酒宴


2


 ちぃちぃ、ころころ、ぴぃちくぱぁちく、ちちちちち…、小鳥が囀ってる。 さざめくように、高く、低く。 そこに時折、低いがよく響く通りの良い声が混じるのだ。 その度に小鳥達は沸き立つようにはしゃぎ回り、声を高くした。

---嬉しいんだな

 喜んでる。 なんだか俺も楽しい。 いい気分。 でも眠い。 花より睡眠。 団子より睡眠。 明日はまた演習だし、早起きして準備して…、ああ、こんな所で酔って寝てちゃだめじゃないか、俺。 でも、眠いんだ、もう少し…。 誰だ、鼻を摘まむな擽ったい。

「お止しなさい、寝かせておいておあげなさい」

 低い声が窘める。 すると回りで小鳥達が一斉に、クスクスクスと笑いさざめいた。

「だってカカシさん」
「ねぇカカシさん」

---カカシさん?

 ザーッと血の気の引く音を耳元で聞いた気がした。

---俺…また寝ちゃってたのか

 一気に覚醒はしたものの、寝たふり以外何ができよう。 回りでは、大勢のくノ一達がカカシを取り巻いて何やら楽しげに屯っているらしいのだ。

---あの夢って…

 こういうことだったのか、と冷や汗たらたらで思い出した。 いい夢だと思ったのに、落ちはこういうことだったか。 まぁそんなもんだよな。 でも…、ああ居辛い。 起きるタイミングが掴めない。 このまま終るまで寝た振りかしら、とジリジリしていると、例の耳触りの良い声が立ち上がったのかすっと上方に移動しつつ回りのくノ一達を促した。

「さて、そろそろ行きましょうか」

 火影様が追加の酒はまだかと苛々しておいでですよ、とそこら辺にあったと思しき酒瓶やら重箱やらをくノ一達それぞれに持たせると、ゆっくりと遠ざかって行く気配が感じられ、思わずほーと息を吐く。

---助かった

 気配が完全に無くなってからムクリと起き上がって改めて回りを見回すと、そこは花盛りの宴会中心地から少しばかり離れた荷物置き場だった。

---偉いぞ俺、ちゃんと場所を選らんで寝てたんじゃないか

 なのに何であの人達はこんな所できゃっきゃっと楽しげにしていたんだろう? 変だな、とまた首を傾げるも答えなぞ求まるべくも無く、イルカはえいやっと立ち上がった。 今日は幹事でもないことだし、自分が中座したとしても誰も文句は言うまい。 明日はまたしても朝から演習だ。 早く帰って寝よう。 そう思い決めると、幹事役の同僚に一声掛けてそっとその場を後にした。
 イルカが歩くは桜の森の満開の下。 人の気配が無ければ怖ろしくて気も狂うと、ものの本にも書かれた程の異空間だが、昔の人々が怖れて避けたそんな別世界も、今や大勢の酔っ払い達が呑み騒ぐ宴会場と化している。 なにも恐くはない。 桜の根元を恐がって泣いたのは、いったい幾つの頃だったろう。

「もうお帰りで?」
「え?」

 そう懐かしんで一人クスリと笑んだ時、声が、あの耳に心地よい低音ボイスが、それも直ぐ耳元で聞こえた気がして、イルカは怖気立ち飛び上がった。

「カ、カカシ先生?」

 だが見回すも一人。 誰も側には居ない。

---おかしいな、はっきり聞こえた気がしたんだけど

 気のせいだったのかな、と後ろ手に項を掻くと、ジットリと汗に濡れた感触と総毛立ったままの産毛が掌に感じられ、やはり確かに声を聞いたと確信すると共にソロリと辺りを見回す。 でもやはり誰の気配も無かった。

「カカシ先生」

 もう一度声にして呼んでみた。 きっと居ると思ったのだ。 その時一陣の風がざぁと吹き荒れて、イルカの回りで一頻り巻いて静まった。 それは、桜の花びらをくるくると乱舞するように渦巻かせ、イルカに花嵐を楽しませてくれた。

「わぁ」

 なんて…きれいなんだ、と両手を広げて思わず感嘆の声を漏らし、瞑目すること数瞬。 再び目を開いた時は、ただシンと静まり返りハラリハラリと落ちるのみの幾枚かが肩に、胸に、そして広げた掌に舞い落ちていた。

「カカシ先生、聞いてください。 先日の無礼をお詫びしたいのです。 差し出た口を利きました。 申し訳ありませんでした。」

 応えは無かった。 もちろん自己満足だと、俯き気味にふっと笑うと、イルカは桜の森を抜け切った。 これ以上そこに居続けると魂がどこぞへ持ち去られてしまう、そんな気持ちが胸に湧き、早く抜けよと足を速めたからだった。

               ・・・

 だからと言って、三度同じ状況に陥る自分ってどうなんだろう、とイルカは誰かの膝を枕にした状態で目覚めて固まっていた。 あの花見の宴から一月ほど経った、また別の酒の席だった。 春は酒宴が多いのだ。

---それにしたって、いっくら何でもこんなこと…有り得ない

 だってだって、いくら自分が酒に弱いボンクラ中忍だからって、人様の膝を枕にしようって勝負時に覚えが無いってことはあるまいよ。 剰え、先ほどから一人手酌で飲んでいる様子の膝の主が、猪口を上げ下げする合間々々に自分の後れ毛をスルリと撫で付けたりするもんだから悶絶ものの居心地の悪さだった。

---でも、気配が読めない

 男…の膝だよな? 胡坐かいてるし、筋肉が結構硬い。 細身である事はあるけれど、骨格が女性のそれとはやはり一線を画しているようないないような。

---でも、だって、男が男の、それも俺なんか膝枕して何が嬉しい?

 撫で付けられる手が優しくて、気持ちいいやら悪いやら、イルカはそろそろ起き時ではと考えて身じろいだ。

「もう少し、このままで」

 だがその肩を、意外と強い手がガシリと押さえて声までかかり、相手がカカシであると教えてきて、一気に大量の冷や汗が滲む。

「あ…の」
「しー、寝たふり寝たふり」

 う……なんでどうして? 寝た振りって、誰に対して? ってゆーか、この状況の説明してくれっ いやいやいや、それよりも何よりも、アンタこんなことしてて恥ずかしくないのか? 美女だったらいざ知らず、こんな、こんな…

「あんな風に…謝られても困ります」
「は?」
「しー」

 思わず目を開いて声を上げかかったイルカの今度は肩を、一度ポンと叩くように制されて、イルカは慌てて目を閉じた。 なんなんだ、どうしたいんだ?! ポンポンと2度ほど肩をあやすように叩いた後は、ゆっくりとカカシの手が肩から二の腕を繰り返し撫で擦っていくのにも冷や汗でしか答えられないでいるのが何とももどかしく、イルカは目を閉じたまま口をなるべく動かさないでカカシに問うた。

「起きたいんですけども」
「もう少し、このままで居てください」
「はぁ、でも」
「なに、こちらの都合です」

 お気になさらず、なんて言われても気になりすぎて困っちゃう。

「あの、でも」
「あの後」

 でもやっぱり、話すなら起きて対座して話したい。 と、どこかしらカカシの雰囲気に意味深なものが感じられ、大事な話ではあるまいかと無理にでも起こそうとした体はやはり、優しくはあるが有無を言わさぬ強さでもって押し止められた。

「アナタ、すっかり気が済んだみたいに一人ですっきりしちゃって」
「?」
「ズルイですよ」

 ズルイ? あの後って…?

「もう少し時間が欲しいんです」
「あの…なんのお話なのか、俺、さっぱり」
「こう見えて、私、案外気弱なもんで」
「はぁ」

 この人ほど自信家な人間も居ないもんだぜ、どこが気弱だ、だいたい何を言いたいのか見当もつかん、とにかく膝枕だけは何とかして。

「取り敢えず、起きていいでしょうか? 上忍の膝は高くって」
「ほら、そんな意地悪を言う」
「い…」

 意地悪ってそんな…、い、意地悪だったかなやっぱり、でもだって、中忍が上忍の、それもはたけカカシの膝を枕に泥酔しているなんて、それだけで後でシメられそうで恐いよ俺は。 くノ一の皆さまが黙っちゃいないだろう? それに他の上忍の方々からだって不敬だとかなんとかイチャモン付けられそう…(汗)。

「やっぱり起きますっ」
「だめっ」
「だ、ダメって、どうして?」
「そ…れはですねぇ」

 ふぅーと長い溜息が聞こえ、何か躊躇しているらしいカカシの珍しく乱れた気配が伝わってきて、イルカの方が逆に焦る。

---もしかして、俺、なんかとんでもない事態を引き起こしてカカシ先生にご迷惑を…?

 冷や汗が信じられない位どっと噴出した。 何かのアニメで、冷や汗で絨毯に染みをつくる猫がいたっけと思い出し、このままカカシの膝を俺なんかの汗で濡らすよりはなんぼかマシじゃ、えーいままよと飛び起きたイルカ、彼は結構な粗忽者であった。

「うっ 痛ぅ」
「え?! ど、どこか当りましたか?」

 いや、どんなに粗忽な俺だとて、頭を抱えてくれている人に頭突きをかますような起き方はしなかったつもりだが、と油汗を滲ませて前のめりに呻くカカシの顔を覗き込もうとして、イルカはそこに見てはいけないモノを見た。

「カカシ先生…」
「だ、だいじょうぶ…です、取り敢えず」
「あ、の」

 汗は引くどころか更に大量に噴出し流れ続けた。 なんでそうなるのか訳も判らず、イルカは恐慌状態で自分の頭上に結い上げた髷を両手で押さえ、これか?これの所為か?!と結い紐を解いてしまった。

「なにするんですっ」
「だ、って、あの、これの所為で」
「いいから、直ぐに戻してください、早くっ」

 まだ幾分苦しげにしていたカカシだったが、そんな事よりも重大な事だと言わんばかりの焦りようで、ハラリと髪の落ちたイルカの顔に向けて両手を振ったのだ。 だから隠されていた彼の股間は、またイルカの眼前に露になった。 そこは先ほどよりも更に高く持ち上がっていた。




BACK / NEXT