ギター弾きを知りませんか?


22


               


 塔中にイルカの声が響いていた。

「杭の声によう似ておるわ」
「ええ」

螺旋階段  塔の中腹の螺旋階段に並んで座り、最上階の部屋を宛がった木の葉の忍ふたりの睦み合いの声を聞く。 その塔は城の中で最も細い塔の一つで、最上階の賓客専用のゲストルームの他には途中に部屋は無く、最下階の衛兵詰め所以外はメイド部屋さえ無い、螺旋階段ばかりの塔だった。

「顔もそっくりでしたよ」
「会ったのか?」
「ええ、庭で」
「そうか」

 しめやかな夜に、ひそやかな喘ぎ声。
 時折、イルカの名を呼ぶカカシの声も聞こえてきた。
 応えるようにカカシの名を呼ぶイルカの声がする。

「堪らんのう」
「王はまだまだお若い」
「いや、すっかり年をとってしもうたわい。 そなたは変わらんがのぉ」
「いえ、私も老いました。」
「どこがじゃ」

 人間とは命のサイクルが違う妖魔は、数十年前と見た目は全く変わりがなかった。 ある雨の夜、この妖魔が城にやってきて、杭が死んだ、と言って立ち尽くした。 その時と同じ姿で自分の前に居る彼を見ると、まるでこの数十年が無かったかのような錯覚を覚える。 だが、無常の世にあって彼もまた、自分を老いたと言うのか、ならば自分は…、と王は皺だらけの手を見た。 遠く離れて尚どこかが繋がっていたのか、彼にそう言われた数日後に、父王から海野杭死亡の報を聞かされた。 それから自分達は、秘密の交流を持つようになったのだ。 決して父王に勘付かれぬように、木の葉の里に悟られぬように。 何故、杭が死んだのか、ただそれだけが知りたかった。 自分は人の世の情報を、妖魔は妖魔の有り様を。 一歩一歩真実に近付くために、お互いには隠すところ無く教えあい学びあって、やっとここまで来た。

「カークはワシより大分若いでの、この声にさぞや懊悩しておるじゃろうて」
「人が悪いですね」

 多くを喋らない妖魔は、何十年か経ってそれでも笑みを零すようにはなった。 杭がこの妖魔に会って変わったように、この妖魔も杭によって不可逆な変化をしてしまったのだ。 そう思えば、何百年も生きながらえる妖魔より、あと数年で楽になれるであろう人間の自分の方が、どんなにか幸せに思えた。 
 だが、まだやらねばならない事がある。
 死ぬのはその後だ。
 心に誓った想いは、何十年経っても褪せる事無く自分の行動の羅針盤となり続けている。 自分がこれほど強い精神力を持っていたとは思わなかったが、一つの国の内情を探る事は延いては自国の執政に役立つ事だったし、他の国との関わりからくる歪みや内政に於ける軋みを知る事は、民を治めるための自分の良心の礎になった。 無駄ではなかった、決して。 だが失くしてしまった者、もう取り戻せない者への郷愁は募るばかりで、その拭えない哀しみ、切なさは、同じ経験をした者同士でのみ分かち合える痛みだった。 それが妖魔だったという事が普通とは違うところだが、これも海野絡みならではの希少な経験だと、今では思える。 本当に年を取ったと、しみじみ感じた。
 カーク・カルーソの参入は、人間社会の裏側の情報を齎してくれた。 最近では、巴の国の宰相まで協力を申し出てきた。 とは言え、彼には彼の事情というものがあったのだが、利害の一致を見たということなのだろう。

「他の二人は?」
「ああ、あの二人は帰ったよ。 帰路が長いでの」
「若者には聞かせられませんしね」
「まったくじゃ」

 一際甲高いイルカの叫び声が木霊して、一瞬静寂が辺りを支配した。 だがそれは本当に一瞬で、すぐにイルカのか細い制止の声と続く啜り泣きのような喘ぎ声が微かに響いてきた。

「カカシ君はなかなか精力旺盛のようじゃな、羨ましいことだ。」
「彼は、よく納得しましたね」
「うむ、まぁシステマティックな構造はそなたの指摘した通りだったのでな、カークがうまくやってくれた。 しかし、こうと決めたらあの男は早かったぞ。 訳の判らぬイルカをぐいぐい引き摺って、ワシに部屋を要求してきたのだからのぉ」
「より大きな障害を認めた、ということなんでしょうが、実際はイルカの最初の別人格がイルカに悪影響を及ぼす可能性は低い気がします。」
「判らんよ。 時と場合によるじゃろう。」
「そうですね…」

 イルカの喘ぎ声が忙しなくなり、一回だけカカシの唸るような低い呻き声がした。 その後は、長く夜の静寂が続き、二人は黙って塔のてっぺんにいる恋人達を思った。 お互いを想い合いながら長く離れていたふたり。 去年の様子のおかしいイルカと、それでもイルカに冷たく対応するカカシの姿は、自分に海野杭を強く思い起こさせた。 杭の死の知らせと共に自分達が抱いた感情のどす黒さは即木の葉に向けられたが、何十年かけても海野杭殺害の証拠は見つからなかった。 それでも彼が木の葉に抹殺されたのではなく衰弱して死んだと認めるまでに、自分達には非常に長い年月が必要だった。 愛する者と長く引き離され、戻ることも儘ならず、暗部とやらの監視下で息を顰めて暮らす事が杭の命を縮めたのだと、それは即ち木の葉に殺された事と同義ではないかと、この隣に座る妖魔は今でも言う。 だが海野の者のそういった弱さは、普通の人間には理解できないものだ自分は納得した。 自分の知る海野杭は、明るくどちらかと言えば楽観的で、上官からの執拗な虐めにも然程堪えた風も無く忍耐強かった。 だから、彼の死の原因の半分は、この妖魔の所為なのだ。 出会ってしまった事そのものが杭を弱くしたのだと、妖魔に愛する者を取られた形になった自分はやっかみ半分でそう理解した。 カカシとイルカも、そういった二人なのだ。 幾ら将来的に自分がイルカの害になると予想できても、ただ排除すればいいと言うものではない事をカカシに教えたかった。 だが意外にカカシにかかった暗示は強く、一筋縄ではいかないと自分は諦めかけていたところ、それではとそれを逆手に取ったカルーソの奇策が功を奏してくれたのだ。

「まぁ、綱渡りのようなもんじゃが、取り敢えずイルカが幸せそうなので良しとしよう」

 今また、静寂の中に混じるイルカの声が耳に届くようになっていたが、それは先程までとは違いどこか甘えるような、仔犬の鳴き声のような甘い響きがあった。 カカシはひとまず自分の欲望を収めたのだろう。 相手を甘く苛み愛してやる事ができるというのは、イルカの為には喜ばしいことではないか。

「まぁ、カカシ君も大人の男ということじゃな」
「なんですか、それ」
 独りしたり顔で呟けば、隣の妖魔は遠い記憶の淵から帰ってきたような顔をした。
「ちょっと前にコウから連絡があったので会ってきました。」
「ほう」
「樒さんにやっと会わせてもらえました。」
「ほ…、それは羨ましいの、ワシにも会わせてくれんかのぉ」
「それは無理でしょう。 コウの過保護振りは堂に入っていますから。」
「もう百年も前のことじゃろうに」
「たった百年ですよ」
「まぁそれは置いておいて、どうじゃった樒殿は?」
「杭そっくりでした。」
「それは判っておる、それよりものぉ、何かこう、ほれ、あるじゃろう?」
 お主は言葉が足りんのぉ、と焦れて不服を表すと、妖魔はどうしたことか両手で顔を覆って俯いた。
「彼には会わないほうがよかった。」
「なぜじゃ?」
「海野樒は特別ですね。 海野の中でも多分特別なんでしょう。 コウが隠したがる気持ちが判った。」
「だから、どういう風に特別なんじゃ」
「あなたが妖魔で、樒さんに会えば判ります。」
「どっちも無理じゃからこうして聞いておるに」
 駄々を捏ねるように言い募ると、妖魔がやっと顔を上げて微かに笑ったので、内心まぁいいかという気持ちになる。 長年この妖魔と共に居て、憎しみは薄れ今では他の誰よりも深い仲間意識が根付いているのかもしれない。
「木の葉の大蛇騒ぎの張本人に会ったと言っていました。」
「なんと!」
 これには驚かされた。 妖魔のネットワークがどうなっているのか、未だにこの妖魔無しには全く判らない。
「今は、ある人間の陰陽師の姿と名前を借りているらしいです。 彼はここ二百年程封じられていたので最近の事情には疎いのですが、我々が知りたかった四百年前の情報は持っているらしい。 巴の国の状態は悪くなる一方です。 早くなんとかしないと、結局イルカが犠牲になるだけだ。」
「会えないのか?」
「こちらに来るように言ってはみたが、とコウは言っていましたが、何分老獪な大妖魔ですので確約は取り付けられなかったようです。」
「いや、来るじゃろう」
「なぜです?」
「イルカを口説いたと聞いたぞ。 ならば来るしかあるまい。」
「……そうですね」
「最近の情報を吸収して事情が判れば必ず来る。 まぁ間に合うように来てくれれば頂上じゃがの」

『ああっ』

 その時、闇を引き裂くようにイルカの叫び声が上がり、塔の階段にワンワンと反響した。 後は続けさまに切羽詰ったような声が頭上から降ってきた。 抵抗の声が切れ切れに混ざり、それが許しを請う懇願の声に変わる。 二人は息を呑んで今まで話していた事も忘れ耳を欹てた。 だが、それを遮るように足元からダダダっと駆け登ってくる足音が近付いてきた。
「ち、父上! こ、こんなところで、なにをっ」
 はっはっと息を切らせながら王子が腰に長剣を下げて現れた。
「おまえこそなんじゃ、物騒な」
「だ、だって今、イルカ先生が助けを呼んで」
「いない、いない」
「いいえっ 呼んでおられましたっ」
「よく聞きなさい」

 イルカの声は、今や啜り泣きと艶の混じった喘ぎ声だけとなっていた。

「イルカ先生…」
「カイル、ほれもう行こう。 耳の毒じゃ」

 ずっと階下で聞いていたのだろうか。 カイルは赤い顔で目を潤ませ、さも悔しそうに肩を震わせている。 コヤツのことを忘れておったわい、と溜息を吐きつつ妖魔を振り返ると、何時の間にか彼は姿を消していた。 やれやれと肩を竦めてカイルの背を押しながら階段を下りる。 イルカの声はその足音に掻き消されるほど、実際は小さな声だったと気付かされた。 この石造りの塔の為せる業か、はてまたカカシが態とドアをきちんと締めなかったからか。 昼間は随分と苛めてしまったから、この位の意趣返しは仕方なかろうと、王は意外に強く表されたカカシの想いをしかと受け止めつつ、塔を後にした。

               ・・・

 翌朝、木の葉の二人は既に姿を消していた。
 王子が置手紙を手に憤然と王の元に押し掛けてきて、失礼千万と憤った。
 手紙には、「もったいなくて事後のイルカをとても見せられないからこのまま失礼します」と、カカシの文字で記されていた。












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