東方不敗
- The Asian Master -
12.5
incognito
「カリ?」
「そう、この大陸をずーっと東南の方に下って行くと海に出る。 その海の向こうにある島の王国に古くから伝わる武術なんだ。」
「へー」
父に初めて体術を教わった。 それは小柄な者でも大柄な者と対等に闘える武術だと言う。
「その国の人達はみんな小柄でね、でもその武術のお蔭でとっても強かったらしいんだ。 でもある時、海の向こうから侵略者がやってきて、その時の王様が彼等の一人をそのカリで殺してしまったんだ。」
「王様が? 自分で?」
「うん、王様自身がエスクリマドールだったんだね」
「エスク…マ…?」
「エスクリマドール。 カリの上級の使い手のことを、その国ではそう呼ぶんだよ」
「へー」
人殺しの話なのに、なんだかワクワクどきどきしてきて、イルカは少し座っていた尻の位置をモジとずらした。
「でも侵略者達は、当時まだその島の人達が知らなかった飛び道具をもう持っていてね、その王国はあっという間に征服されてしまった。 そしてカリは危険な技として人に見せることも教えることも禁止されてしまったんだけど、島の人々は踊りとしてこっそり継承していったんだ。」
「へー」
「それが今見直されて、色々な国の人達に武術として受け入れられ多くの流派に分かれて発展するまでになったんだけどね」
「なんでそんな遠い国の武術を父さんが知ってるの?」
「父さんも、父さんの父さんから教わったんだ」
「じゃあ、父さんの父さんも、そのまた父さんから教わったの?」
「うーん、そうだったら素敵だね! 海野家代々に伝わる秘伝の技?みたいな?」
「うん!」
「残念、違うよ。 イルカのおじいちゃんがね、まだ若い頃南の国に長期任務で行ってた時、その国の軍隊の体術としてカリが取り入れられていたんだって。 それをおじいちゃんがついでに覚えてきたんだね。 自分の体格に合っているからって」
「おじいちゃんってぇ、小っさい人だったの?」
「父さんくらいかな」
「へー、じゃ僕も父さんくらいになるのかな」
「そうだね」
「だから僕にカリを教えるの?」
「そう、それもあるけど、父さん他に知らないんだ」
父はハハハとおかしそうに笑った。 それしか知らないなんて、別におかしくないのにな、と暢気な父がちょっと心配になったイルカだった。 父はこれでも中忍だ。
「でも僕、父さんより大っきくなるかもしれないよ!」
イルカが立ち上がって胸を反らして見せると、父は更に笑い転げた。
「そうだね、イルカ。 いっぱい食べたら大きくなるね、きっと」
「僕…、ニンジンも食べなきゃだめ?」
「あはははははっ」
父は笑い上戸だ。 時々止まらなくなる。 この前なんか木から落ちそうになった。
「父さん、笑いすぎ」
「ごめんごめん」
「また木から落ちるよ」
「うん、そ、そうだね、うふふふ…」
今、父と居る場所は、森の奥深く、幾つも幾つも大枝を渡った先にある、とても太い幹の大木の枝の上だった。 ほとんど真横に枝が伸びていて、二人で並んで座っても全然傾がらない。 父は偶にお弁当を持ってここに来るのだと言っていた。 真夜中に来る時もあるのだと。 そういう時はお酒を持って、一人お月見なんかをするのだと、ちょっと陰のある顔で言う。
母さんには教えないの?と聞いたことがある。 だがそれにも少し寂しげに笑い、父は男同士の秘密だよ、と自分にだけ教えた事を強調した。 実際その場所へ行くには、子供の自分には随分きつい道のりだったので、女のお母さんには無理かな、とその時は納得したイルカだったが、実を言えば母も中忍だった。
「前に父さんが木から落ちそうになった時に助けてくれたあの人って… この場所、父さんが教えたの?」
父の笑い声がぴたりと止んだ。
「違うよ。 あの時偶然通り掛ったと仰ってた。」
「ふーん」
背の高い人だったね、と言うと、そうだね、と父がひっそり微笑む。 ちょっと恐そうだったね、と言うと、優しい人だよ、と正された。 あの人は、今どこでどうしているのだろう…。
・・・
カカシが目の前にふんわりと舞い降りて来た時、イルカは天使が来たと思った。 いやマジで。 音も無く、気配も無く、重さも感じさせない動作でカカシはストンと枝に座った。 マントが遅れてふぁさりと降りてきて、その身体を包む。 天使の羽のようだった。 自分は随分と酒を過ごしたようだ、これはきっと夢なのだ、今目の前にあのカカシが居るなんて…。
いつもなら緊張して禄に喋れないのだが、その時は夢だと思っていた所為か随分楽しく話すことができた。 カカシは何だか子供のようで、かわいい人だなぁと嬉しくなった。 アカデミーの子達と然して変わらないように思えたのだ。 イルカの話に小首を傾げる様、杯を捧げ持ってイルカが酒を注ぐのをじっと待つ様、眉を寄せ口を尖らせ不服を申し立てる様…。 ああ、なんてかわいい! 本当のカカシともこんな風に話せたらどんなに嬉しいかしらん。
もう行かなくちゃ、と言って立ち上がり、青い瞳で自分を見下ろすとカカシは羽織っていたマントをするりと脱いだ。 脱いでそしてイルカを抱くようにして腕を回し、そのマントでイルカの肩を包んでくれた時、胸がドキドキしてドキドキして、イルカはただただじっと固まっていた。 この胸の音がカカシに聞こえてしまわないだろうかと、そんな事ばかりが気になった。 だが、それまでマントの下に隠されていたカカシの姿がとても細っそりとしていてどこか寒そうで、借りる訳にはいかないとハッと気が付いた時にはカカシはもう森の闇に溶けていた。 慌てて立ち上がりカカシの消えた方に目を凝らす。 銀の軌跡がフイっと見えた気がしたが、まるで幻のように一瞬で見えなくなった。
「ゆ、夢…?」
でも、暖かい。
「マント… 現実? え?」
信じられないほど薄く柔らかいのにとても暖かかいそのマントは、確かに自分を包んでいた。 幻などではない、現実のマント。 支給の物とは一線を隔する上等な代物だ。 両手で袷を掴んでぎゅっと引き寄せ身を包むと、自分ではない男の匂いがした。 心臓がトクトクと鳴る。 イルカは恋心を意識した。
BACK / NEXT