった。
「口を濯ぎたいから」
「あ、ああ」
 男に向かってイルカが言うと、男は体を引いて洗面台の前を空けイルカの肩に手を置いた。
「大丈夫か、イルカ」
「今、触んないで」
 イルカの冷たい言い様にカカシまで心が凍える。 口を濯いで振り返ったイルカに、男はビクリと道を空けた。
「カカシ先生、今日はちょっと酒を過ごしてしまいました。 俺はもう帰りますから」
 イルカは入り口のカカシの前まで来ると、同じような表情のない顔でカカシにも道を開けさせた。 それでも出際に男を振り返ると「悪かったな、また今度」と言ってふらふらと出て行った。
 後に残されたカカシと男は、しばらく放心したようにその後姿を見送ったが、イルカの姿が見えなくなるとお互いを睨み合った。
「アンタはイルカ先生の何?」
「俺はアカデミーからの同期だ。 おまえこそ何だ。」
 一目でそうと判るだろう”車輪眼のカカシ”に対してそのように怯えも遠慮もない態度を取る人物は少ない。 無知なだけかもしれないが、カカシは少し彼に興味を持った。
「俺は今の同僚ってところかな」
「あんなになるまで何故飲ませた?」
 だが男の方は敵意を緩ませない。 怒気を発散させながらカカシを睨んでくる。
「いやアレは…、多分酒に酔ったんじゃない。 薬だな」
「アイツに薬なんか盛ってどうするつもりだったんだ!」
「いや俺達が盛ったんじゃなくて多分自分で…」
「…」
 黙ったところを見ると、男もイルカがそんな事をしそうだと思っているらしかった。
 そうだ、紅の薬の効果とは明らかに違う。 あんなに吐くなんていったい何を飲んだのだ。 アカデミーの机の中にそんな物騒な物を置いておくのか。 だがとにかく、こんな事をしている場合ではない、イルカを追わなくては、とカカシも戻ろうとすると男がカカシの肩を掴んだ。
「イルカは…、イルカを…頼む。」
「…」
 男の目には、自分にはどうにもできないという無力感が漂っていた。 俺も同じだよ、と口にこそしなかったが、カカシはただ頷いて男の肩を叩き、その場を離れた。





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