ギター弾きを知りませんか?
19
Epilogue 5 王
「さて、何から話したらよいかのぉ」
王は幾分面持ちに翳りを見せて、遠い記憶を呼び覚ますように、またそれがとても辛いと言うように、俯いた。 ここに会した一同は、奇しくも海野一族と浅からぬ因縁を持った者。 だが普通なら唯の点に過ぎないその関わりを、この王が線にしようとしている、カカシはそう感じていた。 自分もその中の1点なのか。 もちろん、イルカに関する事ならば、自分は無関係ではいられない。 自分は彼を愛しているし、守らなければならない。
「ワシが主に関わったのは、あの子の祖父の方じゃった。」
ラクシズ王ジリアンが、杯を傾けながら静かに話し出した。
「海野 杭といってな、ワシと年の頃も同じで気が合った。 とある任務で我国に長く滞在していたのだが、ワシはその頃まだ王子でな、カイルと同じく、よく無茶をしたもんじゃ。」
ふふっと笑い王が王子を見る。 カイル王子がちょっと頬を染めて、手にしたグラスの氷をカラカラと振った。
カカシは一人掛けのソファにグッタリと身を預けたまま、王の話に聞き入った。 皆も、王がやっと自分の話をし始めたので、手に手に酒を満たした杯を持ち、王の傍らに集まってきていた。 カカシだけが動けず、少し離れた窓辺に座っていた。 だが、王の物柔らかく深い声は、カカシの居る処までよく通った。
海野杭は、その当時王国を騒がせた一匹の妖魔の調査と必要なら討伐するために木の葉から派遣されてきたチームの一員で、中忍の中でも中の中の目立たないサポート役専門の若者だったと、王は語った。
当時は戦乱の時代で、忍の一般的な仕事は、潜入・調査といった諜報活動や、撹乱・トラップといった戦闘補助のようなものが主で、表舞台に立つような事はその性質上決してなかったが、妖魔退治だけは別だった。 妖魔退治は、高度な専門知識と経験が必要な危険な仕事で、昔からのノウハウを持った忍の者の独壇場だったからだ。 高度に霊的な存在である妖魔を倒すには、唯威力の強い銃火器で肉体を粉砕すればいいと言う物ではない。 特に高位の妖魔には、人間が対抗する術などは存在せず、ただ封じるくらいができる事の全てだった。 忍の者は、道術・結界術、それに加えての殺傷技術を併せ持ち、更に種々の妖魔の特性を知識として持っていた。 正しく妖魔とやり合えるのは、一人忍の者だけだったのだ。 それ故に、妖魔がらみの依頼は忍の里に寄せられ、忍は更にノウハウを蓄積する。 依頼料も格段に高く、また上手い具合に妖魔を捕獲できれば里の戦力として使役する事もできた。 各忍の隠れ里は競って強力な妖魔の捕獲に力を注いだ。 里同士で大妖魔を取り合うような事態も、起きるべくして起きた事だった。 それが不毛な戦いの連鎖を生み、引いてはあの大妖魔に大妖魔をぶつけ合う、悲惨で凄惨な殺戮の嵐、忍界大戦へと突き進ませていった一因となったとも言える。 戦いの武器に、自分達を守るための道具に、忍達は命を削り、里民をも犠牲にし、あろうことか最後はその道具に里を壊滅させられたのだ。 これを人は自業自得と呼ぶのだろうか。 唯、諜報や戦況打破の為の撹乱などの忍ぶ仕事に徹していればよかったものを、大きな力を手に入れ、戦いの表舞台に立ち、より大きな力を欲し…。 そして最後に残ったのは何だったのか。
海野杭は、そんな中にあって唯一人、妖魔捕獲に反対し共存を訴える者だったそうだ。 無論、上官の覚えはよろしくなく、扱いもえげつないものだったらしい。 それなのにどうしてそんな任務に連れてこられたのか。 それは、彼が人に化けた妖魔を見分ける能力を持っていたからだと言う。 ラクシズ国の妖魔は、人の形を借りて人の間に紛れているらしいとの情報が依頼と共に齎されていた。
「妖魔探索はなかなか思うように進まなんだ。 それは杭の所為ではないのだが、上官が杭に度々辛く当っている所を何度か見かけての、ワシは杭に興味を持つようになった。 最初は同情だったかもしれん。 庇護欲、とでも言えばいいか。」
王のその言葉は、カカシにイルカの事を強く思い起こさせた。 カカシにとってイルカは、どうしようもなく庇護欲を煽る存在だった。
「ワシは彼を庇いたくてよく自室に匿った。 上官の性欲処理に杭が毎夜呼ばれていたのでな。」
「今ではそんな事はありませんが、当時は結構あったみたいですね、そういうの」
そこで王がカカシの方を見たので、カカシは仕方なく里の恥部を明かした。 戦乱の時代には中々中央の意向が行き渡らないものだが、中央さえも暗黙の了解をしているところがあったのだろう。 そういう時代だったのだ。 王はそれを察したのか、その事については多くを触れず、話は再開した。
「王子という立場を最大限に利用して態と我侭に振舞い、彼が気に入ったからと我を通した。 ワシはカイルほど普段は自分勝手ではなかったのだが、父王が珍しく我侭を言ったワシの言葉に何かを感じたのか、許してくれた。 それから杭の寝所はワシの部屋になった訳だが、最初はもちろん兄弟のように過ごしておったよ。 彼には既に妻子がおったし、ワシも男色の趣味は無かった。 無かったはずなんだがのぉ」
海野の者は不思議だのぉと、先程のケインの話の時のように、王はどうしようもなく彼に惹かれた自分を懐かしんだ。 王子の年の割りに王が高齢なのは、海野杭の存在が長く影響していた所為なのかもしれない。
「そうこうしている裡に、杭は問題の妖魔を見つけてしまった。 妖魔はあろうことか王都の一民家の住人に成りすましておったらしい。 杭がある日見回りから帰ってくるなり、ワシに妖魔に会ったと言った。 町を普通に歩いていたとな。 彼は一目でそれが妖魔だと判ったと言っておった。 そして相手も自分が妖魔を見分ける者だと判ったらしいとも言っていた。 彼はそれからというもの少し様子がおかしくなった。 心ここにあらずと言うかの。 ターゲットが見つかったんじゃ、気を取られても仕方なかろうと思ったが、彼は中々隊長にそれを報告しなかった。 そしてある日、いなくなった。」
「いなくなった?」
「妖魔に殺されてしまったのですか?」
代わる代わる問い掛けられて、王は少し微笑んだ。
「当時は誰もがそう思った。」
逆説的な言い方に、一同がまた聞く態勢になって王の言葉を待つ。 海野杭が生きて帰ってきたらしい、と思いながら。
「ワシは、彼が行方知れずになった直後、心配の余り杭が妖魔と遭遇していたらしいと木の葉の忍達に告げてしまった。 悪い事に、杭の失踪と時を同じくして王都の妖魔騒ぎがふっつりとなくなった事もあり、彼は妖魔に攫われたか殺されたか、果ては妖魔に与して里抜けをしたかとまで言われた。 木の葉の者達は、海野の者と妖魔の繋がりに関して少々過敏になっている嫌いがあっての、ワシには信じがたい事だったが、木の葉はの、海野杭は神隠しに遭ったと言う事で片付けて隊を撤退させてしまったんじゃ。」
「では捜索は?」
「無論、打ち切りじゃ。 そもそも幾らも捜そうとせなんだ。 王都の騒ぎが収まれば自分達の任務は終りだと言わんばかりでのぉ。 ワシは父王に談判したが、その当時妖魔相手の仕事は忍の仕事と決まっておっての、兵を出すつもりはないと、きっぱり言われてしもうた。」
今でもたいして変わりはないが、とカカシは内心思った。 忍の命の重さなどそんなものなのだ、と。
「その上、ワシがふらふらと妖魔探しに行くのを案じて、ワシには謹慎が言い渡され、幽閉状態にされてしまった。 その時のワシの焦燥感や無力感は、皆も判ってくれると思う。 体制というものは、異質なもの、異端なものを極端に嫌い恐れる。 それは組織を維持する上では必要なことかもしれんが、そういった迫害にあって時代の闇に葬られた者が如何に多かったことか。 ワシのような立場に居る者には、肌で感じる痛みだのぉ。」
そう言って一頻り顎鬚を撫で、王は遠い目をして沈黙したが、誰も言葉を発しなかった。
「海野杭は二年してひょっこり帰って来た。」
「二年?」
一同は、帰ってきた事実よりその不在の長さに驚かされた。
「二年じゃな…。 長かった。」
カカシには、王の顔の皺がその時初めて意識された。 柔軟な姿勢やオチャメとも言える人懐っこさが、王を見た目よりも数倍若く見せていたのだが、やはり彼は長い年月の辛酸を知り尽くした為政者の顔を持っていた。
「それは…本当に海野杭本人だったのですか? 妖魔の成り代わりとかではなく?」
「そうじゃ。 間違いなく、海野杭本人じゃった。 大分雰囲気が変わってしまっておったがの。」
「杭さんは妖魔になにか術を掛けられていたりとか、操られていたりとかしていたのではないのですか?」
「いや、そういう訳でもなさそうだった。 だが、元の杭ではなかったよ。 カイルや、人が変わる時というのがどんな時か、今のおまえなら判るだろう?」
率直に次々と質問を投げかけていた王子は、逆に質問で返されて暫し沈黙した後、ポツリと答えた。
「人を、愛した時です。」
「そうじゃな…。 ワシもそう思う。 それだけでは勿論ないが、それも一つじゃ。 後はまぁ、その愛する者、大切な何かを守らねばならないと覚悟を決めた時と、それらを失った時… 復讐を誓った時、かのぉ」
王の、その剣呑な言葉に一同は息を呑んだ。 その柔和な顔付きの裏の激しく強い想いが、その時一瞬溢れた気がした。
海野杭は妖魔のモノとなったのだ。
カカシは、イルカの事を思いながらそう結論付けた。 妖魔に愛される人種なのだ。 イルカが特別なのかと思っていたが、血の為せる業だったとは。 妖魔はイルカが望むと望まざるとに関わらず、彼に惹き付けられてくる。 イルカは妖魔を厭わないばかりか、理解し共存する事を異常だとは思わない。 そして妖魔の方もそんなイルカを大切に扱う。 決してイルカの意思を踏みにじらないのだ。 それほどまでにイルカを欲していながら、イルカ自身が拒めば無理強いしない。 だから、海野杭は…
「あなたは、海野杭に裏切られて、彼を恨んだのですか?」
カカシの歯に衣着せない物言いに、他の者達が固唾を呑んだ。 だが話は核心に近付いている。 自分がここに呼ばれた理由もそこにあると思った。
海野杭が生きて戻ったのなら、妖魔がその意思で彼を帰したのだ。 イルカが何度もあの大蛇の妖魔の手から戻ったように。 二年もの年月を共に過ごした事が意味するものはひとつ。 それは海野杭自身が妖魔を受け入れたと言う事。 そうでなければ彼は二年も生きてはいない。 そういう無理のさせ方をすると、彼らは直ぐに弱る。
「君がそれを問うのかね?」
だが王に冷静に切り返されて、カカシは頭を掻いた。
「愚問、でしたかね」
「そうじゃな」
イルカを恨んだことは一度もない。
「ですが、彼の木の葉での立場は非常に危ういものだったでしょうに。 なぜ戻ったのでしょう、二年も経ってから」
「それが、それこそがこの話の核心、君に態々来てもらい聞いてもらいたかった事ですよ」
いつの間にかカルーソが、王の脇に従っていた。
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