東方不敗

- The Asian Master -


15


          10.初キッスは一昨日だったんですよ奥さん


「…」
「…」

 二人でイルカの二の腕を見て汗を掻く。 真っ赤になって俯いて、何か言わなきゃ何か、みたいにお互いに思いながら。

「こ、これってあの、やっぱりカカシさんの手形…」

 他に誰が居るんだ誰が、と自分で突っ込みを入れながらも他に言うことも思いつかず、何気なしに反対側の二の腕も毛布から出してみてまた固まる。

「あ…」
「…(汗)」

 あった。 こっちにもシンメトリィに手形が…。

「イルカ先生ぇ」
「あ、はい」

 これでもかと俯いたカカシがそのままの姿勢で名を呼ぶので何かと見遣れば、ただひたすら耳まで真っ赤にしたカカシが居た。

「肩、肌蹴てます…」
「あ、ああ」

 両腕出しちゃったから毛布がずれちゃったんだな、と慌ててまた被り直すもカカシは一向に顔を上げなかった。 もうそのままそこら辺に穴でも掘って入ってしまうんじゃないかという勢いだ。

---め、めんどーな人だなー…

 昨夜のアレはなんだったんだ?とうっかり思い出し、負けずに俯いて赤面して穴を探してしまったイルカだった。

               ・・・

 一昨日の朝、カカシに初めてキスされた。 朝、会っていきなりだった。 どうしてそういう件になったのか、イルカにも判らないまま、カカシは引き摺られるようにして任務に出て行ってしまった。 そうだ、回りにたくさん人が居た。 たしかゲンマとあと2・3人。 覚えていない。 イルカはその日一日中ふわふわ浮いたような感じで過ごした。 何だかたくさん失敗もしたようなしなかったような。 一社会人として有るまじき姿だったがイルカにもどうすることも出来ずに終業まで過ごしてしまった。 家に帰っても食欲も湧かなかったので、風呂に入って早々に布団に入った。 眠れないかと思ったが何の其の、10秒で寝入って夢まで見た。 夢の中もなんだかふわふわしていた。 翌朝さすがにこれでは拙いと思い、冷たい水で顔を洗って2・3回パンパン叩いて出勤したイルカだった。 そんなこんなで昨日は別に失敗もせず、いつもと同様に過ごしたつもりだった。 あくまでイルカ本人は、だが。
 そして昨日の夕方、受付にイルカが来るなりそこに居た全員がぎょっとした顔付をしてイルカを見、そして一斉に目を逸らしたので何か雰囲気が妙だなぁとは思っていたのだ。 それがまさか自分に起因しているとは露思わなかった暢気なイルカだ。 アカデミーに居る時は、別段これといって何も言われなかったし妙な顔もされなかったから全然気付かなかったのだ。 でももしカカシやアスマの言う通りなら、少なくとも受付に入ってからの数時間、自分はアスマ曰く「抱いてv」という顔をしていた事になる。 どうりで受付に来る者みな中忍・上忍を問わずイルカを見るなり妙な困ったような顔をして(中には赤面までする者も居た)、何か言いたそうにしながら何も言わず、かと言ってさっさと受付部屋を後にもせず、チラチラとイルカを窺いながらそこに留まっているので狭い部屋はごった返していたのだった。 誰が処理済で誰が未処理なのか、尽きない行列と遅々として進まない業務にイルカ以外の受付係の者も苛々しているのが伝わってきた。 後から来た五代目が部屋に入るなり目を剥いて、だが何も言わずにイルカの隣に座ってからは、何となく滞っていた列が捌け出したような気がする。 それもこれも、みーんな俺が「犯してv」ってな顔をしていた所為だったってのか? 嗚呼! 思い出すだに恥ずかしい。 明日っからどんな顔して出勤すりゃあいいんだ。 しかも今日は自分が動けなくなるのを見越したように休暇を言い渡され、その通りになっている。

---と、とにかく、風呂に入りたい

 そそくさと赤い手形の付いた腕を毛布の内に引っ込めて、イルカはコクリと水を飲んだ。

「もっと飲みます?」

 カカシがやっと顔を上げた。 おどおどと頻りに様子を窺う様がなんだか…なんだか…、どう言い表したらよいのやら。

「いえ、もういいです。 ありがとうございます。 で、あの」
「は、はいッ」

 何でも言ってください、とカカシの耳がピンと立つ。

「あの、朝食もできてますし、着替えも俺のでよかったら」
「ありがとうございます。 朝食、作ってくださったんですね。 どうりでいい匂いがさっきから」
「そ、そんなたいしたもんじゃないんですけど。 ここへ持ってきましょうか?」
「いえ、あの、できればその前に、風呂をお借りしたいな、と」
「え、ええ、もちろん! そうですよね、俺気が付かなくって! 今湯を入れてきますから」
「いえいえ、あの、シャワーでいいですから!」

 慌てて立とうとするカカシの袖を、思わず赤々とした手形の痣が晒された腕を伸ばしてはっしと掴んで止めると、カカシが硬直したように固まった。

「あの、シャワーで、いいです」
「は、はい…ど、どうぞ」

 ギクシャクとカカシが風呂場であろう方向を指し示した。 イルカはそっとカカシから手を離し、毛布をしっかり体に巻きつけたまま何とかベッドの端にずり寄った。 体中が痛んだが、何とか我慢できそうだと思った。 そっと片足を下ろして床を踏み、「ウン、大丈夫だ」と確かめてもう片方の足も下ろした。 自分では立ったと思ったのだ。 だが実際は、カクンと頽れて側でこわごわ見守っていたカカシの腕に抱きとめられていた。

「イルカ先生! 大丈夫ですか?」

 カカシの焦ったような声が頭上から降ってくる。

---大丈夫じゃない…

 立てない。 カカシの腕の中で赤い顔を伏せて汗を掻く。 全然自分の体重を支えられなかった。 股関節がバカになっている感じだ。 力が全く入らない。 どどどどうしよう…

「あ、歩けません…」

 搾り出すように呻くと、ハッと息を呑む気配が上から伝わってきて、それから徐に身体を毛布ごと横抱きに抱え上げられた。

「わッ カカシさんッ」
「すみません、イルカ先生。 全部俺の所為です。 今日一日俺がお世話しますから」
「で、でもッ」

 風呂くらい一人で入りたいと言い出せずにいるうちに、イルカを抱いたままユラリとカカシが立ち上がる。

「ア痛ぅッ」
「イ、イルカ先生? どっか痛かった?」

 カカシの腕で支えられた腿の裏側が差すように痛んで思わず声を上げてしまい、咄嗟にカカシの首に両腕で縋った。 カカシはまた真っ赤になりながらも心配気にイルカの顔を覗きこんできた。

「だ、だいじょぶ、です」
「ほんと?」

 こくこくとその至近距離の顔を見上げつつ頷くと、カカシもまたじっとイルカの顔を見つめてきた。 すぅっと引き寄せられるようにその顔が近付いてきたので、イルカはキスされると思い知らず身体を硬くさせた。 だがカカシはハッとしたように動作を止め、ブルブルっと首を一振りすると、「風呂、行きます」と宣言してノシノシと歩き出したのだった。



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