ウラジーミルは何時くるの?


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               第二夜


 その時、自分は衛星軌道上にいた。 右手に沈む太陽がまだ僅かに光を放っている。 蝕むように闇に覆われていく足下の大陸。 その内陸部の一点に、突然輝く光点が出現した。

---始まった

 そう思った。 光点は見ている間に金冠となり広がっていった。 金冠の回りを取り巻くように、大量の土砂が巻き上がっていくのが見える。 それらがクラウンの形を次第に拡大させながら、だがその速度は急速に落ちていった。

---あれが全て落ちるのだ

 全て落ちる。 初速の大きかったものは成層圏まで届くほど吹き飛ばされ、火の玉となって落ちていった。 ヒュルヒュルという落下音が幾つも幾つも幾つも…。 その時見えたそれは、まるで花のようだった。 金冠の中心にそれは一瞬だけ現れて消えた。 金色の花弁がフワッと綻ぶように広がったのだ。 花弁は9つあった。 だがあっと言う間にそれは消え、代わりにクラウンだった場所を更に数十キロ囲むようにして、地面に真っ赤な幾つもの光点が生まれた。 光点は外周から中心へ向かって一瞬にして円形の内部を埋め尽くしていく。

---いや、違う… 真ん中だけが暗い?

 最後の、最も熱量も大きく降り注ぐ火を纏った岩石も多いはずのその中心地は、だが抜けたように暗いままだった。 何かがそこを守っていた。


 気が付くと、森で泣いていた。 空は赤黒い雲がゴウゴウと猛烈な速さで流れ、木の葉上空をグルグルと巻いている。 まるで巨大な回る傘の下に入ったようだった。 雲のそこここでひっきりなしに爆発のような赤い閃きが起こり、その度に天空に轟音が轟いた。 森は、そこらじゅうが叫び声と呻き声と動物の吼える声でいっぱいで、肉の焦げる匂いと咽返る血の匂いに満ちていた。 吐きそうだった。 母を捜して森を彷徨う。 母は、知らない家で腹から血を流して死んでいた。 お腹が空っぽだった。 お父さんお父さんと泣き叫び、わたしは走った。 するといつの間にか父が傍に居た。 目が金色だった。

「それで、あたしに成人しろって言うの。 ちゃんと大人の名前をつけてあげるからって。 あたし、イルカのままがいいって泣いて怒った。 だってあたしが他の名前になっちゃったら、後でお母さんがあたしだって判らないかもしれないじゃない? そう言ったらお父さん、悲しそうな顔して判ったって言って、お父さんは行かなきゃいけないからあたしにできるだけ遠くに逃げなさいって言うの。 嫌だ、お父さんのバカ、お父さんなんか大嫌いだーって泣き喚いて、あたしは…」
「文子っ」

 千夏が叫んだ。

「もう眠るな」

               ・・・

 父の手を振り払い、森を走った。 走って走って、ふと立ち止まると、風の音に流されながら切れ切れに赤ん坊の泣き声が響いてきた。 それと何かを呼ぶ声。 人の声ではなかった。 何故か父の声だと思った。 アイツを呼んでいる。 アイツって誰だ?と思いながらも、頭を振って父の事を思考から追い出した。 母を捨て、自分を捨て、アイツを選んだ父など一生許すものか! だけれども目はその意思を裏切り、必死に父の姿を探した。 父は、高い杉の木のてっぺんに立っていた。 父が空に向かって何かを叫ぶと、その口からは自分には判らない音が紡がれた。 そしてそれに呼応するように、轟く咆哮が空気を震わせる。 それらの間隙を縫うように響く、劈くような赤子の泣き声。 低い詠唱。 巨大な鉤爪のついた獣の手が、遥か向こう側からこちらへ向かって地面を抉り木々を薙ぎ倒しながら迫ってきた。
「お父さんっ!」
 その手が木ごと父の身体を鷲掴み、空高くへと連れ去った。 赤い、赤い舌が一瞬、逆巻く嵐の中で閃き、父の身体が飲み込まれていった。 その一瞬後に、何かの術が発動するキィンという空気の裂ける音が聞こえ、九尾の妖狐はその頭の先から煙のようにある一点に吸い込まれていく。 そこには巨大な蟇蛙が居た。 血だらけだった。 今にも頽れそうに足を踏ん張っている。 だが力尽きたか妖狐が全て吸い込まれる前に、その巨大な身体はふっと掻き消えた。 宙を何かが落ちていく。 人影。 腕に何か抱いている。 身体を丸め、抱き込んで、妖狐の煙を引き摺りながら落ちていった。
「お…お父さんっ お父さんっ お父さーーんっ」
 叫ぶ喉が張り裂けそうに痛んだ。 だがイルカは叫び続けている。

---こんな記憶!

 わたしは右手でそれらを掴み毟り取り、左手で天の梁を掴んだ。





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