酒宴


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 カカシがその酒宴の場に着いた時には既に宴酣で、すっかり出来上がって騒ぐ者、管を巻く者、潰れて意識の無い者まで累々と其処此処に転がって、室内は騒然としていた。 なので、カカシがちょっと気配を抑えただけで、目立ついでたちでありながらも殆どの者に気付かれることなく入ることができた。 戸口でくるりと一回り見回すと、目的の人はすぐに見つかった。 だからサッサとそこへ行き、どかりと胡坐を掻いて一人で飲み始める。 そんな下座で、しかも誰かの手の着いた膳の猪口を二三度袖口で縁を拭っただけで、酒の残っている徳利を自分で漁って手酌で注いで、回りの喧騒もどこへやらという風情でチビリチビリと酒を舐める様は、里の高名な上忍には見えなかった。

「カカシさん、いついらしたんですか?」

 そんな下座に居ないでサァサァこちらにと、そろそろ気がついた者達が、代わる代わる酌ついでにカカシに声を掛けて上座に誘いに来たが、カカシはそのどれもを断った。 此処で結構ですよ、五代目の側などに居たら飲まされて堪りませんから、と穏やかに首を振り、一応酌だけは誰からも受けてそして全く酔うこともなく過ごし、会が開けるまでそこに居続けること小一時間。 カカシの直ぐ脇の部屋の隅で、余った座布団の山に身を投げるようにして泥酔している中忍の安眠を守っていた。
 次から次へと酌に来る同僚や後輩、華やかなくノ一の集団などなど。 それに愛想笑いで応対する合間々々に、カカシはその平和な寝顔を垣間見ては肴にしていた。 目線の意味を悟られぬように気を配ってはいたのだが、そのあどけないほどの横顔が辺りの喧騒にか時折眉間に皺を寄せたり、口元を尖らせたりする瞬間を目にする幸運に恵まれた時などは、さすがのポーカーフェイスもほんの少しだけ緩んでしまい、目聡い者の首をおや?と傾がせるに充分だった。

               ・・・

「オマエの寝顔を肴にしていたみたいだった」

 早々に潰されて、日頃の過剰労働の溜まりに溜まった附けも出て、カカシが来る寸刻前からそこで泥酔していたイルカは、結局お開きになるまで暴睡を決め込んでいた。 いつもなら、酒の席で潰れるが早いか悪戯---とは言っても、脱がされたり顔に落書きをされたり程度の他愛の無いものだったが---をされるのが習いなので、同僚に蹴り起こされてまず自分の衣服と顔を確かめたイルカがどこにも被害の無い事に返って驚きを隠せないでいるところへ、同僚の一人が不満も露に状況説明をしてくれたのだった。

「俺達の楽しみを!」

 俺達ぁ、潰れたオマエを弄るのが酒の席の最後の仕上げみたいなもんなのに! カカシ上忍のお蔭でやり損なった、と勝手な嘆きに暮れる同僚達を呆れ半分寝起きでぼんやり半分で見遣り、さすがにあの人の脇ではできなかったか、と何時に無い安眠の理由を知らされたイルカが、「でも、どうして?」と首を傾げているその胸座をぐいと掴まれ揺すられて、唾も飛びそうな顔の間近で喚かれる。

「なんだか物足りないっ」

 飲み直そうぜ、とイルカに悪戯できなかった鬱憤晴らしという名目の2次会は中忍のみの宴会だ。 すぐ潰れた割りに呑んだ気がしない先ほどの上・中忍合同宴会よりも、余程寛げるに違いない。 違いないが、明日は朝から演習だった。

「悪い、俺、明日朝一で演習入ってるから」

 と、危うく強制連行されるところをなんとか逃れ、イルカはせっかくの無傷の自分のままで家に帰りつくことができた。 だが、一風呂浴びてサッパリし、ほっと落ち着くと甦る先ほどの釈然としない気持ち。

「俺の寝顔を肴に?」

 有り得ない。 きっと偶然そこに座っただけだろう。 だって故意であるはずがない、と独り語ち、カカシとの唯でさえ薄い縁を反芻してみるも、やはりそれは一瞬で終ってしまうほど少ない関わりだった。 加えて先日の中忍選抜試験推挙の席での一件以来、まともに顔も合わせていない。 自分が差し出たと自覚のあるイルカは、幾分カカシを避けぎみの感さえあった。 きちんと侘びを入れて、受付け所でくらい普通に応対できるようにしなければ、と思わないでもなかったが、カカシの方も敢えて接触を持ちたいとは思わないのだろう。 否、歯牙にも掛かっていないと言うべきか。 口を利く機会さえ無く過ごし今に至り、所詮住む世界が違う者同士だったのだ、このまま有耶無耶でも構うまいと自分を納得させていた。 それが、酔い潰れて寝ている顔なんぞを見られていたとは…

「不覚」

 上忍と中忍が一緒に飲むことなどまず無い。 酒量が合わなさ過ぎるし、話も合わない。 席を同じくする理由が無いのだ。 その上カカシは大人数で飲む会に出席することが滅多に無いと聞いていた。 自分だって、上忍が居る酒席にはできるだけ行きたくない。 今回は運悪く幹事を任されて仕方がなかった。 でもまさか、選りにも選ってあんなどうでもいい飲み会に、それも任務の後遅れてまで来るなんて誰も思わないじゃないか。

「まぁ、偶々気が向いたんだな」

 聞けば、綱手の側には行きたくないとかで下座に座っていたということだ。 俺なんかが側でバカ面晒していて、さぞやむさ苦しかったことだろう。 でも、そんな事は二度もないだろうし、気にすることはない。

「さぁて、もう寝よ」

 明日は早起きしなくちゃ、と大きく伸びををしながら寝床に就いた。 その夜の夢は、華やかな女達の艶っぽい声が、まるで小鳥が囀っているように耳に入ってきて、煩いような楽しいような、そんな気持ちでふわふわと、でも眠くて眠くて堪らなくって、ただ聞き耳を立てていたと、そんなもどかしい夢だった。 変な夢だ、と起きてから首を傾げたが、自分がそんな風に持てた例は無いのでまぁいい夢だったんだと独りニンマリしてみたりした。 だがそれは唯のお零れだったのだ、と後日、別の酒宴で知ることとなった。




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