森の縁の家で


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               契約


 女の方は、慣れない様子できょろきょろと頻りに回りを見回して、落ち着かな気にそわそわとしていて、その上びくびく怯え気味だった。 男に肩を押されただけでビクリと跳ねて、ととっと一二歩前に出ると男の手から逃れた。 苦笑する男。 振り返って肩越しに怯えた目付きをする女。 そして外には大量の剣呑な気が満ちていた。 ザワザワと枯れ葉が擦れ合うかの如きけたたましさ。 一つ一つが訴える存在感。 そして”危険”。 いつもは完き無で在ることが彼らの本分なのでそのようなデモンストレイションには慣れないのか、存在の訴え方が何か滑稽やら可愛らしいやらだった。

「ようこそお越しやす」

 女将が目配せを寄越したので仕方なく、彼女の後ろに控えておとなしく身を縮める。 これから一週間、この二人の世話を一手に引き受けねばならない。

「まぁ、こちらがお話の… かわいらしいお方どすなぁ」
「ええ」

 にこやかな笑みを絶やさない男だが、片時も連れの女から注意を逸らさない。 まるでお姫様の護衛か、それとも囚人の護送か。

「7日間、よろしくお願いします」
「よ、よろしく…ねがいしま…」

 男が軽く会釈をし、その男に促されて女がぴょこんと頭を下げ、不慣れな様子で切れ切れに挨拶をした。 それに女将が微笑んで頷くと、男が懐から小さな鈴を取り出してチリリと一回振った。 すると、外の気配は霧散し、まるで最初から何も存在しなかったように静かになった。 彼らがやっとほっと息を吐く様が目に浮かぶようだ。

「この娘が一切のお世話を承ります、モミジです。 なるべくご希望に副うよう捜しましたんどすえ。 けど、こんなオボコしかおりまへんのどす。 近頃の若い娘は全く…。 至らないところが多々あるかと思いますけど、よろしゅうお願いいたします。 何か粗相がありましたら遠慮無う仰っておくれやす。」
「いえ、ありがとうございます。 こちらこそお世話になります。」

 にこやかだがヒヤリとする目線を投げられヒクッと体が竦んだ。 値踏み…と言うより検分か。 もうここは取り繕っても仕方が無い。 思い切りびくびくした雰囲気を醸し出して90度に腰を折る。

「モミジです。 どうぞよろしくお願いいたします。」
「よろしく」

 だが、女がそこでさも嬉しそうに顔を覗きこむようにして近付き両手を差し出してきたので、吃驚するやら対処に困るやらで、思わず不躾に脇の男を見上げていた。

「よろしく、お願いしますね」

 目尻を下げて男が笑う。 先程の冷たい視線はどこへ行ったんだ、どこへ。 お姫様決定だ、この女。 いったい何者なんだろう。 だが、許しが出たと恐る恐る差し出された両手を取ると、女がそれを思い切り上下に振った。

「モミジさん、よろしくお願いします。 お…わ、わたし、イ、むがっ」
「イ…イツキです、イツキッ」
「は、はぁ…イツキさま。 どうぞよろしくお願いいたします。」

 こんな恐ろしい男がこんな風に狼狽える様をこの目にできただけでも良しとしようかな、とうっかり満足しかけてしまうほど男は慌てた。 そして慌てて女の口を塞いで冷や汗掻きつつ見え見えの嘘を吐いた。 名前の最初は「イ」の字か。 名前一つも知られたくないか。 そんなに大事か。 そんなに大事なら誰にも見せずに隠しておけ、と心で毒吐く。 後ろから羽交い絞めにされ口を大きな手で覆われて呻く女が誰なのか、まだ判らない。 だが男の方は、その身元を隠す気がないことは明らかだった。 銀の髪を左目の前に垂らしてはいたが、左頬を縦に貫く傷と赤い瞳、そして青い右目。 はたけカカシ。 木の葉の暗部数人を護衛に付けて、こんな人里離れた温泉宿に自分は完全にオフだと言わんばかりの私服姿で、素人臭い女を連れて、ただ子作りのためだけに来たと聞いた。 里と、ここの女将と、護衛の暗部と、皆がそのためだけに動いて…なんてヤツだ。 しかもこの女、処女だと言う。 どこかオドオドと物慣れない様子のこの女がもし…もし無理矢理に連れて来られたのだとしたら…。

「許しませんからね」
「はい? なにか言いました?」
「いえ、なんでも」

 私は、巴のモミジ。 ここへは義理の姉の実家に義姉とともに休暇に来ていた。 そう、私もオフで、義理の母の知り合いというこの宿の女将に是非にと頼まれた、これは偶然のバイトだった。

               ・・・

「ひっ」
「わっ」

 呼ばれない限り極力部屋には近付くなと言われているので膳の上げ下げ以外はやる事が無く、昼の間は使わないと言われた庭の露天風呂の掃除をしようとデッキブラシ片手にズカズカ歩いていると、目隠し用の垣の陰から声が上がった。 件の二人が来て2日目の午後だった。

「す、すみませんっ 掃除をしようと… あの、後にしますから」
「いえ、いえいえいえいえいえっ ど、どうぞ」

 見ると、垣の根元に膝を抱えて、へたくそにダサい着付けをした浴衣姿の例の女がこちらを覗いていた。 まぁ、こちらも着物の裾を端折って帯に突っ込み素足を晒した威張れる恰好じゃあなかったので、お互いにお互いを見て思わず照れ笑い、頭を掻く。

「そんな所で…なにしてらっしゃるんですか?」
「え…っと、か…隠れてるの」
「隠れてる? ……あの人、酷い事するんですか?!」

 人に、オマエは熱すぎてウザイとよく言われる。 でも、女性が男に虐げられているのを見過ごすことがどうしてもできない。 少し声も荒らいでしまい女を睨むように見据えると、彼女は吃驚したように立ち上がって両手をあわあわと振った。

「ち、違う違うっ かくれんぼ! かくれんぼしてるんです」
「かくれんぼー?」

 まだ疑わしいと、多分かなり凄んでいたのだろう、女は狼狽えて言い募った。

「そうっ かくれんぼしてるだけだから」
「いい大人がかくれんぼ? ほんとに?」
「ほんと!」
「じゃあなんでそんなにビクついてるんですか?」
「だって…ここ、高級過ぎて落ち着かないんだもの」

 彼女は項垂れて足元の小石を蹴った。 そして口を尖らせるとボソボソと言い募る。

「あの人、昼も夜もHばっかりしたがって、他にヤルこと無いって言うし、でもオ…わたし、かくれんぼくらいしか思いつかなくって」
「やっぱり無理強いなんじゃない?!」
「違うーっ」

 そして盛大に墓穴を掘った。 かわいい。 思わず弄りたくなるタイプだ。 相手は曰く有りのお客様だが、彼女だけの時には接触を試みることができそうだ、と判断する。 そして彼女、イツキと名乗った女は、話してみるととても気さくで、性格も素直で飾るところが全く無い男みたいな口の利き方をする娘だった。

「お…わたしね」
「アンタ、お国はどこよ?」
「な、なんで?」
「自分のこと”オレ”って言っていいわよ、別に。 アタシの義理の姉なんか”ワテ”よ? ワテ!」
「そうなの?」
「そうよ、恥ずかしがることないわ」

 そんな風にわたし達は、毎日一回は親しく話すようになった。 でもこの時はまだ、この”娘”が実は”男”だとは露知らなかったので、どこかの田舎娘なのだと信じていた。 きっと遺伝子レベルで調べられ、あの”はたけカカシ”の子種と掛け合わせるために連れて来られたのだと、そう思っていた。

               ・・・

「巴のモミジ」

 女将の使いで外に出たところを見計らったように、木の葉の暗部が木の上から降りてきて囲む。 相手は4人、皆くノ一だった。

「こんな所まで来て余計な首突っ込んでんじゃないよ」
「いきなりなんだよ」

 怒っている。 明らかに怒っている。 なんで?

「ただの仲居のバイトだよ。 アタシもオフなんだ。 他意は無いよ。」
「アンタの他意無いチャチャにアタシらが何回泣かされたと思ってるんだいッ」

 中の一人、長い黒髪を後ろで一束に括って尚風に翻しているすらっとした女が、おそらく隊長格なのだろう、腕組みをしたポーズで苛々カッカと歩き回りながらがなり立ててきた。 他の3人はじっと取り囲んでいるだけだ。 他にも2人居ることが窺えた。 全部で6人か。 豪勢なことだ。

「アンタたちこそ、姿見せちゃっていいわけ?」
「今はいいんだよ。 女将に頼んでアンタを外に出してもらったのもアタシだし。」
「なんだ、あの女将、仲間なのかい」
「OG」
「じゃあアタシの素性も知ってて雇ってるってわけだね」
「当たり前じゃん」
「なら問題無いだろ」

 ちょっとムッとして歩き出そうとすると、ぐるりと取り囲まれて行く手を阻まれる。

「なんだよ、別になんにもしてないだろ」
「今はな。 でもアンタ、ちょっとあの女にくっつきすぎじゃないのかい。 アンタの趣味は承知だよッ」
「あ~そうかい、たしかにかわいい娘だよね、アタシのストライク・ソーンど真ん中さ」
「横合いから手を出すなって、態々こうして出張ってきてんだよ。 カカシ先輩がやっと女を相手にする気になったんだからさ」
「なんだ、あの男、そっち専門かい?」
「オマエが言うなよ。 違う、カカシ先輩は両刀だったんだ。」
「だった?」
「ちょっと前まではアタシ達にも分け隔てなくお付き合いしてくださってたんだよ」
「そういうのコマシって言わないかい」
「お黙りよッ 博愛って言うんだよッ」
「はいはい」

 カカシ崇拝教徒かよ、と溜息を吐くと、彼女らも短く嘆息した。

「でもここ最近一人の男に掛かり切りでさ。 挙句にもう女じゃ勃起たないなんて仰って」
「インポ?」
「ばかッ 相変わらず表現が露骨だね、アンタは! その男しか抱かないって、一人に決めたからって仰ってるんだよ」
「なんだよ、いいことじゃんか。 見直したよ。」
「そういう問題じゃないんだよ」
「アタシにゃ関係無いね」
「待ちなッ」

 言って手をひらひらと振り、4人の間を押して出ようとすると、黒髪のくノ一が肩を掴んだ。 反射でその手を逆手に捻りあげた途端、3方からクナイが突き付けられる。

「おっと、騒ぎはお互い困るだろう?」
「いいから最後まで聞け」

 手を離し、降参のポーズで両手を挙げると、隊長のくノ一が低く凄んだ。

「アンタだって、バイトが国元にバレるのは拙いんじゃないのかい」
「うっ…それは…避けたいね」

 ここで彼女らと遣り合うよりそっちの方が恐かった。 なのでおとなしく踵を元に戻す。

「で、アタシに何をさせたいのさ」
「それなんだけどね」

 クイと人差し指でぞんざいに呼び付けられてカチンときたが、ここは堪えて側に寄る。 だがなんとそこで始まったのは、女5人額を突き合せたひそひそ話だった。 別にひそひそしなくっても良かったんじゃないのかな、と思いつつも彼女らの真剣さに引き摺られる。 彼女らは彼女らなりに、真剣にカカシに子供を望んでいるようだった。

               ・・・

 そんなこんなで、望むと望まざるとに関わらずイツキという女とも護衛の暗部共ともなんとなく”親しく”なったある日、女が深刻そうな顔をして寄って来た。 例によってデッキブラシ片手に風呂掃除に勤しんでいた時だった。

「相談があるんだけど、いいかな」
「いいよ」

 ブラシを持つ手を適当に動かしつつ返事をすると、イツキと名乗った女はポツリポツリと話し出した。

「オレ、いろいろ判んなくてさ、聞きたいんだけど」
「なにを?」
「ボルチオ器官ってなぁに?」
「ボ…ッ」

 思わずブラシを取り落とし赤面する。 知らないという事は人を大胆にさせる、と知った。 まぁ処女じゃしょうがないか。 しっかし、あの男、処女喪失させたばかりの相手に何しとんじゃ?!

「あ、あのさぁ、それってあの男に言われたの?」
「そう。 感じるはずだって言うんだけど、オレどうしてもわかんなくって。 どこらへんに在るのかも判んないし、どんな感じなのかも判んないし」
「けどでも、そんな事言うくらいだからアイツ、アンタのその…ボルチオ器官、責めたりするんでしょ?」
「うん、体がね、びくってどうしてもなっちゃう所は在るはあるんだ。 でも、全然気持ちくないし、どっちかっていうと…」
「痛い?」
「うん」
「そりゃあそうさ! 初めっからソコで感じられるわけないわよ。 アンタの所為じゃないわ、アイツが悪い。」
「ほんと? オレ、鈍感なのかと思ってた」
「ぜんぜんッ 年単位で開発するって話も聞いたことあるよ」
「年?! で、でもオレ、あと2日で子供作んなきゃ」
「そこだよ。 なんで子作りとボルチオ器官と関係あるのさ」
「え?…だって、そこでちゃんと感じないと赤ちゃんできないって」
「嘘うそッ それ大嘘!」
「そうなの?!」
「んな訳ないじゃない」
「なんだぁ…。 そうだよね、オレもおかしいなって思ったんだけど」
「中学の保体で何習ったのよ? 常識でしょ」
「そ…そうだよねぇ。 オレ、教える方なのに…」
「アンタ、教師なの?」
「うん」
「ふーん」

 なんで教師やってるようなしかも処女が、あんな男とこんな…。 イツキの素性は暗部達も知らされていないようだったし、興味を持つなという方が無理だった。

「アンタさぁ、あの男の子供を作るためにここに来たんだよね?」
「知ってるの?」
「女将さんから一応はね、だから邪魔しちゃいけないって注意されてるんだよ」
「そうなんだ… うん、この一週間で妊娠しないと…困るんだ、オレ」
「別に、アンタが困ることないんじゃない? また来月挑戦すればいいんだし」
「う…うーん」

 妊娠しなければ男に戻ってしまうなど、この時は思いも由らなかった。 だから関心は、なぜこの状況に至ったか、に集中した。

「で、学校の先生がなんで、こんなことに?」
「え? え…っとね、いろいろと事情が」
「アタシ、不思議でしょうがなかったのよ。 アンタみたいな初心そうな人がなんであんなエロそうな男の子供作んなきゃいけなくなったの? しかもアンタ処女だったんでしょ? 許嫁かなんかなの?」
「え、エロって… 処女って… そ、そんなことまで知ってんの?!」
「女将さんがね、アタシをアンタの相談役にってこの一週間だけ雇ったのよ。 できるだけ身持ちの固い、でも一応経験があって同じ年頃の、かと言って遊んでそうもない女って…、まるでアタシがモテナイ女みたいじゃない、ねぇ?」
「そう…そうだったんだ…」
「安心した?」
「うん! オレ、なんにも知らないから、よろしくお願いします」
「おうっ まかしときっ で、許嫁なの?」
「ち、違う違うっ そんな訳ないじゃない、オレとあの人じゃ」
「そんな訳ないって… じゃあアンタッ 好きでもない男の子供産むために処女捨てたって言うの?!」
「えっ? えっとー…その」

 木の葉の里は人道的な所だと聞いていたが、これはなんだ? いくらあの”はたけカカシ”が偉かろうと遺伝子が貴重だろうと、恋人でもない相手の処女を奪っていいことにはならないはずだ。

「そんなっ 酷いじゃないっ! なんで断んないのよっ!!」
「お、怒らないで、別に嫌々じゃないんだから」
「なーに? じゃアンタ、金で処女売ったわけ?!」
「違いますっ」

 こちらの勢いに釣られたか、或いは本当に頭にきたのか、イツキは憤然と怒鳴り返したが、すぐにシオシオとなって膝を抱く。

「違うもん」
「わかったわよ、アタシが悪かったわ。 でも、どんな事情があるのか知らないけど、自分をもっと大事にした方がいいよ」
「オレはただ…あの人に子供が必要だから、だから…」
「アイツのこと…好きなの?」

 イツキは、声には出さずにただ頷いた。

「アイツは?」

 また、ただフルフルと首を振る。 切ない。

「アンタ、それでいいの?」
「いいんだ」
「ふーん」

 でもあの男、男の恋人が居るんでしょう、と喉元まで出かかったが飲み込む。 こんないい娘、悲しませたくなかった。 アイツが好きだと、切なげに睫を伏せる。 抱き締めて慰めたくて堪らなくなったが、暗部の目があるので止めておいた。 それに、暗部の他にもう一つ目がある。 いや、耳か。 あの男が聞いている、と感じた。 写輪眼のカカシのくせに気配を隠せないのか、それとも気付いてほしいのか…。 今の件、アイツの耳にも届いただろうか。

「そのさ、妊娠しなきゃしなきゃって思い詰めないでさ、もっと楽しんだらいいんじゃない?」
「楽しむ?」
「だって、どうせ好きな男に抱かれるんなら、もっとセックスそのものを楽しんだほうがいいよ」
「でも、オレ…」
「そらそら、この際赤ちゃんのことは忘れなよ。 天の気紛れなんだからアンタがそんな思い悩んだって仕方ないって。 それよりもっと相手のこと感じてさ、自分の快感にも素直になって楽にしてたほうが絶対いいって。」
「楽に…ね」
「そう、その方がきっと女の器官なんかもよく働くんじゃないかなって思うよ?アタシは。 そういう風にできてるんだよ、アタシ達。」
「アタシたち…」

 イツキはポツリと言って自分と私を見比べると、小さく溜息を吐いて俯いた。

「オレとモミジさんとじゃ、ちょっと違うかもしれないけど…うん、そうだよね、そうしてみる!」

 彼女はそう言ってにこーっと笑った。 それが最後だった。

               ・・・

 イツキはその後の丸2日間、姿を見せなかった。 膳を運んで行っても、居間の方に居るのは男ばかり。 心配で、彼女の様子を何度聞こうと思ったことか。 でも、できなかった。 暗部のくノ一達の言う事には、彼女に万が一子供が出来ても、産まれた瞬間に引き離されることが決まっているらしい。 そういう契約なのだ。 写輪眼の男もそれを承知で、否、どちらかというと自分の遺伝子を残すという”義務”をサッサと済ませてしまいたい、そんな感じだった。 彼女自身もそれを承知の上なのかどうか、聞いておけばよかったと後悔した。 承知だとは思えなかった。
 最後の日、チェックアウトを求められて女将とともに部屋に赴くと、男がイツキを抱いて現れた。 男の腕に抱かれ、イツキは眠っていた。 顔が心なしか痩せていた。 目の下も少し落ち窪んでいる気がした。 もう一度その零れそうな黒い目を開いて笑ってくれと心から望んだが、クッタリと深い眠りに落ちている様子が外見だけからも見て取れた。

「アナタのお蔭で、とても上手くいきました。 ありがとう。」

 男がうっそりと笑って、イツキを抱いたまま横を通り過ぎた。 悔しかった。 悔しくて悔しくて、暗部の女達の口車に乗って彼女に要らないアドバイスをしたと悔やんだ。 イツキはこの後どうなるんだろう、子供を身籠ったとして産んだ後はどうなるんだろう、とそればかりが気になった。


 彼らが去って、女将に呼ばれ、給金と封書を一通渡された。

「イツキさんがアンタにって、ウチに預けに来たんよ」
「いつですか?」
「帰らはる3日くらい前やったかいな」
「…」

 あの後すぐだ。 ちょっと泣いた。 封書の中身は地図だった。 イツキの手書きらしい拙い地図で、「遊びにきてね」と殴り書きがしてあった。 女の手にしては豪快な文字だった。





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