Christmas Holly
- topstar -
一日だけだよ、と先生は言った。
イルカを迎えに行こうと思い立ったのはほんの思いつきだった。 前から誘われてはいたが、先生に会うのがうざくて断り続けていた。 でも今朝、イルカの元気がなかったので、去年倒れた時の事が脳裏に過ぎり心配になったのだ。 自分の公演が終わるや否や紅達に後を任せ、イルカが毎日使うという列車に2時間揺られ、現場までまた数十分。 毎日こんなに苦労をしていたのか、と改めて思い知り、一言も言わないイルカの辛抱強さに頭が下がった。 そして現場に来てみれば、嘗て自分を親同様にかわいがってくれた人達が少しだけ老いていて、だが変わらず暖かく接してくれた。 そして皆異口同音に、おめでとうと言ってきた。 何のことだと訝しめば、イルカちゃんから聞いたぞ、と囃される。 天地が引っくり返るほど驚いた。 イルカは自分達の関係を他人には知られたくないのだとばかり、思っていた。
何というプレゼント!
イルカが自分をステディな相手だと回りに言ってくれたのだ!
「カカシくん」
だが、喜びはしゃぐ自分を呼びとめ、浮かれた気持ちに戒めの楔を先生が打ち込んだ。
「イルカくん、最近無理してない?」
「…」
否、と言えなかった。 通勤路の厳しさも、自分は今日まで知らなかった。 それなのに欲しい欲しいとプレッシャーをかけるような事を平気で…
「君が彼を特別に想ってる事は、僕も彼もよく判ってる。 だけどね」
君達はもう社会人なんだから、きちんと責任を果たさないと誰にも認めてもらえない。 特に君達の関係は異端だ。 今は大分理解されてきてはいるけれど、まだまだ迫害されて当然の立場だということを忘れないように。 あの子は充分弁えて耐えているよ。 自分の役目を果たそうと必死だ。 君はそれを判ってやれているのかい? あの子の努力を認めた上で、あの子の事を理解して、あの子の不安を取り除いてやれているかい? アスマ君や紅ちゃんに負んぶで抱っこでいないかい? 一日だけあげる。 だからよく考えなさい。
「最近、不安定みたいだしね」
「最近って何時から? 俺と暮らし始めてから?」
「違う、もっと最近だ。 多分君のこと、カミングアウトしてからだと思う。」
「なんで判るの?」
「音に出てる」
「でも、イルカ先生は、割と感情の起伏が激しい方だから」
「いや、僕も最初はそう思ったんだけど、実際のところ彼は驚くほど波の少ない演奏家だった。 安定していてまるで調律師のような仕事をする。 彼が入団してウチの楽団は随分助かっているよ。 他の団員との関係も良好だし、泣いたのを見たのも入団が決まった後話をした時だけだ。 その時だって君の事以外では泣かなかった。 彼は自分の事では全く泣かなかったんだよ。 演奏もとてもストイックだ。 でも、ここ数日、今までにない不安定な波が演奏に出てる。 ぼーっとしてる事も多いし、かと言って身体の調子が悪い訳でもなさそうだし。 家ではどうなの?」
「イルカ先生は、俺と居る時はよく泣いたりするから」
「…それって、君が泣かしてるだけじゃないだろうね」
「そ…! そんなことないよ!」
「あの細い身体に君のその一物を受け入れさせてるってだけでもすんごい無理させてるんだからね? 判ってる?そこんとこ」
「せ、先生、露骨過ぎっ」
「何を今更。 で、最近は? 何か変わったことなかったの?」
「昨日、そう言えばちょっと変だったかも…」
「変って?」
「不安だって… 俺のこと打ち明けたの後悔してるのかな」
「そうだとしても、多分君の為だよ」
「俺、どうしたらいい? ね、先生」
「都合よく子供面しない! ほら、来たよ」
君が彼のパートナーだ、カカシ
先生はそう言って突き放した。
ホールの戸口でこちらをぼんやり見ているイルカは、近付いて来る気配がなかった。
・・・
「もう行くよ、皆によろしく言っといて」
カカシはもうこちらを見なかった。 目がイルカに釘付けになっている。
「うん、判った。 カカシ、明後日にはちゃんと来させてね。 明々後日はウチの年末公演だし、その翌日にはそっちのチャリティだ。 判ってるね?」
「はい」
ホールのあちらとこちらで見つめあう二人が切なかった。
イルカが自分からカカシとの関係をカミングアウトしたと聞いた時は驚いたが、嬉しかった。 彼はとても臆病だ。 身近な者を失う恐怖に怯えてこれまで一人で過ごしてきたのに違いない。 だが、カカシに出会って彼も変わろうとしているのだと思うと、カカシの為に嬉しかった。 それに、イルカが恐れているのが自分のデメリットでないのも判っている。 カカシの為に恐れている。 臆病になっている。 それでもそれらの恐怖感を凌駕して尚カカシを求めてくれるまでに、彼の気持ちが高まってくれているのなら、それはカカシの為に自分は嬉しい。 何故なら、カカシはとっくにその域にまで達してしまっているのだから。 求めるばかりで求められない辛さや切なさは、自分がよく知っている。
カカシは、走り出したいのを堪えているのだろう、体が前のめりだったがそっと、野性の草食動物を怯えさせないように近付く者のようにそっと、片手をイルカの方に差し延べなが真っ直ぐ歩いていった。 ホールのざわめき。 グラスの触れ合う音。 それらに紛れても尚、二人の間には他に何も無いように見えた。 カカシも恐れている。 イルカがその背を翻して自分を置いて出て行ってしまうのを。 心から。 求めて止まないカカシの心が、痛いほど自分に流れ込んできて、思わず胸を押さえた。 その一瞬に二人の姿はホールから消えていた。
「き、緊張した…」
「なぁ」
「なんで俺らがこんなに緊張しなきゃなんないの?」
「まったく」
団員達も心配していたらしい。 さわさわと口々に囁きあい、出口の外を頻りに気にしている。 ふっと溜息と共に笑みが零れ、仕方ないなと頭を振って二人の後を追い外に出た。 あのままでは済むまいに、だが彼らの家路は遠い。
「カカシくん」
出て直ぐの所でイルカを固く抱き締めているカカシの背に向かって鍵を放る。 カカシは片手でそれをはっしとキャッチした。
「ナルトは今晩はお友達の家にお呼ばれしていてお泊りだそうだから」
「ありがと、先生」
「一日だけだからね」
「うん!」
カカシくんたら、まだ僕の家覚えてるのかな、とちょっと心配になったが、まぁいいや、野暮はすまいと踵を返す。 やれやれ今日はホールで夜明かしか。 明日の昼にはナルトを迎えに行かなければ。 それからゆっくり夕方くらいまでナルトを引き止めて、と…。 とにかく今は、他の団員達が質問攻めにしようと手薬煉引いて待っているに違いない。
・・・
先生の家は相変わらずとっちらかっていた。 やはり昨日早めのクリスマス・パーティをナルトとしたらしく、ケーキの包みやらクラッカーのカスやらが散乱している。
「相変わらず汚ったねぇなー」
「ほんと…」
「でも、前よりいいよ」
「うそ」
イルカの手をしっかり握ったまま、なんとか見えている床を踏み分けて先生の寝室に侵入する。 そこはもっと酷かった。
「うわっ 腐海の森だなこりゃ」
「ほんとにいいんですか? 勝手に」
「いいのいいの」
だって、と言うイルカの口を口で塞ぎ、怪しげなベッドに押し倒す。 イルカは抗わなかったが、その少し冷えた身体を組み敷き熱い楔を打ち込んでからやっと安心できる自分がおかしかった。 イルカはもうどこへも行かないと言ったのに、自分はさっきホールの出口で先に外へ出ようとしたイルカの背中を見ただけで、腕をきつく掴みあげてイルカを掻き抱いていた。 そして呆然とするイルカを、これでもかと固く固く抱き締めた。 逃がさないように、離れないように。 先生が来なかったら、イルカの身体のことも考えず、そのままその辺の暗がりに連れ込んでいたかもしれない。 身体を繋げると安心するのは何故だろう。 イルカもそう感じて、昨日あんな目をしていたのだろうか。 今イルカは自分の下で、カカシ、カカシと何度も自分の名を呼んでは、背に首に縋りつく。 見つめてくる瞳が何かを必死で探しているようで、自分も不安だ、と言っていた昨日のイルカの顔を思い出し、情けなくなった。
---俺は不甲斐ない
イルカを鳴かせながら思うことじゃないんだけど、と反省するが身体はどんどん熱くなっていく。 明日は歩けなくなってもらおう。 喘ぐイルカを抱き締めて、自分も名を呼ぶ。
「イルカ」
イルカがくしゃりと泣き笑いするように顔を歪め、吐息混じりで呼び返してきた。 口が、カ、カ、シ、と紡ぐ。 その音にならない音を聞き、更に固く抱き締めると、カカシは激しくイルカを責め立てた。 ここまでするのは3ヶ月ぶりだった。
・・・
声が出なかった。 身体も起こせない。 カカシも居なかった。
『カカシ』
呼んでも、掠れた息だけの声が雑然と物が溢れた部屋に吸い込まれていった。 知らない部屋は不安。 何も身に着けていないことが不安。 動けない自分が不安…
「不安なの?」
昨夜、カカシの腕に固く抱かれたままとりとめもなく話した。 うまく言葉にできずにいると、カカシの方が色々な選択肢を用意してきて答えを促す。 恥ずかしさや切なさが正直になる事を遮り、答えををごまかそうとしても、抱き込まれ吐息が触れ合うほど近くで顔を覗き込まれながら重ねて問われると、嘘が言えなくなった。 カカシは変わらず自分の顔を覗きこむようにして話す。 それは知り合った最初の頃からだったので、カカシの癖なのかとずっと思っていた。 だが、実はそれがカカシの不安の証なのかもしれないと、昨夜やっと気付き、ごまかしてはいけないと強く感じた。 訥々と、イルカは話した。 はっきりした形のない事柄も、こんな感じで不安なのだと訴えた。 カカシは特に何か解決案を言うでもなく延々と自分の話を聞いてくれた。 最後もただ、今は?と聞いただけで論評も助言も無かった。
「今は…平気、みたい」
「そ」
そう言っただけだった。
「イルカ先生、起きた?」
泣いてしまう前になんとか自分で起きようと思った時、カカシが扉を開けて入ってきた。 関東とは違う気温の低さを肌で感じた。 カカシが見たことの無いフィッシャーマン・セーターを着込んでいる。 それは、確かに最初は純白だったのだろう、と判る程度に白い、だがとても暖かそうなセーターだった。 朝の光が寒さの所為か自宅で見るよりキラキラと散乱して見える。 カカシの銀の髪もまたキラキラと輝いて、とても奇麗だった。
「先生んち、冷蔵庫に碌な物ないんでやんの。 ほら、でもいいものあったからちょっと作ってみたよ。」
起きれる?と言うより早くベッドの端に座り、肩を抱いて起こしてくれた。 片手に持ってきたものは、ガラスの器にバニラとチョコのアイスクリームを適当に盛り付け、生クリームと缶詰フルーツでこれまた適当に飾ったケーキらしい代物だった。 居間の散乱物の中から拾ってきたに違いないと容易に想像できる燃えさしの蝋燭が1本立っている。
「昨日、ケーキ買わなかったでしょ? ほら、アイスクリームケーキ! 見える?」
「ふふ、見える見える」
剰えスプーンで掬って口に運んでくれる。 それは甘く冷たく、痛んだ喉に気持ちがよかった。
「おいしー」
「ほんと」
カカシも自分の口にどんどん運び、そのささやかなケーキはあっと言う間に無くなった。
「ふぅっ もう終わっちゃった。 腹の足しにはなんないね」
にこりと笑うカカシに見惚れる。
「カカシさん、そのセーター、先生の?」
「うん、小汚いけどま、あったかいよ」
「そういうの似合いますね」
「関東じゃ要らないけどね」
「でも、かっこいいです」
「…不安?」
カカシはちょっと小首を傾げるようにしてイルカの顔を覗きこみ、問うた。 昨夜、カカシがかっこいいと不安だと、意味不明な事を訴えたのでそう聞くのだ。
「ううん、ぽわんとする」
「なにそれ」
カカシはまたかっこいい笑顔で笑った。
そして、剥き出しのイルカの肩を包むように抱き込んでくる。
とても暖かだった。
好きで堪らない、そう思った。
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