千の星


5


『あ……あぁ……うん……んぁ……』

 樒の声が森中に響く。 最近、千影と塒を共にしていたので知らなかったが、毎夜のことなのかもしれなかった。 仕置きを受けるつもりではなかったが、妖狐は森に留まって一晩中睦み声を聞いていた。 あのふたり、どこで愛し合っているのやら。 聞こえてくる方向が全く解らない。 ただ森中の其処此処に、切れ切れに声が響いている。
「堪んないなぁ…」
 溜息しか出ない。
 あの白虎がどうやって樒と出会ったのか知り様もなかったが、最初はどうあれ今はただ、あのふたりは愛し合っているだけだ。 妖力が上がるとか、精気がどうとか、そんな処からは遥かに離れた場所にいるような気がした。 だいたい白虎が人を犯すなど聞いたことが無い。 なのにあの白虎ときたら、樒にめろめろだ。 樒も…。
「切ないなぁ…」

『あっ あっ あっ ああっ』

 樒の喘ぎ声が忙しなくなる。 ふたりで高みを目指している。

『あっ ……ぁああーーっ』

 樒の絶頂が伝わってくる。 妖狐は体中が熱くなった。 もちろん欲情もしているのだが、あの樒の達する様を想像するだけで胸が熱くなる。 自分との行為で樒は二度達した。 その時も妖狐は、直ぐに中に入ってめちゃくちゃに揺さぶりたい衝動と、もっと彼の達する様を見たい衝動とを感じていた。 この男をもっと感じさせたい。 気持ちよくさせたい。 喘がせたい。 そんな、自分の快感よりも相手を悦ばせたいという欲求が生まれてくることなど、それまでなかった。

『…んぅ……ぁぅっ…ぅん…んー…』

 樒の声がくぐもる。 接吻けを交わしているのだ、きっと。 樒の口中を犯したときの甘い感触が甦る。 くぐもったままの樒の声がそのまま続いていた。 白虎の奴、達った樒の過敏になった体を尚も抉っているに違いない。 接吻けを交わしながら。 抱き締めながら。 自分の絶頂を抑えてまで樒を悶えさせたい白虎の気持ちが映すように解る。 その時、樒の声に啜り泣きが混じりだした。 胸が締め付けられる想いというのを、妖狐は初めて味わった。




               *****




 海野柾はずっと黙って聞いていたが、ふいと妖狐から顔を逸らすと小さな声で問うてきた。
「その樒さんに、俺が似ていると?」
「ああ、そうだ。 きっとおまえの先祖だぞ。」
 あっはっはっと妖狐が笑っている間に、海野がぽつりとまた問うた。
「じゃ、俺は………ですか?」
「はははは、え? なんだって?」
 海野はうつ伏せたまま両腕に顔を埋めて、もう妖狐を見ようとしなかった。

 妖狐の名前の由来を寝物語に聞いていて、思わぬ長い昔語りになっていた。 この廟に来て直ぐにさんざん愛された後、妖狐の褥で寄り添っていた時だった。 海野には、木の葉の隠れ里の建国者である初代様や二代目様の名前が出てくるだけで興味津々だったのだが、妖狐がその初代様の遣い魔だったとは吃驚だった。 まだ尾も割れていない可愛らしい(と海野は思っている)狐の妖魔の姿を見たかった、などと思ったり、決して他者に屈服しそうにない今の傲慢な妖狐が尾を下げて降参する様を想像してひとり含み笑いを零したりしていたのだが、樒の姓が「海野」と聞いて自分がその血に連なるものだと確信した。 自分と父も驚くほど似ていたし、イルカも自分にそっくりだとよく言われる。 男児一人を以って細く連なる海野の血の、その容姿に関する遺伝形質がきっと優性なのかもしれない。 何らかの理由があるのだろうか。 命のサイクルが違う妖魔と人間。 きっと何代にも渡って一匹の妖魔に愛された海野たちもいたのかもしれない。 その妖魔は、いったいどの海野をどの海野の代わりに愛してきたのだろう。 海野たちは皆、それに納得していたのだろうか。

「なんて言ったんだ?」
 問うても顔を上げようとせず、なんでもないです、と海野は自分の腕の中で頭を振った。 妖狐は溜息をひとつ吐くと、海野の体を無理矢理引っ繰り返して腕を顔から引き剥がした。 顔の横で両腕を抑えられても、海野は妖狐に顔を見られまいと横を向く。 妖狐は構わず、顔を背けたことで晒された海野の首筋を吸い上げた。
「い、いやですっ もう今日は嫌です。」
 何時に無く真剣に抵抗する海野をあやすように抱き締めながら、妖狐は囁いた。
「また碌でもない事で一人でへこんでいるんだろう? そういう時は体に教えるに限る。」

 ここ、九尾の妖狐の廟に通うようになってから何年経つのか。 未だに妖狐は、海野がここに居る間中、海野と繋がっていたがった。 数日に一度訪れるのみの逢瀬ではあったが、自分のどこにそれほど彼の興味を持続させるモノがあるのだろうかと不思議だった。 海野は、いつか飽きられてこの身を喰らわれる日が必ず来ると、自分は厭くまでこの大妖魔の生贄なのだと、自身を戒めているつもりだった。 だが今日、彼は昔の想い人の話を懐かしそうに語り、自分がその人に似ていると言う。 彼は自分を抱いていたのではない。 彼は終ぞ叶わなかった想い人への執着を、自分で晴らしているのだ、と思った。 そう思った瞬間、自分がこの妖魔の愛人であるかのようなつもりでいたことを自覚した。 それほど彼がこの体を求めたからだ。
 でも違ったんだ。
 俺は代用だったんだ。

「何を泣く?」
 再開された愛撫に喘ぎながらも涙を零す海野に、妖狐はさすがに少し焦れた。
「…今は、したくありません。 少し、放っておいて、ください…」
 途切れ途切れに訴える海野が何を思っているか、実はだいたい解っていた。 何年もこの男だけを抱いてきて、海野の思考回路がどんな結論を導き出すか、学習せずにおられようか。 事在る毎にその事を指摘し、窘めてはきたものの、海野は一向にその自虐的とも言える後ろ向きな考え方を改める気配がなかった。 いちいちフォローなどする気のない妖狐は、一回言って解らなければ無理矢理抱いて体に聞かせることにしていたので、今回も遠慮などしなかった。
「バカには体に聞かせるだけだ。 俺は遣りたい時に遣りたい様に遣る。」
 妖狐は海野の両足を肩に担ぎ上げ、いきなり己を穿った。 だが、既に開いた体でもさすがに直ぐには入らなかったようで、先の部分を捩じ込んだところで海野は息を呑んで硬直してしまった。
「……ッ ……ゥ」
「…くっ 息をしろっ」
 妖狐自身も相当辛く、食いしばった海野の口元に手を伸ばし、指を突っ込んで抉じ開けると、海野はやっと忘れた呼吸を取り戻した。 大きく胸を喘がせる海野の脇腹辺りを何度か撫で、腰を強く掴むとそのままじりじりと体を進める。 海野は浅く息を繰り返しながら、青褪めた顔を緩く振った。 涙が眦から筋を作る。 涙を吸って接吻けたかったが、今体を折ることはできない。 妖狐はなんとか自身を全部を納めるまでゆっくり海野を穿つことに専念した。

 楔を穿たれ、裂かれる痛みに苦しみながら、海野は自分が物であるように感じていた。 冷や汗が全身に滲み出る。 はっはっと短く息を吐き続けていると過呼吸なのか次第に意識が白く霞んできた。 このまま失神してしまいたい。 目を閉じてくらくらする頭を二三度振ると、目尻に溜まった水分が右に左に流れて行った。 一回浮き上がったように感じた意識がすぅっと重く沈みそうになった時、上からぽたりと水滴が落ちてきて意識を引き止められた。 自分の上で汗を滴らせながら妖狐が顔を歪ませて遅々とした行軍を続けている。 そんなに苦しいなら止めればいいのに。 ふっと可笑しくなった。 すると自分の身体の力が幾分かでも抜けたのか、途端にぐぐっと妖狐が体を進め、海野に覆い被さって肩口で荒い息を吐いた。 ひくっと声にならない叫びをあげて海野は仰け反った。 その浮いた背に片腕を差し込み、もう片腕を首に回すと、妖狐はまだ荒い息のまま噛み付くように接吻けてくる。 乱暴なのに、目尻の涙を吸うときだけは優しくて、また目に水が溜まった。 優しくされても甘えてはいけない気がして辛かった。 自分に対する甘やかしではないと思うと辛かった。
「久しぶりに死ぬかと思った。」
 一頻り海野の顔中に接吻してから、やっと顔を離して上から覗き込むようにして、妖狐がふぅと息を吐いた。
「動いていいか?」
「え?」
 驚いた。
「動いていいかと聞いている」
 海野は心底驚いて目を瞠った。
「…そんなこと、今まで聞かれたことありません。」
「そうだったか?」
「だってあなたは、遣りたい時に遣りたいように遣るんでしょう?」
 先程言われた言葉を繰り返す。 だが妖狐は海野の頬に手を宛がい、じっと瞳を覗き込んでまた問うた。
「動いていいか?」
 海野はこくんと頷いた。

 それからの長い時間、バカには体に教えると言われたことを、海野はたっぷりと実行された。 最初の乱暴さとは裏腹に、じれったいほど優しく執拗だった。 真上からまっすぐ目を見下ろされて緩く長く律動を刻まれると、自分の喘ぐ顔を見られることに居た堪れなくなり、甘えまいとする自分の矜持も直ぐに霧散してしまって、顔を伸び上がらせては接吻けを強請った。 今までされたこともないような優しい接吻けを丁寧に施されると、代わりでもいい、と思えて、それがまた辛くて、優しい律動に焦れる振りをして首を振って涙を零した。 どこか辛いのか、と問われて、いいえ、どこも、と応えた。 感じすぎて辛いんです、と応えてまた泣いた。 妖狐は海野の両足の腿に手を掛け限界まで大きく開かせると、腰を擦り付けるように回して海野の中を掻き混ぜた。 決して激しくはないゆっくりとしたその動きは、だが酷く海野を悶えさせた。 頭を打ち振り、喘ぐ海野に、妖狐はただ優しく接吻け、顔を見つめる。 その長く、頂を極めるには足りない甘い刺激に翻弄されて、届かないモノに手を伸ばす思いで海野は妖狐に縋ろうとして、止めた。 喘ぎながら自分の手を見て思う。 この人が喘がせたいのは樒。 これは自分の手。 樒の代わりに喘ぐ自分を見られるのはいい。 だけど今縋ったら、自分で自分を抑えられない。

 手を伸ばしかけた海野が、ぱたりと両手を顔の脇に落とすと、目を閉じて大きく喘ぎだした。 固く瞼を閉じて眦から涙を零しながら、妖狐を見ようとしない。 縋りつかれるのを期待した妖狐は、幾分残念さに苛つきながらこのバカな男にどうやって解らせようか思案した。
「シキミ」
 試しにそう読んでみると、面白いように思った通りの反応をする。 海野は、はっと瞠目すると、哀しそうに眉を寄せながらも「はい」と応えた。 涙がぽろぽろと零れて落ちる。

---バカな男だ。

 妖狐は手加減してぱんっと海野の頬を張ると、片足を肩に担ぎ上げ、海野の体を横向きにしてぎりぎりまで繋がっていた体を更に深く押し付けた。 お互いの体が直角に交わるこの体位は、余りにも結合が深すぎると海野はいつも嫌がった。 同時に前を刺激してやると更に嫌がる。 妖狐は海野自身を握ってゆるゆると二三度扱きあげると、大きく波打たせるように腰を突きこみ激しく海野を揺さぶりだした。

 頬を張られ呆然としているうちに体位を変えられた。 海野はこの体位が苦手だった。 信じられないほど深い結合が体の奥深くに齎す刺激に耐えられなかった。 正気はあっと言う間に手放されて、喘ぐだけの獣になった。 妖狐は海野の前を握り、突き上げと共に強く扱くのが常で、そうされるともう、のた打ち喘ぎ許しを請うことだけが海野にできることだった。 そんな時妖狐は、普段海野が決して口にできないような言葉を強要し、何度と無く海野はそれに屈してきた。
「おまえは誰かの代わりに俺に抱かれたいのか?」
「ち、ちがっ ぁあっ」
 海野の最奥をぐりぐりと抉りながら妖狐は重ねて問うた。
「どうして欲しいんだ、言え。」
「ああっ あぅっ うんっ」
「言えっ」
「お…俺を、俺を愛してっ」
「愛してる」
「俺だけ、見てっ」
「おまえだけだ」
「俺を…」
「なんだ?」

---もっと激しく、めちゃくちゃに愛して。 何も考えられないほどに、あなただけしか感じられないように。

「おまえは我儘だ。 いつだって俺はそうしてる。」
「前…向かせて、くださ、ぃ…」
 担いだ片足を下ろしてやると、海野はやっと妖狐に縋りついてきた。





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