クープランの墓
- Le Tombeau de Couprin -
5
Menuet
第5曲:Menuet 「ジャン・ドレフュスに捧ぐ」
カカシの居ない一週間。 五日目。
あした、カカシは帰ってくる。
まだ少し体がふらついたが、イルカはオケに行った。 電車を乗り継ぎ、バスに乗り継ぎ、練習場へと歩く。 練習場はなんと先生の持ち物だ。 彼の自宅を見た時も思ったが、あの人は元々かなりの資産家のお坊ちゃんに違いない。 今は親も兄弟も居ず、ナルトと二人で暮らしている古い家。 掃除をしないので使用可能な部屋は彼らそれぞれの部屋と居間と台所と…、とにかく部屋数と住んでいる住人の数とパフォーマンスのバランスがめちゃくちゃだ。 でも不思議と妙チクリンな調和がある。
「グレツキの3番かぁ。 たしかにカンタビレの最後のところ、泣けるよな」
グレツキが息子を亡くして書いた曲だったか。 あの映画。 最後のシーン。 主人公は苺を食べて、アナフィラキシー・ショック症状に陥る。 そして事故に遭った時の白昼夢を見るのだ。 飛行機の隔壁が飛ぶ。 徐々に四散していく機体。 吸い出されて空の彼方へ飛んで行く”人”。 隣の席の友人も死ぬ。 そんな悲惨なシーンのバックで、劇的でもなく激しくも無いこの淡々としたパッサカリアが流れると、なんだか涙が止まらなくなる。 エンディングのロールが流れる頃にエレジーが始まり、ナルトが号泣したというラストへ向かって黒いバックに白い字幕が流れ続けるだけなのだが、やはり泣ける。
「おはようございます。 昨日はすみませんでした。」
「おおっ イルカちゃん、大丈夫?」
「はい、ちょっと疲れが出ただけみたいですから」
「そう? でも無理しないどきなよ」
「はい」
雪も収まったようで、今日は天気も幾分良い。 と言ってもこの地方の冬は快晴になることはほとんど無く、曇天でも”いい天気”なのだが。
「カカシちゃん、帰ってくんの明日だっけ?」
「はいっ」
「待ち遠しいねぇ」
「え、えへ」
顔に出ていただろうか。 会う人会う人が皆異口同音にカカシの事を問うてくる。 俺ってほんと未熟者。
「ねぇねぇ、早速なんだけどさ。 この1楽章のここんとこね」
「はい」
休んでいる間にボーイング併せが済んでいたらしいのでそれも聞き、自分の譜面に書き込む。 やることはいっぱいある。 帰ったら一週間分の掃除もして、お料理の下拵えもして、帰ってくるカカシを迎えよう。 なんだかナチュラル・ハイな感じだ。 きっとまだ微熱があるんだろう。 気をつけなくっちゃいけない。 だって明日カカシが帰ってくる。
「やぁイルカ君、もう来て平気なの?」
「あ、はい。 ご心配お掛けしました。」
「いやぁ、ナルトも熱出してね。 きっと風邪移ったんだよ。」
「そうだったんですか? で、ナルトはもう平気なんですか? 学校休んでるんじゃないんですか?」
「あの子はさ、キミより1日遅れて症状が出たくらいだし、その日のうちに熱も下がっちゃったよ。 学校も行ったし。 でもキミは」
「俺も平気みたいです。 そんなに熱も高くなかったし。」
「ほんとに?」
疑わしそうな先生の顔を苦笑して見上げ、実は検温もしていないことを思い出した。 いい加減な言い訳ばかりしても、何故だかこの人には通じない。
「ほんとです。 でも今日は早めに帰らさせていただきますね。」
「うん、そうしなよ。 カカシ君、明日だっけ?」
「はい」
思わず下げてしまった眉尻を見て、先生は訝しげに片眉を上げた。
・・・
カカシが帰ってくる!
カカシが帰ってくる!
イルカはスキップしながら帰り道で買い物をし、家路に着いた。 きっと和食が恋しいだろうから、煮物や和え物なんかで食卓を整えるつもりで下拵えをし、間に掃除・洗濯をした。 寝込んでいた間なにも出来なかったのだが、一人分の洗濯物はとても少なく、それがまた寂しい。 でもそれも明日まで。 明日の晩にはカカシと一緒!
「偶にはこの部屋も掃除機かけとくか」
物置になっている小部屋に入り、カーテンを開け少しサッシも開いて一通り掃除機をかけた。 イルカはマメそうでいてその実、結構大まかな性格である。 反対にカカシは、チャランポランに見えて神経質なところがあった。 人に押し付けたりはしないが、自分のテリトリには某かの秩序が在り、そこを荒らされる事を嫌う傾向にある。 だからいつも四角い部屋を丸く掃くだけの掃除だった。 だが今日は何となく気分が乗っていたので、なんとなく棚や箪笥の埃も払おうと思い立ち、いつもは開けない引き出しを開けて桟に溜まった埃を拭いた。 そしてそこに、妙に惹き付けられる物を見つけてしまった。
古いノートと手帳だった。 どちらも合成皮革のカバーが掛かっていた。 手帳の方が上になっていたので何とはなしにそれを手に取り、何の気も無く表紙を開けた。 そこに、小さな写真が貼ってあった。 プリクラで作ったような小さな写真だ。 二人、男性の顔が並んでいる。 その幾分低い位置にある顔を凝視して、イルカはクラリと眩暈を覚えた。
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