イルカ38景


03:教え上手




「ぼくの父さんは”写輪眼のカカシ”だぞッ」

 我が子がそう凄んでいるのを偶然見かけたのが二日前。 カカシは悩んだ挙句に息子にそれとなく聞いてみることにした。 イルカに知られる前に父親として何とか解決してやりたいと、そう思ったのだ。

「ねぇイルカ、一昨日の夕方のことなんだけどね」
「うん」

 我が子の指が自分の手に縋る。 実際は、人差し指を握っているだけでいっぱいいっぱいの小さな手だった。 ふたりして夕焼けに向かって歩いていた。 家まであと少し。 イルカが待っている。

「おまえ、苛められてなかった?」
「うん!」

 全くいじけていない様子にちょっと面食らう。

「…そ、そう。 それでね、その… その時にね、おまえお友達に父さんのこと言ってなかった?」
「言ったよ」
「なんて言ったっけ?」
「ぼくの父さんは写輪眼のカカシだぁッ」
「そうそうそれそれ、そう言ってたよね」
「父さん、見てたの?」
「うん、偶然通り掛ってね、見たし聞いた。」
「ふーん」
「どうして…あんなこと言ったの?」
「だって、あいつらぼくのこと苛めるんだもん」
「なんて言って苛めるの?」
「おまえの母ちゃん、チンコ付いてるぅとか、おまえの母ちゃんオッパイないぃとか」
「そ…そう」

 物凄いショックだった。 確かに普通じゃないと思う。 男が子供産むなんて有り得ない。 子供には理解できないだろう。 大人でも多分無理。 ゲイのカップルが養子を迎えた場合も、そういう苛めはよくあると聞くし。

「他にもあるよ。 あのね、ぼくが髪の毛をちょんこにしてるの女みたいだって言うしね、目が青いのは猫みたいだっていうしね」
「そ、そう。 そういう人の容姿をどうこう言うのはいけないなぁ」
「ヨウシ?」
「見た目っていうか」
「ああ」

 我が子はぽんっと手を打った。

「母さんもそう言ってた。 見た目で差別しちゃいけないって」
「差別は判るの?」
「わかんない」
「そ、そう」

 いつも思うが、イルカは幼児に向かって難しい言葉を平気で使う。 そして意味を聞かれるまで説明しない。 だが、案外しっかり正しいシチュエイションで使ってみせるのが、逆におかしかった。

「でもね、イルカ。 苛められた時に父さんのこと持ち出して威張るのはどうかと、父さんは思うよ」
「どうして?」
「だって、それはイルカの強さじゃないでしょ? 他の人の強さを借りて威張るってのは、ずるいんじゃない?」
「そうかなぁ。 でもぼく弱いよ? だから仕方ないじゃない?」
「イ、イルカは弱くないよ。 父さんと母さんの子だし、きっと今に強くなる」

 これ絶対、とそれだけは自信を持って言ってみたが、我が子はプルプルと首を振った。

「いつかじゃだめだもん、今強くなきゃ。 でも父さんは今強いでしょ? ぼく、嘘言ってないよ」
「そ、そうだけど」

 嘘を言わなければいいというものではない、とどうやって教えたらいいのだろう。 子供に判る言葉だけで教えるのは途轍もなく難しかった。 アカデミー教師を尊敬する一瞬だ。

「でも、でもね、父さんのこと言ってイルカが威張ったりするとね、イルカのお友達はあんまり気分がよくないんじゃないかな」
「よくないに決まってるじゃないッ そうでなきゃ苛めるのやめてくれないよ?」

 何、当たり前のことを聞くの?みたいな顔で我が子は見上げてくる。

「でもでも、そういうのね、大人は」
「ぼく知ってる! 親のハチヒカリって言うんでしょッ?!」
「う…うん、惜しいッ 七…かな」
「七光り?」
「そう」

 そっか!と言って口の中で何回か繰り返しては悦に入った様子の我が子を訝しく見遣る。

「イルカ、そんな言葉よく知ってたね」
「うん、母さんが教えてくれた!」
「そ、そう… 母さんが…」

 イルカももう知っていて我が子をそう嗜めたのだろうか。 イルカに心配掛ける前になんとかしようと思っていたのだが、やはりそういう訳にはいかなかったかと、カカシはちょっとがっくりした。 だが、それなら話が早いとばかりにカカシは我が子に向き直った。

「母さんも言ってたと思うけど、そういうのは良くないからもう止めたほうが」
「ううん、母さんよくないなんて言ってなかったよ」
「…え? そうなの? じゃ母さんはイルカになんて言ったの?」
「そういう苛めっ子には”写輪眼のカカシ”だぞって言ってやれって。 親の七光こうげきぃ〜!」
「…」

 イルカがそんな事を言うなんて信じられない。 あの”イルカ先生”が…。 それに、実際あの時は言われた子供達のほとんどが何を言われているのか判らない様子だった。 知らないのだろう。 4・5才の子供が恐れるような知れ渡り方というのも悲しいが、役に立たないと判っていて教えたのだろうか。 益々混乱して、カカシは歩くのも止めて我が子の前に膝を着いた。

「ね? 母さんに苛められてるって言ったの?」
「うん!」
「いつ?」
「ずーっと前」
「そ、そう」

 ああ、やっぱり自分は役に立たないんだろうか。

「で、その時母さんは何て言ったの?」
「母さんはなんでオッパイないしチンコが付いてるのって聞いたの」
「う…、うん」
「そしたら母さん、俺は男だから当たり前だぁって叫んだ。」
「そ、そう。 それで?」
「他のウチのお母さんはみんな女なんだってって言ったら、よそはよそ、ウチはウチだって」
「それだけ?」
「うん」
「そ、そう」
「でも、オッパイは触るとすんごくきもちくって安心するんだって、アッ君が言ってたから、ぼく」
「アッ君?」
「ぼくをいつも苛める子だよ」
「…そう、それで?」
「だからぼく、母さんにもオッパイあったらよかったのにって言った。」
「そしたら母さん、なんて?」
「チンコとオッパイを両方一度には手に入れられないんだって。 それはゼイタクってもんだって言ってた。」
「そ、そう。 イルカ、贅沢の意味知ってるの?」
「しらない!」
「そう、それで?」
「母さんにはチンコがあるから、オッパイは諦めろって。 だからぼく、じゃあ母さんのチンコ触ってもいい?って聞いたんだ。」
「え………」
「だって、チンコだって触ったらきもちいかもしんないじゃない?」
「そ…それは、どどどどうか、な…。 で、かか、母さん、なんて?」
「それはだめだって」
「そう…」

 ふぅと思わず溜息が漏れる。 アレは俺んだ、とか、そんなことしてもし反応しちゃったらなんて言い訳するんだ、とか、頭の中は大混乱の極みだった。

「チンコは父さんのだからって」
「…! へ、へぇー」

 もう、まったくイルカ先生ったら! カカシは頬をぽりぽり掻いた。

「ならオッパイはたいらっちいけどぉ、それでも少しはきもちいかもしれないと思ってぇ、触っていいって聞いたら、それも父さんのだって」
「そ、そうだぞ、父さんのだ」
「母さんの身体は上から下までぜーんぶ父さんのだって。 だから触りたかったら父さんにいいか聞けって。 いい?」
「な、なにがッ?」
「母さんに触ってもいい?」
「イルカ」

 カカシは我が子をヒシと抱き締めた。

「母さんは父さんのだけど、イルカの母さんだ。 いつでも触りたいときに触りたいだけ触っていいんだぞ? 昨日だってひっついて寝てたじゃないか。 お風呂だって毎日一緒に入ってるくせに、今更だぞ?」
「あ、そっか!」

 我が子が腕の中でウンウンと頷く。 そのまま抱き上げて歩いた。

「チンコも?」
「チンコはだめ」
「父さんだけのなの?」
「そうなの」
「ちぇー」
「他のとこは全部いいけどね」
「オッパイも?」
「お、オッパイは…うーん、たまになら」
「父さんのチンコは?」
「と………、父さんのチ、チンコは母さんだけのだからやっぱりだめ」
「なんだぁ、やっぱりそうなんだ」
「やっぱりって?」
「母さんもそう言ってたから」
「そ、そう」

 ちょっと頬が熱くなる。 まったくイルカ先生ったら、子供に対してまで大人気ない。

「イルカだってやたらに自分のチンコ、他人に触らせたらダメだぞ?」
「えっ ぼくアッ君と触りっこしちゃったっ!」
「い、いつ?!」
「うーんとね、ちょっと前」
「だってさっきイルカ、アッ君とは仲悪いって言わなかった?」
「言ってないよ!」
「だってアッ君、イルカのこと苛めるんでしょ?」
「苛める!」
「じゃあ、アッ君のこと嫌いなんでしょ?」
「ううん! ぼくアッ君好きだよ!」
「ふ、ふーん」

 判らん。

「でも、でもね、チンコ触りっこするのはどうかと、父さんは思うなぁ」
「なんで? 父さんと母さんもたまにしてるじゃない」
「とっ… かっ… イーイルカ、見てるの?」
「うん!」
「いいいいいつ?」
「うーんとね、忘れちゃった!」
「そ、そう」

 トイレにでも起きた時に見られたのだろうか。 気をつけようと思う。

「と、父さんと母さんは好き同士だからいいんだぞ?」
「うん! ぼくもアッ君好き!」
「そ、そう。 でもでも、アッ君は? アッ君はイルカのこと苛めるんだろ?」
「うん! でもアッ君もぼくのこと好きだって!」
「ほんと?」
「うん! 母さんがチンコ触らせてくれないって言ったらぁ、アッ君しょうがねぇなって言ってぇ俺のでがまんしろよって言ったの」
「そ、そう。 それで触りっこしたんだ」
「うん! アッ君のチンコちっちゃいねってぼくが言ったらぁ、アッ君それならおまえのも触らせろよって言ったの」
「ふ、ふーん」
「あんまりきもちくなかった」
「そ、そうだろー? だからもうやっちゃだめだよ」
「うん!」

 自分達の事は棚に上げて、カカシは安堵の溜息を吐いた。

「でもさ、イルカはちょっとだったら忍術が使えるだろ? 他の子よりイルカの方がちょっとだけ強いと、父さんは思うんだよね。 だからやっぱり父さんのことで威張らないでほしいなぁ」
「ダメだよ! 他の子に術なんか使ったら、母さんに殺されちゃう!」

 父さんもそんなこと言っちゃダメ、母さんにお尻ぺんぺんされちゃうよ!と腕の中の我が子は小さい小さい両手でカカシの口を押さえて辺りを恐々見回した。 カカシは笑ってそっと手を外した。

「大丈夫だよ。 そんな怪我させるようなことする訳じゃなくって、ちょっと脅かすくらいなら」
「ぜったいダメッ!」
「なんで?」
「だって母さん、すっっっっごく恐い顔して怒ったんだよ?ぼくのこと」
「いつ?」
「すこーし前」

 ちょっと前とかずっと前とか少し前とか、子供の言う時間の感覚がまったく掴めずカカシは眉を顰めた。

「おまえ、誰かに術使ったの?」
「チィちゃんに」
「ああ」

 チィちゃんというのはイルカの一番の友達だ。 ただし妖魔の、だったが。

「だってチィちゃんがやって見せてって言うから、ぼくやったんだ。 それなのに母さんたらものすっごく怒ってさ、ぼくのお尻ぺんぺんって何度もぶった。 痛かった…」
「チィちゃん、怪我したの?」
「ぜんぜん」
「なら母さんに正直にそう言えばよかったのに」
「言ったよ!ぼく」
「なんて?」
「チィちゃんが見せてって言ったんだもんって」
「そしたら?」
「それでもダメだってさ、こーんな目して怒るんだ」

 と両の人差し指で自分の目尻を上げてみせる我が子が激かわいい。 カカシはぷっと吹き出しながらぎゅっと抱き締めた。

「なんでかなぁ。 こないだイルカ、父さんと母さんの前で土遁をやってみせてくれた時は何にも言わなかったよね?」
「だって、父さんも母さんも忍者だもん」
「相手が忍者ならやってもいいって?」
「うん」
「なるほどね」

 まぁ、子供に加減を知れという方が難しかろう。 ならばやっていい場合といけない場合を教える方が正しいというものか。

「チィちゃん相手でもダメだって?」
「うん」
「父さん、チィちゃんに会った事ないけど、弱そうなの?」
「うーん、わかんない」
「アッ君と比べてどう? どっちが強そう?」
「そんなのチィちゃんに決まってるよ!」
「じゃあチィちゃんには見せたげたいよね?」
「うん!」
「そうチィちゃんから母さんに説明してもらったらよかったんじゃないの?」
「言ってもらったけど…」
「けど?」
「母さん、チィちゃんが見えないんだって」
「え?」

 驚いた。 イルカにそんな変化があったのを、自分は全く気付かなかった。

「いつから?」
「さぁ」
「でも、母さん昔は見えてたんだよ」
「うん、チィちゃんもそう言ってた。 たぶん、ぼくが生まれてからじゃないかって…」

 ぷぅと頬を膨らませて泣くのを堪えるような顔をする我が子の柔らかい頬をぷにぷにと押すと、むぅっとしながら首に縋り付いてくる様がイルカそっくりで、かわいくてかわいくて、カカシはその頬にすりすりと頬擦りをした。

「そっか、母さん、イルカに見える力をあげちゃったんだね。 イルカは見えない方がよかった?」
「ううん! 見えるほうがいいに決まってるじゃんっ」
「そう… そうだね」

 感慨深いとはこのことだな、と思う。 子供の頃のことをあまり話したがらないイルカの子供時代を垣間見たような気持ちになった。

「父さんは? 見える?」
「見えないよ」
「一回も?」
「強い妖魔は誰にでも見えるんだけどね。 イルカのお友達みたいな妖魔は見えないな。 一回も見たことない。」
「ふーん、つまんないね」
「うん、そうだね。 つまんないね」
「ねぇ父さん」
「なぁに?」
「ぼく、父さんのこと威張っちゃだめなの?」
「うーん、母さんは何て言ったの? 思い出せない?」
「母さんはぁ、父さんはほんとにほんとに凄い忍者でぇ、すっごく強くてかっこいくってぇ、そんでハンサムだから威張っていいって!」
「そ、そう」
「忍術使うよりずっといいって」
「…そう」

 おうちに着いた。






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