東方不敗
- The Asian Master -
16
11.それでも俺はトトカルチョを取ったと
ゲンマが語ったところによると
「う……ん…んん…」
イルカの苦しそうな声はいつしか喘ぎ声になっていた。 左腕は胸元で一緒に抱きこまれてしまっているのか見えなかったが、右腕はカカシの脇からその背に回りヒシと縋り付いている。 それもつい先程までは、カカシの身体を押すようにベストの胴を掴んでブルブルと震えていたのだ。 そうして身体の強張りも解けたイルカとの密着度は更に増したはずなのに、カカシはそれでもまだ足らぬと言うように抱き込む腕に力を籠めるのが判った。
「はっ ふ… んっ」
カカシの頭が右に左に揺れる。 イルカの首裏をガッチリと自分の腕で固め、角度を変えてはその唇を貪っているらしかった。 イルカの溜息のような声が微かに漏れる。 翻弄されているのだろう。 カカシの背に縋ったイルカの右手が、緩んだり強張ったりを繰り返しながら彷徨う。 ああ、この二人は愛し合っているのだなと、なんだかゲンマは胸の奥が熱くなるのを感じた。 かつて自分にも心を尽くした恋人が居た。 イルカより更に一回り華奢で、折れそうに細かった。 その細腰を引き寄せ、骨が軋むほど抱き締めた時の感覚が蘇ってくる。
「イルカ先生、喘いでるね」
「うん、喘いでるね」
感傷に浸りそうになった時、後ろからコソリと声がして引き戻された。 真新しい暗部面を被っている二人は、まだ男とも女とも然とは判別がつかないような線の細い体格をした若者だった。 イルカのことを「先生」と呼ぶからにはアカデミーでイルカに師事した経験があるのだろう。 それはつまり、アカデミーを出たてのところを直ぐに暗部にスカウトされた事を意味する。 それほど優秀だという事だ。
「あのまま苦しそうにしていたらぶん殴ってたかも」
「うん、蹴りいれてたね」
物騒な事を言う声もまだ変声前なのか甲高く、やはり男女の別がつかない中性的な声色だった。
「おいおい、オマエらの超エリート先輩のカカシさんに蹴り入れるつもりか?」
銜え楊枝を上下させながら振り返ると、面を寄せ合って囁き合っていた二人がそのまま面をくっつかせて向きだけクリッとゲンマの方を向いて見上げてきた。 動作までシンメトリィで、まるで双子のようだと思った。
「相手が誰かなんて関係ありませんよ」
「イルカ先生を傷付ける人は許さない、それだけです」
「オマエ達、イルカ先生に習ったことあんのか?」
二つの面がまたくりっと互いを見合った。 そしてゆっくりとこちらを向く。
「そうですよ」
「ありますよ」
「そんな身元に繋がるような事言うと減点だぞ?」
「…」
ゲンマとカカシは、今回この二人の実地訓練の教官兼暗部としての適正検査官として4マンセルを組んだ任務に就くことになっていた。 今から出て明日の午後までかかる任務だ。 その任務に出る前にカカシがどうしてもと言って利かずアカデミーに寄ったのだった。
「いいんですよ。 みんな知ってることだもの、ね」
「最近の常識だよね」
「なんだそりゃ」
「暗部のスカウトマンと面接した時にね、担任は誰だったかっていう質問項目があったんですよ」
「他のみんなも聞かれたって言ってましたよ」
「それがどうした?」
「その情報が固体識別できるようなものじゃなければいいんでしょ?」
「できないよね」
「ね」
「どういう意味だ?」
変な事を言うヤツラだな、と訝しく問おうとした時、ドシンと音がしたのでカカシ達の方を振り返ると、壁にイルカを押し付けて覆い被さらんばかりにまだ接吻けを続けている所だった。
「は、あっ ん、あ」
「イルカ」
イルカは完全に喘いでいる。 立っているのもやっとのようだった。 陶酔したようにイルカの名を呼ぶカカシの吐息の混じった呼び声まで聞こえてきて、もうそろそろ止めに入らねばと思った所にまたあの二人の声が掛かる。
「イルカ先生、気持ち良さそうだね」
「うん、でもそろそろ止めさせないと拙いよね」
「そうだね、だってここアカデミーだしね」
「廊下だしね」
---もうっ 今やろうと思ってたんだよぉ
ゲンマは心でかわいくない二人を詰りながら怒鳴った。
「おいっ カカシさんを引っ剥がせよ!」
「「了解!」」
そして巨大ハリセンを大きく振りかぶった。
・・・
カカシが朝いきなり来て、ガバリと抱きついてきたので吃驚した。 しっかり装備を整えた恰好をしており、後ろにゲンマとあと二人暗部面を着けた者までいて尚焦る。
「ど、どうしたんですか? 何か大変な任務なんですか?」
カカシに聞いても埒が明かないので後ろのゲンマに目で問うと、ゲンマは顔の前で掌をパタパタし首もぶるぶる振って否定してきたので尚訝しく、肩口に張り付いたカカシの肩を掴んでグイと引っぺがした。
「カカシさんっ」
「イルカ先生ぇ」
だが、言葉を発せたのはそれが最後だった。 気が付いた時にはブチューっと接吻されていた。
「う、うん、んんっ」
胴ごと抱きこまれてしまった左手でカカシの胸を押し、なんとか外した右腕でカカシの肩を掴んで引き離そうと抗うが、ビクともしない。 奇襲攻撃にうっかり口中までをカカシの舌に許してしまい、喉の奥まで探られるようなその舌技にイルカは完全に我を失くした。
---上手いっ
上手すぎる…。 カカシの経験の深さをそんな事で推し量ってしまう自分が情けなかった。 だって、いつものカカシからは想像もつかないではないか! びくびくオドオドしてまともに言いたい事も言えないくせに、時々ズバッと無神経に痛い図星を突いてきてイルカを落ち込ませ、挙句にその事に焦ってはまたオドオドするといった具合で、カカシから告白の言葉を聞くまでにいったい何日かかっただろうか? ゲンマのトトカルチョなど唯回りが騒いでいるだけだったのじゃないのかと疑って、思わず諦めかけた事さえあったイルカだ。 でもイルカ先生、ちょっと考えてほしい。 ここは何処だっけ? こんな事していていいんだっけ?
「うっ んーーっ」
拙い、拙いよ、こんなとこでこんな…。 と全力で抗ってみたのもほんの一瞬。 逃がさん、とばかりにグイと腰を引き寄せられる。 自然、上半身だけが何とかカカシから離れようと反り、それをも許すまじと後ろ頭をぐわしっと鷲掴まれて、後はいいように貪られてしまった。 もう何がなんだか判らない。 ここが何処だとか、側に誰かいるかとか、全部どこかに吹っ飛んだ。 身体の芯の方で何かが1本か2本ポキンと折れたような感覚と共にカクカクッっと力が抜ける。 気が付くと、立っていられなくなった身体を廊下の壁に押し付けられ、腰を抱き込んでいた手が前に回ってきていた。 項を押さえ執拗に接吻けを続けるカカシ自身とは別意思でも持っているかのようにもぞもぞと這い回る手の動き。 絡まる舌。 押し付けられるカカシの下半身。
「イルカ」
耳元で吐息混じりに囁かれ、残りの芯もポキポキっと一片残さず折れた。
---求められている、こんなに、こんなに…
もうここで押し倒されてもいい、と一瞬思ったことは内緒に願いたい。 とにかく、完全に回りが見えなくなっていたその瞬間、パコーンっという小気味のいい音がした。
「はっ ふっ」
口に自由が戻ってきたのをどこか淋しく感じながら、イルカは肩口の銀の頭を掴んでとにかく足を踏ん張った。 きゅ〜と音がしたかどうかは定かではないが、カカシが伸びていることは確かだ。 それまでカカシと壁に支えられていたような身体にズシンと上からカカシの全体重がかかり、イルカは必死で身体の芯を繋ぎ直した。 支えなくちゃ、とにかくこの身体を支えなくちゃ。 どうして頽れないかと不思議なくらいだったが何とかかんとか立っているカカシの身体を抱き締めて必死で支える。 何が起こったのか全然判らなかった。 が、ぎゅっと抱きとめている身体の、その初めて感じる温もりと重さがとても愛おしくて幸せで、そっとその猫っ毛の銀髪を一撫でした。 そしてもう一撫でという所で、その幸せの元がバビュンと消えて無くなってしまった。
「カ、カカシさんっ」
「あっ イルカ先生ーーっ」
---な、なんだ気が付いてたのか?
暗部面を被った二人に両腕を掴まれてあっと言う間に引き摺られていくカカシが、こちらに手を伸ばして泣いている。
「なんだよっ 離せよっ せっかくイルカ先生が俺のこと おいっ 離せーっ」
「…」
「悪かったな、イルカ」
あの人はいったい…と脱力を禁じえない身体を再び壁に凭れさせ、その情けなくもかわいらしい遠退く姿を見送っていると、ゲンマが済まなそうに頭を掻いて視線を塞いでしまった。
「俺と話してたら、なんだか変なスイッチ入っちゃったみたいでさ」
「はぁ」
「そんなたいした任務じゃないんだ、全然。 明日の夕方には還れるはずだし、な、だから心配すんなよ」
「はぁ」
「ま、まぁ そんな訳だから」
じゃ、と手を振り先に行った3人を追おうとしたゲンマは、だがふと足を止めてイルカを振り返った。
「な、なぁイルカ、ちょっと聞くけど、これがあの人との初キッスってことはないよなぁ?」
「…」
「まさかだよな、いや、悪かった」
「…」
「…え、まさかなの?」
「…」
イルカが恨めし気にゲンマを見上げると、ゲンマは両手を胸の前に突き出して1・2歩後ろによろめいた。
「ちょっ ちょっと待ってくれよ」
そう言ってグルリとイルカに背を向けその場にしゃがみこみ、懐から何か紙切れを取り出してそれを確認するやオーノー!と頭を掻き毟る。
「イルカ、遅いよぉ」
「俺に言わないでください!」
それが一昨日の朝。 イルカがちょっとぼんやりしてしまったとしても仕方が無いと判ってもらえれば幸いである。
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