ギター弾きを知りませんか?
15
Epilogue 1 賊の長
「イルカが山賊家業をしている俺達のテントにやってきたのは五年前。 当時まだ12歳だったカイル王子奪還任務で、たった一人で木の葉から派遣されてきた忍だった。」
カルーソの傘下のその小ボスは、ガストンと名乗った。 戦乱の時代も過ぎ治安がよくなる一方の世の中で、軍ばかりでなく警察力も日々力を増し交通も整備され、テリトリィの山間部を通行する獲物の旅人もめっきり減っていた。 そんな中で細々と手下達を纏めやっていく為に、金持ちの子女を拐し身代金を取り、一気に大金を手に入れる味を一回占めてしまえば、後は山賊とは名ばかりの只の誘拐犯と成り下がるのに時間は掛からなかったと、幾分悔しそうに言った。 賊は賊なりにプライドがあるらしい。
偶然通り掛った所を拉致したカイル王子は、だからそんな彼らには荷が重過ぎる人質だったのだろう。 王子と知らず捕まえて、要求を出すために素性を調べてみれば一国の王子で、それこそ軍にでも囲まれたら自分達などあっと言う間に壊滅させられる。 焦って、だがしかし資金も底を尽きかけていて、どうするべきかと悩んでいた時、イルカが来たのだという。
「イルカは、禄に抵抗もせずに拘束された。 そして、カイル王子にも俺達にも最も良い方法は、自分に任せて人質を解放してくれる事だと説得してきた。 そう多くは望めないが、自分が必ず身代金の交渉を国とするからと」
「イルカ先生らしいですね」
カカシは容易に想像がついて、思わず苦笑を漏らした。
「俺達は、最初聞く耳を持たなかった。 それどころか、女気の無い暮らしの中で溜まっていた俺達は、イルカを当然のように慰み者にした。 今思えば、それが俺達の運の尽きだった。」
溜息を吐く男の顔は、だが後悔している顔ではなかった。
「アイツは、女の代わりをしてくれたら考えてやらんでもない、と言うと大人しく従った。 何人もに一度に嬲られて、相当辛かったに違いないし、アイツは抵抗しようと思えばできたはずだ。 だがしなかった。 そうして毎日毎晩、俺達に抱かれ続けた。」
そこで話を切ると、ガストンは何故かカカシを見てきた。
「イルカは男慣れしていた。」
ああ、そういう事。
そう思ってカカシは頷いた。
「その当時、俺達は恋人関係にありました。 あの人の体は、俺が仕込んだ。」
「それが婀娜となった。 手下共はイルカの虜になった。 皆、争ってイルカを抱きたがった。 だが、二日経ち三日経つうちに段々手下共の態度が変わってきた。 イルカを労わるようになってきたんだ。 最初は昼夜の別無くイルカの体を弄んでいたのを、日中は休ませるようになった。 そして、昼の間は比較的自由にさせていた。 アイツが逃げないと判ったからだ。 それから、手下の一人が本人から普段の職業を聞き出したのか、イルカの事を皆で「先生」と呼ぶようになっていた。 「イルカ先生」と口を揃えて呼び、何かと一緒にしたがった。 一緒に飯を囲んだり技を競ったり、中には読み書きを教わり出す者も出る始末で、俺は正直困惑した。 同時に王子に対する態度も変わってきた。 王子がイルカには素直になるのを切っ掛けに、徐々に手下共にも懐いてきて、森での暮らしに役立つアレコレを教わっては楽しそうに一緒に遊んでいるんだ。 眩暈がしたよ。」
余りにも平和な光景だったんでな、と顳をグリグリと押さえ、今でも信じられないというように肩を竦めた。
「俺はそれまでイルカには手を出さなかった。 近くの村に女を囲っていたんでな。 娘もいたし、一応操を立てていたと言うか、男を抱く趣味はなかった。 だが、手下共の様子に一度抱いてみることにした。」
カカシは、抱いてみた感想を期待したが、ガストンはそれについては一言も触れずに話を続けた。
「その後、俺達は話し合って、王子をイルカに任せることにしたんだ。」
「あの時は、辛かったですよ」
と王子が懐かしそうに呟いた。
「帰りたくなかった。 楽しかったから。」
「こっちは駄々を捏ねられて閉口した。」
誘拐犯と人質の会話ではないな、とカカシは内心苦笑した。 ストックホルム症候群というのがあるが、彼らの場合イルカが居なければ恐らくそうはならなかったろう。 とにかく貴重な人だ。
「イルカ先生に諭されて、でなければこの人達全員が国の軍隊に殲滅させられると言われて…。 泣く泣く国へ帰りました。」
「しょうのない我侭者だったカイルが変わったのはそなた達のお陰だったかの」
王が面白そうに肩を揺らして笑った。
「王子を返した後、国から身代金が来ても、俺達はイルカを帰さなかった。 手下共が手放したがらなかった。 俺も同じ気持ちだった。 イルカは随分俺達に馴染んでいたし、賊の真似事をさせるつもりはなかったが、一緒に暮らしてくれればいいと思っていた。 イルカも帰してくれと言い出さなかった。 半月ほど過ごしたよ、平和にな。」
「なんで帰す気になったんです?」
イルカは、任務終了の連絡の後、半月遅れて帰還したのだ。 カカシは他意無く問うたつもりだったが、ガストンはそうは思わなかったようで、またじっとカカシに視線を併せてきた。
「全く、あんたら忍の者というのは皆そうなのか? 自分の恋人が大勢の慰み者になっていたと聞いても、そんなに冷静にしていられるもんなのか?」
平気な訳がなかろうにと、カカシは当時感じた遣る瀬無さや胸の痛みや焦燥が、苦く喉元までせり上がってきたような気がしてゴクリとそれを飲み下しながら平静を装った。
「ま、くノ一の手前そんな事は無いとは言い辛いですがね。 それに彼の場合色々あってそういう事に関する倫理観が極端に薄いんです。 俺も、里でそんな事をしたら許さなかったでしょうが、任務上必要な事だったら責める訳にはいきません。 無事に、生きて還ってくれただけで喜びますよ、俺達は」
「そうか」
すまなかったとガストンは少し間を置いて小さく詫びた。 カカシはちょっと口端を引き上げて微笑み、いえ、と答えてまたギターを手に取った。 忍の生態など一般人に判るはずもない。 判ってもらおうと思った事もない。 また判るようでは忍としてどうかとも思う。 唯イルカ一人が、忍の中にあっても一般人の中にあっても異質なのだ。
「イルカを帰すことにしたのは、手下共がこのままでは拙いと言い出したからだ。」
男の話が再開した。
「手下達は、イルカが弱ってきているのではないかと、俺の所に言いに来るようになった。」
ああ、とカカシは相槌を打った。 イルカの様子が目に浮かぶようだった。
「あの人、我慢するタイプだから相当悪くなってたでしょう?」
「ああ」
ガストンはまた重く溜息を吐いた。
「気がつけばもう、食も細くなっていたし、手下共が夜伽の時すぐ落ちるようになったと頻りに心配しだした。 話し合ったが、帰すかどうかはなかなか決まらなかった。 誰もイルカを手放したくはなかったし、かと言って日に日に痩せていくイルカをそのまま見過ごす事も俺達には出来なくなっていた。 煮詰まった所へ用を言い付けて遠ざけておいたイルカが帰ってきた。 背にな、こう山菜の一杯入った籠を背負ってな、テントにひょいと顔を出して「ただいま」と言ったんだ。」
その時の俺達の気持ちが判るか、とガストンは俯いて手の中のグラスの氷を揺らした。
「一番近くにいた者がイルカの腕を掴んでいきなり一回きつく抱き締めると、乱暴にその体を隣の仲間に渡した。 後はそれに倣ったように、全員がイルカを抱き締め或いは接吻けた。 最後に俺の所に来た時は、それは訝しそうにしていたさ。 俺がイルカに帰れと言った時の、その時のアイツの顔が忘れられない。」
「捨てられた仔犬みたいな目をしてました?」
「…わかるか」
「はい」
カカシの言葉に可笑しそうに肩を揺すり、男は暫し想い出に耽るように黙った。
「イルカが居なくなった後、俺達は身代金目当ての誘拐ができなくなっている事に気付いた。 アイツに随分と影響されていたらしい。 もう山賊家業を辞めるしかないと、町に下りた所でカルーソさんに会った。 カルーソさんは俺達を丸ごと引き受けてくれたんだ。」
「酒場であなたはイルカの事を頻りに罵っていた。 アイツの所為で俺達はおかしくなっちまったとね。 実名で何度も喚かれて、回りの手下らしき男達の話も総合して、私は海野イルカの事だと確信した。 王室は王子誘拐事件をヒタ隠しにしてはいたんだが、私の情報網からはその状況が刻々と報告されてきていた。 カカシ君の前では何なんだが、私は木の葉にも情報源を持っていてね。 実は苛々していたんだよ。 国軍はちっとも動こうとしなかったし、木の葉からの援軍も一向に来る様子が無い。 終いには自分で彼を救出に行こうかと考えあぐねていた。」
「イルカ先生からは、逐一報告が来ていましたから。 心配ない、万事旨くいっている、援軍の必要は無い、ただ時間がかかるだけだと。」
「確かに旨くいっていたかもしれん。 流血沙汰は一切なかったし、全てが済んでみて国にとっても俺達にとっても、何も不服となるような所がなかった。」
「その辺の一切を、イルカ先生が吸収していたんでしょうね。 事実、報告書を読んだ限りではですが、彼はあなた達と接触する前に数日を観察に費やしています。 その上であなた達に身を委ねる形で交渉に持ち込んだ。 もちろん、観察期間中に王子の国との交渉も行い、ある程度時間が掛かるが自分に任せて欲しい、身代金の用意もしておいて欲しいと要請して、その約束も取り付けている。」
「イルカでなければ、ワシはウンとは言わなんだよ」
王が釘を刺した。 それは、イルカでなければお前達は皆殺しだったと、暗に言っている。
「全く気付かなかった。」
それが判ったのか、ガストンは溜息とともに呟いた。
「そうでしょうね。 彼はその辺にたいへん秀でています。 いつもはあんななんですが」
そう言ってカカシが笑うと、皆少し微笑んだ。 だが、その表情は真剣で、話の続きを促されている事が判った。
「ですが、一旦任務モードになると上忍でも彼の居所は早々解らないんですよ。 俺でも、かくれんぼと鬼ごっこではイルカ先生には敵いません。 あなた達を一人づつそっと殺していく事も可能だったでしょう。 でも彼はしなかった。 観察しているうちにあなた達のことが、余程好きになってしまったんでしょうねぇ」
「そう…だったのか」
ガストンは何か考えるように暫らく逡巡した後、ポツリと呟いた。
「今聞けてよかったよ。 だが、俺はあんたに今の話を聞くまでもなく、イルカには感謝している。 彼に出会えていなかったら、喩えあの時生き延びたとしても、結局俺達は自滅していただろう。」
「そうかもしれませんが、あなた達がイルカ先生を自主的に帰してくれた事も、あなた達自身を救っているんですよ。 彼の報告書如何では、木の葉から直ぐに掃討部隊が差し向けられていたでしょうし、そちらの国もおとなしく引き下がりはしなかったでしょ?」
「まぁな」
「私も、黙ってはいなかった。」
カカシと王とカルーソが、口を揃えてそんな事を言うのを聞いて、ガストンは苦笑した。
「だがな、俺達も本心ではイルカを帰したくなかったよ。 イルカが去った後、俺達の胸には穴が開いた。 寂しかったよ、正直な」
「私はその言葉を聞いて、あなた達全員を信用することにしたのですよ」
「そうだったんですか」
カルーソとガストンは暫し黙ってお互いを見た。
そして杯を上げ、小さく「イルカに」と呟いて琥珀の液体を干した。
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