森の縁の家で


12


               めおと


 その時、手の中にあった地図がメラメラと燃え上がり、燃え尽きた。 そこは明らかに結界の境界で、その地図は一回こっきりの通過証の役目を果たしたと判った。 木の葉の大門から入る正式な入里ではなく、外縁の深い森を抜けて侵入する道順で、モミジは迷った挙句にイツキの地図通りに道を辿ったのだった。 あれから半年が経っていた。

「ちくしょうっ イツキのヤツ、アタシが忍だって知ってやがったなっ!」

 森では、妖魔や猛獣の歓迎を受けた。 樹上を渡るしかない道標。 同じ木の連続にしか見えない巨木の群や、蔓や枝葉が絡まり合い陽射しを通さない鬱蒼とした暗さが方向感覚を失わせる。 一般人が無事に通り抜けられるような道ではなかった。 しかも、やっと森の縁辺りに来たのか木が疎らになってきたなと思ったら、この結界だ。 どうしろってんだよ、といい加減切れかけた時だ。 地図は何かの紋章の形に火が点き、そのまま全て灰になった。 裏に隠し文字で記してあったらしいが、気付かなかった。 中々の術者だ。

「とにかく、あの子も忍だったってわけだ」

 今の今まで全く気付かなかった自分の迂闊さを罵りーの、ほんの微かにも気配を窺わせなかったイツキの狡猾さを称えーのし、どこか薄寒くさえ感じるイツキへの”恐れ”を抑えた。 今までそんな忍には会ったことが無かったからだ。 皆、多かれ少なかれ隠し切れない”忍臭”があるものなのだが、イツキにはそれが全く無かった。 天然なのか、故意なのか。 半年前初めて見たあの写輪眼の男も心底恐ろしいと思ったが、イツキに対するそれは経験の無い異質さが感じられ、どう対処していいのか判らない不安が沸々と湧き出す。 正直、回れ右をして帰ろうかと思ったほどだ。 だが、切れた森の辺の、その深い森の暗闇に抱かれるように佇んでいる一軒家が目に入り、溜息とともに歩き出した。 イツキが”無事に”妊娠したと、聞き及んでいた。

               ・・・

「イツキ?」

 腰丈ほどの低い垣根の外から庭が見えた。 そこに犬が数匹群れていて、その中に混じるように一人の少女が座り込んでいた。 顔はイツキだった。

「モミジー!」

 声にふっと顔を上げ、イツキの顔をした少女は歓声を上げて立ち上がった。 初めて会った時は、確か自分と同じ年頃、20代中頃の成熟した女性に見えたが、着ている物の所為だろうか髪型の所為だろうか、どこか幼く体格も小柄になった気がした。 だが、はっきりと自分の名を呼び嬉しそうにニコニコと満面に笑う様は紛う事無きあのイツキで、違和感は拭えなかったものの両手振って歓迎してくれる姿に、先程までの彼女に対する不信感まで吹き飛ぶ。 一般人でないと判った今でも、目の前のイツキからは全く忍らしさが感じられなかった。

「遊びにきたよー」

 グダグダ考えても仕方ないと手を振り返し、垣を回って木戸を押して入ろうとすると、それまでおとなしくしていた犬達がバッと立ち上がり一斉に吠え出した。 イツキもそれには驚いたように一回立ち止まり、目を真ん丸く見開いて犬達を見ていたが、すぐに「めッ」と一匹一匹叱り付けるように睨む仕草がまた幼い。

 なにかおかしい、なにか変だ…

 違和感は膨れ上がる。 不安が募る。 そして、犬達の間を掻き分けてこちらへ来ようとしたイツキが途中でつんのめったように立ち止まったのを見た時、そこに怒りが加わった。 イツキは、膨れた腹の上辺りをロープで括られており、そのロープは犬でも繋ぐように庭の杭に結わえられていた。

「イツキッ! なんでこんなッ」

 思わず走り寄ろうとすると犬がまた激しく吠え出した。 だがイツキが「モミジ、モミジ」と繰り返し呼んで警戒心を表さない所為なのか、途中から困ったようにただグルグルとイツキの回りを回るだけとなった。

 イツキを守っている? 忍犬なのか? 

 それぞれが何かのマーク入りのスカーフを巻いており、中には人間用の額宛を首に着けているモノさえ居た。 間違いない。 訓練された忍犬だ。 無闇に近付けない。 だが、あのイツキの扱いは許せない。

 くそッ どうしたら…

 唇を噛んだつもりだった。 だが実際は、首筋に当てられたヒヤリとする金属の感触にピクリとも動けなかった。 そうされて尚、後ろに居るはずの気配を感じることができず、振り向くこともできなかった。

「誰だ、オマエ」

 低い、抑揚の無い声が、片耳に吹き込まれるように囁いた。 あの写輪眼の声だった。

               ・・・

「オマエッ どっから入ってきたんだっ!」
「こんのド変態ッ! イツキを離せッ!」
「どうしてこの場所が判ったんだ?! 調べたのか?!」
「アタシァ、イツキに地図を貰ってたんだよ! ねぇイツキ?」
「イルカ先生っ そいつの側行っちゃダメっ!」

 イツキが二人の間で困ったようにオロオロと私を見、写輪眼を見上げた。 目を真ん丸く見開いて口をポカンと開けっぱなしだった。

「だいたい大門から入ったんならここへ着く前に連絡がくるはずだ。 森から不正侵入したんだろっ!」
「地図にそう書いてあったんだっ!」
「結界があったはずだぞっ」
「結界の鍵も地図にあったんだよ」
「嘘吐くなッ 証拠は?!」
「燃えちゃったよっ そういう風にできてたんだ。 そうだよね? イツキ」

 イツキが同意を求められたのが判ったのか、慌てたようにウンウンと頷くと、写輪眼が目を剥いた。

「イルカ先生、なんでそんなヤツに家の場所教えちゃったの?! イルカ先生とお腹の赤ちゃん狙ってんだよ?」

 イツキが今度は写輪眼を見上げ、怒られたと思ったのか泣きそうになって必死でカブリを振った。 その上、お腹を庇うようにして一二歩後退する。

「イツキ、アタシはただ遊びに来ただけだよ。 アンタが「遊びにきてね」って書いたんじゃないか、ねぇ」

 怯えた顔をされて哀しくなり、腰を屈めてイツキの顔の高さに合わせて懇願する。 なんでこんな小ちゃくなっちゃってんだ? もう訳判らんっ だいたいさっきから「イルカ先生、イルカ先生」ってなんだ。 それはオマエの男の恋人の名じゃないか? ちゃんと調べたんだぞっ

「それよりイツキを離せっ 犬じゃないぞっ!」
「他里のくノ一のくせに偉そうなこと言うなっ これはイルカ先生の安全の為なんだよっ 関係ないヤツが口出すなっ!」
「イルカイルカってさっきっから… アンタの男の話じゃないんだよっ イツキの話だっ なんで繋いだりするんだ?!」
「オマエこそ訳判んないこと言うなっ 」
「関係ないのはオマエだっ さっさと自分の男ンとこ帰れっ! このホモ野朗ッ!!」
「オマエこそレズじゃないかッ キヨネ達に聞いたぞッ イルカ先生がいっくら今女体化してるからって」
「キヨネって誰だよッ オマエの男が女体かどうかなんてアタシの知ったこっちゃッ………… は?」
「っ」

 写輪眼はハッとして口を噤んだ。 なんだって? 女体化? 「イツキ」のイの字は…「イルカ」のイの字?

「けんか、しないよっ」

 その時、下の方から甲高い少女の声が上がった。 それまでマシンガンのようにカカシと二人で言い合っていたので口を挟むことができなかったのか。 泣きそうな顔で口をへの字に結んで、それを必死で堪えた顔をしてイツキは二人を交互に睨んだ。

「けんか、だめだよ。 仲いいよ、ね?」

 そして最後にカカシを見上げ、フルフルッっと震えたようにしゃくりあげると、カカシにしがみついてワッと泣き出した。

「ごめん、イルカ先生。 喧嘩なんてしてないですから、ね。 ごめんね」

 カカシがイツキをしゃがみこんで抱き締めた。 カカシは彼女を体ごと覆うように抱き締めたまま、「ごめん、ごめんなさい」と謝り続けた。 もしかしたら泣いていたのかもしれない。 私は貴重なモノを見た訳だ。 あの写輪眼のカカシが人前で泣く所など、他里の忍で見たのはきっと私が最初で最後だ。 私は呆けて立ち尽くし、二人を見ている他なかった。 だから”けんか”はそれでお終いになった。 彼女は、否、彼はイルカ。 アカデミー教師でカカシの男の恋人。 女体化しカカシの子を身籠っている。 今二人は夫婦同然の生活をしており、妊娠状態は順調らしいがどうしてか彼女は、精神的・身体的に退行していた。




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