千の星


6


 おまえはバカだ、と妖狐は口癖にように自分に言う。
 おまえと樒は全然違う。
 妖魔が何代にも渡って海野一族を相手に選んでいたかだと?
 おまえ、妖魔をバカにしてるのか。
 自分の一族の事をそれほど節操のない者だと本気で思っているのか。
 実際、白虎は樒一筋だったし、樒はその後、言葉に尽くせないほどの酷い目に遭ったが、ただひたすら白虎の事だけを想っていた。 俺の所為で樒は…。
 その後の妖狐の話は、ただ悔恨の情のみに終始した。




               *****




 樒たちに初めて出会ってから数週間後、妖狐は里で樒に再会した。 里で人に会うという千影に同行した時のことだった。 この時、千影に付いて行かなければよかったのだろうか。
 妖狐は樒を見つけると、あれ以来だったこともあり嬉しくて、思わず樒に声を掛けていた。 人々の間で見る樒は、ごく普通の男に見えた。
「樒さん!」
 樒は振り返ると暫らくきょとんとしていたが、妖狐が側まで行って、森の強姦魔ですよ、と耳元に小声で囁けば、ああ、と手を打った。
「お久しぶりですね」
 物柔らかな口調で、おっとり妖狐に笑いかけてくる。
「あの焼き餅焼きの旦那とは相変わらずで?」
「旦那って…」
 妖狐がにやにや笑って問うと、少し困ったように眉尻を下げて小声で返してきた。
「俺、これでも妻子持ちなんですから、その事には里では触れないでください。」
「ええっ 妻子持ちぃ?」
 妖狐はこれ以上ないくらい素っ頓狂な声を上げた。 樒が慌てて辺りを見回す。
「ちょっ 大声はどうか…」
「あ、ごめんなさい。 でも驚いたなぁ。 子供って幾つ?」
「今年でもう16ですよ」
「ええええっ 16ぅ?!」
 またしても樒があわあわと手を振る。
「ご、ごめん。 でも、16って、あんたいったい幾つなんですか。 俺、25、6かと。」
「もう40に手が届く年齢です。」
 少し拗ねたように言う樒は、だが全くそんな年には見えなかった。 妖魔と睦んでいる所為だろうか。
「若いですね。」
「まぁ、よく言われますけど、男がそんなこと言われても困るだけですから」
 本当に困る事情があるのだろう、樒は少々複雑な表情を浮かべた。 そこへ、他所で人と何やら話し込んでいたはずの千影が割って入ってきた。 この時、千影に悟られる前に樒と別れていればよかったのだろうか。 そもそも樒に声など掛けなければよかったのだろうか。
「こちらは?」
 妖狐は一瞬、しまったと思った。 樒が千影の好みそうなタイプだったからだ。 樒の方も、千影を見た途端、何故か緊張しているのが伝わってきた。
「そんなに警戒しないでくださいよ。 私はこいつの主です。」
 主従関係を言われてムッとしたものの、逆らえず樒と千影を引き合わせる。 この時、真正直に紹介などせず、何故適当にごまかしてしまわなかったのだろう。
 その場はそれだけで終わったが、千影は並々ならぬ関心を樒に対して抱いたようだった。 妖狐の胸に不安が灯った。

 白虎の言った通り、千影の属する忍の集団・木の葉党は、程なくある豪族の下で働くことになった。 先に里で談合していた相手が、その繋ぎ役らしかった。 この国、巴の国の一地方豪族の中では力の強い方だったその一族は、国の首長に取って代わろうとしているとの噂が絶えなかった。 戦乱の時代だ。 いつ手下の者に寝首を掻かれるか判らない世の中だった。 豪族は競って当時急激に台頭し始めていた忍を雇い、妖魔狩りさせて力を蓄えようとしていた。 千影は、普段は政治になど何の関心もないような素振りでいたが、そういう場に出るとなかなかどうしてかなりの策士振りだった。 妖狐の存在もアピールされ、これからの戦は如何に強力な妖魔を遣えるかで大勢が決まると説いて、大掛かりな妖魔狩りを行う許可や資金をモノにした。 妖狐の不安は形を成して大きく育ちつつあった。 樒のことさえなかったら、妖魔狩りと聞けば躍り上がって喜んだだろう。 忍達と組めば、自分より各上の妖魔を喰らうことも可能だからだ。 強力な妖魔を喰らうことができれば、それだけ妖力が高まり、尾も割れてレベルも上がるだろう。 だが、妖狐は顔を曇らせた。

「どうした、何故喜ばない? 何か気掛かりでもあるのか?」
 ある晩、塒で唐突にそう問われ、妖狐は逆に日々感じていた不審を千影にぶつけた。
「あんたこそ、勝手にどんどん決めていいのか。 千明は妖魔を遣うことに反対のはずだ。」

 千明は常から妖魔を遣うことに難色を示してきた。 特に千影が自分を遣うのが最も気に入らないらしかった。 妖魔など所詮信頼に足るものではない、いつかきっと裏切る、というのが千明の持論で、忍は忍の力のみで戦うべきだと千影に正面から拮抗した。 それに対し千影は、元より妖魔を信頼などしておらず、真名によって抑え込み従えるものだと言って憚らなかった。 実際、自分に対する扱いも決して信頼などと言うものを拠り所にした所など微塵も無かった。 千明は、千影のそんな遣り方が不満だったらしい。 だが、妖魔を用いた戦いは圧倒的だった。 今や五尾の妖狐となった自分を遣い、千影ひとりで数十の兵を相手にできた。 その代わり、妖魔同士の戦いになると戦場の悲惨さは煉獄のそれだった。 妖魔を遣う事を考えるのは何も千影ひとりではない。 敵も妖魔狩りに精を出し始めた。 もし、対抗する者の誰かがあの白虎を手に入れたら、自分はいったいどうするのだろう。 覚悟を決めておけ、と白虎が去り際言った言葉の重さを、妖狐は今更噛み締めていた。

「おまえが前、里で話していた男な、海野 樒という。」
 妖狐はぎくりとして千影を見た。
「ある妖魔の情を受けているらしいが、おまえ知っていたか。」
 忍の諜報力を思い知る。
「その妖魔の真名を、彼は知っていると思うか?」
 それは質問ではなかった。 確認だった。
「今度、俺達が仕えることになった城主がな、男の趣味があるそうだ。 あの男、いいと思わないか?」
「……! あんたっ 何をっ」
 妖狐は千影の確信犯的な誘導のその先を読んで、血の気が引くのを感じた。
「何をした」
 低く唸るように問うと、千影は隠そうともせずに言い放った。
「まず俺が味見をして、城主殿に献上した。 昨日だ。 なかなかいい体だな。」
 目の前が真っ赤に染まった気がした。





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