カカシ20景
04:雷切【必殺技】
「合格じゃないよ、イルカ。 なにがあっても死んだらダメだ。」
「うん、ごめん」
簡易マットレスとは言え草の褥ではないきちんとした寝床で体を休めることができ、一晩一緒に眠ることまでできた二人は早朝に抱き締めあったままとりとめもなく話した。
「ね? ”写輪眼のカカシ”ってカカシのこと?」
「そ。 知らなかったの? これが写輪眼だよ」
「そっか、そうだったんだ。 俺、本でしか見たことなくって。」
「”写輪眼のカカシ”も知らないの?」
「ごめん、俺知らなかった」
「ううん」
イルカが怪訝な顔をするくらい、知らないと言われてカカシは返って嬉しそうな顔してイルカを抱き締め直した。 カカシとしては、イルカがネームバリューに惹かれて自分に抱かれる事を選んだ訳ではないと判り、天にも昇る嬉しさだったのだが、それをイルカに言うほど愚かでもなかった。
「雷切も初めて見たよ。 すごいね!」
「ふふ、アレはね、”千鳥”っていう俺オリジナルの名が有るんだ。 鳥が鳴いてるみたいだったでしょ?」
「うん! 奇麗だった!」
「奇麗?」
カカシはまた笑った。 イルカはのんびりしている。 こんな戦場に居るのが不思議なくらい、忍であること自体がそぐわないと感じるくらい、一緒に居て安らぐ。 その魂が愛しい。 でも彼が忍でこの戦場に来てくれなかったら自分達は出会えなかった。 だからそのことに感謝した。 心から感謝するとともに、だが心から心配もしていた。 戦線が急速に拡大しつつあった。 後方支援であるこの部隊も、じきに最前線に投入されるだろう。 金で雇われる忍の部隊など、正規軍の指揮官にとっては消耗品も同義だ。 イルカには絶対に犬死はさせたくない。 もしかしたら自分の一言でイルカを里へ還せるかもしれない。 でも離したくない。 離れたくない。 技術面では大人顔負けだったが精神面ではまだ若く経験の足りないカカシは、これがジレンマだとも知らずにジンレマに苦しんだ。
「イルカ、実戦って経験したことあるの?」
「ううん、無い」
「やっぱり…」
幼い顔。 華奢な体。 チャクラも少ない。 こんなんで生き残れるだろうか。
「イルカ、里へ帰んなよ。 ここはもうすぐ戦場になる。」
「帰れるわけないだろ? 部隊とともに移動するんだから」
「俺が一言口利きしてあげるから」
「カカシ!」
真面目そうな顔が非難するようにキッとなる。 やっぱり気分を害したか。 でも俺だって…
「イルカ、俺は冗談でこんなこと言ってるんじゃないんだ。 アンタには生きてて欲しいって」
「それは俺が弱いからってこと?」
「そういうわけじゃ………、そうだよ」
「!」
悲しそうに顰められる眉根。 イルカを悲しませている。 そんなことしたくないのに。 でも事実は事実だ。 今度の戦いは激戦になる。 長く膠着していた戦線が一気に崩れて、今乱戦状態なのだ。 ずっとイルカの側に居てやれればいいんだけど、自分も勝手に行動する訳にはいかない。 俺は、冷たい屍になったイルカを見るのなんか絶対ご免だ。
「イルカ、お願いだから帰ってよ。 そうでないと俺、心配で戦えない。」
「カカシ…」
ふたりは初めて喧嘩をした。
・・・
殿。 退却する軍列の最後尾にあって、敵の追撃を防ぐこと。 また、その部隊名。
死の確率が最も高い部隊の名でもある。 忍は、作戦始動時には斥候を務め、戦線が膠着状態の時は爆破工作・トラップなどで数減らしを行い、乱戦時には遊撃部隊として撹乱を担当し、そしてやむなく退却する時は殿を任される。 正規軍が無駄に拘る”正々堂々”などという言葉は凡そ当て嵌まらない汚れ仕事ばかりだ。 そして、それによってどれだけ戦況が好転しようが全てが契約時に定められた金で購われ、褒章や叙勲などとも遠い位置に居る。 もちろん、他国の軍でのそれらが忍の者達にとっては何の意味も持たないのも真実だが、失敗すれば二度と依頼が来なくなる。 割りに合わない”仕事”だ。
事実、それらの”仕事”は、平面を這うだけの一般兵に比べれば、立体的に行動できトラップや術などを仕掛けながら戦える忍の者の方が格段に適しているに違いない。 だが、追っ手の尖兵もまた忍なのだ。 お互い金で雇われた同士が、人に出来うる最高水準の技と術を駆使して潰し合う。 そして、疲弊しきったところへ追っ手の本体が大群で押し寄せ、飲み込まれてしまうのだ。 ただでさえ少数精鋭の忍達のそんな死は、哀しく虚しい。 それを犬死と呼んで何が悪い?
イルカの居た部隊は後方支援の為のもので、新人中忍ばかりを多く擁した謂わば外地任務の研修用とでも言う位置づけのはずだった。 本来なら殿など任されるべき力など無かった。 だが、不幸にも急激な戦線の拡大と総崩れした自軍の立て直しに失敗した指揮官達は、敗走時に忍と見れば端から殿を申し付けて自分達はさっさと逃げてしまった。 遊撃隊として各所で活動していた暗部の隊から既に形勢危うしとの連絡を受け陣を退こうとしていた隊長は、殿の任受けるに能わずとそれを無視して撤退を指示するも間に合わず、敵忍の追撃に遭った。 新人中忍の殆どと、それを守ろうとした上忍達が命を落とした。 イルカも死力を尽くして抗戦したがとても敵う相手ではなかった。 元々敵忍と闘ったことも無ければ、相手を殺した事もないイルカには、到底無理な状況だった。 疲れ果て、仲間の屍と血の海の中、クナイを握る気力も失くして座り込む。 もうここまでかと諦観に身を任せようとしたその時、浮かんでくるのはカカシのことばかりだった。
『なにがあっても死んだらだめだ』
ごめん、カカシ。 俺には無理だった。 あの時喧嘩別れなんかしなければよかった。 最後にもう一回だけ、カカシと接吻けたかった。
『諦めるな、どんな時も諦めないで生き抜くんだ』
生き抜くって言っても、もう隊で生きてるのは自分だけだ。 みんな死んでしまった。 隊長さえ自分や仲間の新人中忍達を守って敵の刃に倒れた。 俺がここまで生き残れたのは、そんな隊長や他の上忍・先輩中忍達が命と引き換えにガードしてくれたお蔭と、その後はただ、ちょこまか逃げ回っていたからだ。 全然闘ってなんかいない。 俺には無理なんだ。 向いてない。
『イルカ、死ぬな』
カカシ
カカシ
カカシ…
「イルカーっ 死ぬなーっ」
その時聞こえた声は、自分が望むあまりに聞こえた幻聴だったのだろうか。 イルカは座り込んだまま小首を傾げた。 前方からは自分と同じ年くらいのただの兵卒と思しき敵兵が、ぼんやり座り込む自分を戦意喪失したと見て嗤う。 手には長刀が光っていた。 殺られる。 今度こそアイツに殺られて、俺もみんなの所へ…
「諦めるなーっ 立てーっ 立って闘えーっ」
イルカはハッとした。 やっぱり聞こえる。 カカシの声だ。
「クナイを持て、持って構えろ、構えて相手の剣を受けろーっ」
気が付いたら、握り締めたクナイと相手の刀がイルカの顔の数センチ前で火花を散らしていた。
「死ぬなー、生き延びろーっ」
相手を殺さなくていい、オマエが死ぬな。 うまく逃げて隠れろ。 這ってでも里へ辿り着け。 諦めるな。
「諦めるなーっ イルカーっ!」
「カカシーっ」
叫ぶと、また遠くで「イルカー」と呼び声が返った。 それにまた答えながら、突然抵抗を始めたことに焦った敵兵を払い除け突き飛ばすと、イルカは走り出した。 森の向こうに青い稲妻が光り柱立つ。
「カカシー、カカシーっ」
イルカはそちらの方向に声を枯らしてその名を呼んだが、もう答えは返らなかった。 代わりに敵兵に発見され、また囲まれそうになって踵を返す。
クナイを握れ。
握って構えろ。
構えて相手の剣を受けろ。
殺さなくていい、死ぬな。
諦めるな。
カカシの言葉を胸で繰り返しながら走った。 海野イルカ、16歳の初冬。 初めての戦闘と初めての敗走。 そして初めて命の瀬戸際に立たされた、ギリギリの体験だった。
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