酒宴
5
『ヒトリジメシナイデヨ』
カカシは、上忍控え室の窓から遠くにチラと見えるアカデミーの裏庭に屯す数人の男女を見ていた。
『ナニサマノツモリ? ブヲワキマエテホシイワ』
『ソウヨソウヨ カケヒキデモ シテイルツモリナノ?』
『アノヒトガ アンタミタイナダサイ中忍ニ イレコムワケナイデショ』
常備の単眼鏡で唇を読んでいただけなので声が聞こえていた訳ではない。 ましてや、こちらに背を向けて立っている黒髪チョンマゲ中忍が何を喋っているのか、元い、何か反論をしているのかどうかさえも判らないが、少し俯き気味の背と落ち気味の肩だけで、カカシは飛んで行って腕の中にしまいたくなった。
『チョットカワリダネヲ クッテミタクナッタダケヨ ソウイッテタワ』
---言ってねぇよっ(<今回はね!)
『モッタイブッテナイデ サッサトイッカイ ヤラセチャイナサイヨ』
『ソウスレバ アノヒトモ キガスムンダカラ』
『ソウヨ ナニ オタカクトマッテンノヨ』
あの人はもったいぶってなんかない。 どちらかと言うと潔すぎる嫌いがある。
『トニカク コノママグズグズシテイルンダッタラ コッチニモカンガエガアルンダカラ』
『アトデコウカイシナイヨウニ ヨクカンガエテチョウダイ』
くそっ 言いたい放題言いやがって。 あの調子じゃ、イルカ先生何にも言い返せないでただ黙って聞いてたに違いない。 アレ(玄関で送り狼未遂事件)以来、彼との間には微妙な空気が流れ唯でさえギクシャクしているってのに、ここでそんな過激なこと回りで言わないでくれる? イルカ先生、余計引いちゃうじゃないか。
あの翌日、どういう顔して会えばいいかそれは悩んだ。 でも、放置もできなかった。 だって、そうじゃなきゃあの人の方から俺のとこなんて来てくれやしないんだから。 このまま何となく自然消滅みたいな事だけは避けなきゃだよ、と頑張った。 イルカは強張った顔をそれでも何とか笑顔にして、あからさまに避けるような事はしなかったが、すっかり逃げ腰の状態に戻ってしまっていた。 元の木阿弥だ。 また一からやり直しかと天を仰いだが、同じ轍は踏まないとも強く心に誓ったもんさ。 今度は彼の方から近寄ってくるまで辛抱強く待つんだ。 そうだよ、彼の口から俺に惚れたと言わせてみせるって、最初のあの日にも思ったじゃないか。 もう無理強いはしない。 紳士に待つんだ俺、と鬼のような我慢をしてるって言うのに、アイツラ〜〜(苛)。
と、思わず拳を握ってギリっと奥歯も噛み締めて悔しがっていたカカシの目に、ハッとさせる一言が伝わってきた。
『不良上忍ケシカケテ マワシテモラッチャワナイ?』
『ソレイイ!』
それいい!きゃはははは…て(汗)。 女って恐ぇ。 イルカに捨て台詞を残して背を向けた彼女らがコッソリ交わした会話だ。 イルカには聞こえていない。
---くそっ
くそっくそっくそーーっっっ! イルカはと見れば、ぼんやり立ち尽くしてそんな彼女らの背を見送っていた。 その横顔の口が僅かに動く。
『オレ… …ッテルカナ…』
もったいぶってなんかいませんっ いいですか、イルカ先生。 誰がどんなこと言ってきても、絶対ついてっちゃダメですからね! いいやダメだ、こんな事ここで叫んでても。 どうしよう、どうしたらいい? あの人無防備過ぎる。 このままじゃあ…
「ええーいっ くそーっ 紳士がなんぼのモンじゃ〜〜っ!」
「そうだ、男だったら強引にリードしろ」
「へ?」
回りが見えなくなるほどの怒りと焦りに身を任せていたのか、隣で煙草の煙に巻かれてドッカリ座っている男に今気付いた。
「いー、いつから居たの?」
「さっき」
「あっそう」
で、誰のことだ?とかそこで訊かないのね、とそれ以上口を開かない髭面を眺め、ストンとその横に座る。
「ねぇ、アスマ」
「あぁ?」
「不良上忍なんてさ、居ると思う?」
「居る」
「どこ? 誰?」
「ここ、オマエ」
「なーる(ポンッ)」
って違う違う。 でも…その通りだよな。 俺は俺以上にあの人に無体を働く輩をずぇーったいに許さない。 あの人は俺のモンだ。
「サンキュ、アスマ」
「おう、今度奢れよ」
斯くして、間違って被った紳士の皮をかなぐり捨てた狼が一匹、自分で自分を戒めた檻から終に野に放たれた。
・・・
「もったいぶってるつもりは、無いんだけどなぁ」
取り囲まれて、言われ放題されて、それでも一言も言い返せなかった彼女らの背中をぼんやり見遣り、イルカは溜息を吐いた。 ついこの間までの自分だったら、「俺たちは唯の友達です」と言えたのに。 先夜の出来事がそれをさせてくれなかった。
「据え膳して喰われなかったんだもんな、この場合の俺って、どっちかって言うと「お高く止まってる」どころか地に落ちて泥に塗れてるよな」
午後の予鈴が聞こえてきたので、根の生えたような足を動かそうとしてヨロリとよろけ、イルカは思いの外恐かったんだと悟った。 どうしてこんな事になったんだろう。 カカシとの付き合いは、とても、とっても楽しかった。 あれを失うのは凄く哀しい。 そう思ったので、あの翌日もなんとか平静を装って出勤した。 もしかしたらカカシはもう自分には愛想を尽かしたんじゃないかという恐れを、精一杯の笑顔の下に隠した。 カカシが来てくれた時は泣きそうなくらい嬉しかった。
「部を弁えてない…かな、やっぱり」
前のまま、男同士の友達としてずっと付き合っていけたらどんなにいいか。 上忍と中忍だけど、ここは木の葉なんだ、有り得なくもないだろう? それではダメですか?と、何度も喉元まで出かかった。 でもカカシは最初から「性欲を伴った」お付き合いを望んでいると、はっきり言っていた。 今更こんなこと言うのは卑怯だ。
「それに、唯の友達としても不釣合いだって意味かもしれないし」
拘束時間が長すぎるって言うなら、これからはそれなりに考えて我慢するんだけど。
---我慢?
カカシに会えないのが我慢? カカシの笑顔。 カカシとの会話。 カカシと過ごす時間。 それが無くなったら俺…
「うっ」
想像した途端に胸が引き絞られるように痛み、もう少しでその場に膝を着きそうにまでなった。 人間て不思議だ。 感情面での痛みなのに、身体面に影響する。 こればっかりは誤魔化しようがない。 俺はあの人と一緒に居たい。 でも…
「痛たた…」
でもカカシは、本当に「一回ヤリたいだけ」の為に自分に優しくしてくれているのかもしれないし…。 そう考えただけで胸の痛みが倍になった。 とうとう地面に膝を着いて胸を押さえ、じんわり滲む涙を暫し堪える。 俺だってずっとそうじゃないかって思ってきたさ。 あの晩だって、俺がめそめそ泣いたりしたから呆れて帰ってしまったのかもしれない。 あの後カカシは何だか余所余所しいし、俺自身もカカシの顔が上手く見れない。 抵抗はできなかったし、でもこんな風に友達のまま抱かれたら、結局性欲先行の付き合いになっちゃうなと思ったら途轍もなく悲しくなったんだ。 でもだよ、それにしたって…
---同じ事でも他人の口から聞かされるとなんか腹立つっ
それじゃあまるでカカシが誑しみたいじゃないか(<そうなんです)。 俺は、カカシがそんな人だとは思わない(<いえいえ、そんな人ですから)。 縦しんば、自分達が一回関係してから疎遠になったとしても、それは自分の所為だろう?(<いやいや、全然違うからそれ) できればそんな事のないよう、ずっと友達のままで居たかったが、カカシが回りからこんな事ばかり言われているのだとしたら…
---俺、ちょーっと怒っちゃうよ?
むむっとなったイルカは、着いた手で地面の土を一握り掴みながらフンヌっと立ち上がった。
「俺、カカシさんに恋人にしてくださいって頼むっ」
もうこんなモヤモヤしてんの嫌だ。 他人から四の五の言われるのも嫌だ。 恋人ならセックスしろって言われたら、応よと答える。 いや、俺から抱いて欲しいって言う。 もうアレコレ悩むの止める。 それで一回きりで飽きられても…そ、そんときゃそん時だ、うんっ と拳を握り締め、オテントウサマに誓ったところへカカシが現れた。
・・・
「イルカ先生」
「カカシさん」
「俺、話が」
「俺、お話したいことが」
「…」
「…ある、んです、けど」
言葉と言葉がぶつかって互いに面食らう。 だが、鳥頭イルカの思考回路を理解しきれていないカカシがより面食らった分圧されたか、いや、こうと決めたら迷いがない分イルカの勢いが勝っていたからか、はたまた上忍の思考回路など最初から解ろうなどとは思わないイルカの勝利だったのか、カカシは黙り、イルカは言い募った。
「あの、俺… 俺と…その」
しかし、さすがに「恋人になってください」とは今までの経緯からも言い澱んだか、イルカが間を開けたその数秒のうちに、忍術戦のみならず心理戦・情報戦をも勝ち抜いてきた天才上忍カカシのCPUは唸りを上げて余計な状況分析をしていた。
---話? 俺と…? 俺と、別れてくださいってか?(恕ッ)
いやいやいや、別れるも何も、アンタらまだそういう意味で付き合ってないから。 そんなこと知るかっ イルカが何と言おうと、他の誰かにくれてやるつもりは無い。 くれてやるって、アンタのもんでもないから。 いんや、俺のもんだ。 もう紳士は止めだ。
「誰に何言われたか知りませんけど」
「俺と、俺と恋人になって、それで、俺と抱いてくださいっ」
「…」
「…」
? 今この人なんてった?
「あの、もう一回言ってもらえませんか」
「俺、もったいぶってなんか」
「…」
「…」
三度言葉がぶつかるが、鳥頭イルカに相手の言にまで気を回す余裕は無い。 とても恋の告白には見えない形相で睨みつけるようにカカシを見上げて、事情は分からないが土の着いた草が数本飛び出た拳を握って、言わなくちゃ、今言わなくちゃ、この期とこの勢いを逃したら、後からじゃ絶対言えなくなると必死だった。 だが上忍カカシは違った。 一度に3人くらいの会話は聞き分けられる自信がある。
「イルカ先生、落ち着いて。 はい、深呼吸」
「す、すーはー、すーはー」
「で、何て言ったの? もう一度、ゆっくり」
「俺、俺はアナタと、い、一回やややヤッテも、その、分不相応かもしれないけど、こ、恋人になって、そしたら、も、も、もったいぶってなんかいませんっ」
「…」
赤い顔。 はーはーと肩で息して、両手の拳をぐーにして(片方からは草)の力説ぶり。 必死な目。
「イルカ先生」
「はいっ」
いいお返事(笑)。
「わかりました。 後は俺に任せてください。 ちゃんとしますから。」
「は…はい…」
穴の開いた風船のように、イルカから力みきった気持ちがぷしゅーと音を立てて抜けていくのが目に見えるように判った。 その張り詰めた顔が、どうしていいか判らない子供のように途方に暮れる。 かわいい。
「イルカ先生は取り敢えずアカデミーに戻らなくちゃ、ね? もう本鈴がなりますよ」
「…はい」
「終る頃に迎えに行きます。 今日は残業しないでください。」
「…はい」
「それと、明日から3連休ですよね?」
「は? ああ、はい、そうですね」
「休日出勤なんか入れないでくださいね」
「え…っと、それはちょっとー」
「俺、明日誕生日なんです」
「え?!」
言われるまま問われるままにコックリ頷いたり首を傾げたりしていたイルカが、ハッとして慌てた様子でまたまっすぐ見上げてきた。 知らなかったんだな、俺はアンタの誕生日をちゃーんとチェックしてたんだけど。 まぁこの際仕方ない。 恨み言はベッドの中でたっぷり聞かせてあげよう。
「すみません、俺知らなくて」
「いいのいいの、俺が言わなかったんだから。 でもプレゼントに明日からのアナタの3日間、俺にください。」
「みっか…全部ですか?」
「はい」
「うーん」
鳥頭イルカ、恋人にしてくれと力んで訴えた事実はどこへやら、3日全部はきついなーとか、確か俺の誕生日にはカカシの願い事を聞いてあげた気がするんだけどなーとか、顎に手を当て考える。 そういうところも激かわいい。
「休暇については俺に任せてください。 五代目から二人分、何としてでももぎ取ってきます。 だからアナタは俺が行くまでいい子で待ってて、ね?」
「はぁ」
誰かや何かに釣られてどっか行っちゃダメですよと、まだ釈然としないと頻りに首を捻る度に揺れるチョンマゲ頭をわしわしと握るようにして頭を撫でる。 もうこの人は、髪の毛一本から爪の先まで俺のもの! ブラボーッ!素晴らしきはイルカの超ブットビ思考回路。 どこをどうしてそうなったのか全然判らんが全然おっけーだっ!
「じゃあ、後で!」
「はぁ」
呆気に取られた感のイルカの肩を押すようにして送り出し、時折まだ不安げに振り返り振り返りする後姿を見送った。 これは所謂「棚ボタ」ってやつ?
---棚ボタ、おっけーーッ!!
今、両の拳を握り締め、天に向けてガッツポーズをとるは上忍である。 とにかく、成り行きとは言え紳士を貫き通せてよかったよかった。 さて上忍よ、ここまで紳士できたのだから、このまま紳士で行くがよろしかろう。
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