東方不敗

- The Asian Master -


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 「コピー忍者」の異名を取るようになったのが何時からなのか、自分からそう名乗った訳ではないので定かではないが、恐らく皆この写輪眼を得てからの特技だと思っているだろうと思う。 だが実際は写輪眼のお蔭だけではなかった。 小さい頃からどうしてか記憶力が異常によかったのだ。 一回でも目にしたものは何でも覚えてしまう。 意識しなくても覚えてしまい、しかも忘れなかった。 それに写輪眼の人間離れした動体視力がが加わり、それまで見えなかったものまでコピーできるようになったと言うだけの話なのだ。 もちろん写輪眼依存の術はそれ無しには発動できないだろうが、その他の術は全て使える自信がある。 記憶の引き出しには見たままの手印や巻物の内容が格納されており、そこからデータを引き出す時も視覚的に一片の欠けなく引き出されてくるのだ。 文字としての記憶ではなく、一枚の写真のような記憶なのだろう。 だから、巻物などはどこで改行してあるかどんな字体だったかまで再現できた。 否、そうとしか引き出せないと言った方が正しいかもしれない。 極端に視覚に頼った記憶術に偏っているという自覚がある。 その事が将来の自分に確実に危機を齎すであろう致命的弱点であることも、意識している。
 そしてこんな時、自分はこの記憶力を少々呪ったりもした。 この感覚はきっとデジャヴなどではなく、単に事実の記憶なのだ、と思わされるからだ。 こんな事は初体験だと思いたい事など、この世の中には山のようにある。

「ねぇパックン、この道なんだか知ってる気がする。 俺ってここ通ったことあるかなぁ?」

 おかしいなぁ、と目の前をちょこちょこと走るパグ犬のチンチクリンな尻尾に向かって首を傾げた。 父の代からのこの忍犬も、妙に足に澱みが無い気がするのは気の所為か? ああほらまた…。 この先に足場になり得る枝が無いことを自分は知っている。 そう思った瞬間、パックンが足にチャクラを集め出した。 自分も無意識に吸着の為のチャクラを足裏に練る。 左目を開けてみると、パックンの行く先の大木の幹に、点々とチャクラの足跡が光って見えた。

「よっ」

 その大木の幹を、イルカのものなのだろう足跡を辿るように垂直に走る。 その感覚、そしてパックンの更に先に、マントを翻して駆けていく自分と同じ銀の髪を靡かせた背中の幻影がチラチラし、カカシを悩ませた。

               ・・・

「来ちゃいました。 ごめんなさい…」

 イルカは居た。 カカシは悩んだ挙句にここでイルカに会うことにした。 放ってはおけなかった。

「カカシさん」

 やはり自分の気配に気付けなかったのか、イルカはまたたいそう吃驚した様子でカカシを見上げてきた。 直ぐにその場に片膝着いて跪き、口布も下ろす。 同じ位置で、同じ立場で居たかった。

「どうしてここが?」
「忍犬を使って、アナタの匂いを追いました」
「俺の匂い?」
「あの… 前にアナタに貸したマントの…」
「ああ」

 イルカはやっと納得したというように大きく頷いた。

「まだ匂い残ってたんですか」
「あ、あの、真空パックしてたから」
「そう言えばそんなこと言ってましたね。 こういう時の為だったんだ。」
「いえ、そういう訳じゃなく… あの、ごめんなさい、勝手に。 大事な場所なのに。」

 カカシが謝ると、イルカは前にここで会った時のようにフルフルっと幼い仕草でかぶりを振った。

「いいえ、いいんです。 別に隠すほどの場所って訳じゃあないんです。 ただ、ここは教えちゃいけないって、父から言われてて…」

 どこか頼り無げで、どこか幼い。 里に居る時とやはり全然違う。 どうしてだろう? イルカにとって、この場所の意味って…。 

「それで…、何か御用ですか? こんな所まで態々」

 そしてどこか棘があった。 里に居る時はあんなにニコニコと柔和な笑みを絶やさないでいるのに。

「あの、政さん達がアナタの様子が変だって」
「変? どこがですか?」
「アナタが毎朝商店街を通り過ぎてアカデミーに行って、毎夕通り過ぎて帰宅するって」

 そこまで聞いてイルカはくっくっと俯いて笑った。

「そんなの当たり前じゃないですか! どこがおかしいんです?!」
「全然買い物に寄らないし外食もしないって、心配してるんです! イルカ先生、ちゃんと食べてますか?!」

 そして然も不機嫌そうに言い放つので、カカシもつい声を昂らせてしまった。 イルカの顔がぐにゃりと歪む。 泣く!と思いはっとして気持ちにドウドウをした。 喧嘩したい訳じゃあないのに、と。

「新学期を控えて今アカデミーは物凄く忙しいんです。 家で食事作る気力もないんです。 それにアカデミーには食堂もあるし、ちゃんと食べてますよ。 心配なんて不要です。」

 イルカは泣きはしなかったが、確実に声は固くなった。 ずぅっと前に中忍試験の事で揉めた時以来の頑なな気配だ。 でも、とカカシは思った。 あの時、イルカが自分を恐がっていると思った程イルカの里での自分に対する気配が固かったあの時、最初にここでイルカに会ったのだ。 その時はまるで嘘のように柔らかな気配を纏っていた。 酒が入っていた所為だろうか? 今日もイルカの前には酒瓶と猪口が置かれていたが、瓶は封も切られていなかった。

「でも」
「いいんです、大丈夫です! 政さん達には俺からよく説明しておきますから。 カカシさんが気に病む事なんてこれっぽちもありませんから。」

 だからもう帰ってください、と下を向いてしまったイルカ。 前の自分ならきっと、ここで項垂れて帰っただろう。 でも俺はそれじゃダメだと気が付いた。 がんばらなきゃいけない。

「帰りません、俺もうアナタのことで諦めたり我慢したりしないって決めたんです」
「なっ…… なにを言って…」
「俺、アナタとずぅっといい友達でいたいんです。 何か気に障るところがあるなら言ってください。 俺、努力して」
「ふっ ふはははははっ」

 一瞬呆けたようにカカシの顔を見上げていたイルカは、突然けたたましく笑い出した。 顔を手で覆い、身を捩って然もおかしそうに笑い続けるイルカに、今度はカカシが呆然として黙って見ているしかなくなった。

「うふっ うふふふふっ はっ ああおかしい! わかりました。 俺とアナタは友達です、ずーっとずーーっといいお友達でいましょうね! あはははははっ」
「イルカ先生…」

 なんだか哀しくなってきて、最初の誓いさえも虚しく崩れ去りすぐにでもその場から消えたくなった。 イルカの前で両膝を付いた姿勢のまますっかりしょげて項垂れて、膝の上で両手をぎゅっと組み合わせて俯いた。 涙が零れてしまいそうだった。

「ふっ うふふっ ふ… う…」

 でも、その時耳に届いたのは自分の泣き声ではなくイルカの嗚咽だった。 イルカが下を向いたまま両手で顔を覆い、その指の隙間からはぽたぽたと雫が零れて落ちていた。

「イルカ先生?」

 吃驚して声をかけると、イルカは慌てて両手の甲で頬を拭い顔を上げた。 手が汚れていたのだろう、頬が少し黒く汚れてしまっていた。

「ごめんなさい、笑ったりして。 俺、き、今日はちょっと… ダメなんです。 ここへ来るとなんか、ダメなんですっ うう…」

 途中、ううっとまた少し泣き、イルカはそれでもまたその汚れた顔を上げた。 すごい勇気だな、と思った。 自分だったらみっともないところ晒したくなくてとっくに逃げてるかもしれない。

「だから、も、もう帰ってください、お願いです。 ひとりにしてください…」

 だがそれが限界だったのか、その後はただ押し殺したような嗚咽が続くばかりだった。 きっとイルカは心底一人になりたいんだろうな、だからここへ来たんだろうな、と思う。 でも、殴りかかろうとしてきた政さんの怒った顔が蘇り、カカシは踏ん張った。

「俺…帰りません。 ここに居ます。」
「どうしてですか?!」

 イルカがぱっと顔を上げた。 涙でどろどろで目元も赤く腫れていた。 鼻水も垂れていて顔もくしゃくしゃに歪ませて、イルカはそれでも怒鳴り続けた。

「どうして? こんなに頼んでるのに、どうして…!」
「だって俺、もう諦めないって」
「そんなのアナタの勝手な言い分じゃないですか!」
「そうだけど、でも、俺は」
「もういいです。 俺が場所を移します。」
「ちょっと待って!」

 最後までカカシの言葉を聞こうとせず、立ち上がろうとしたイルカを押さえる。

「ねぇイルカ先生、アナタと前にここで偶然会った時、アナタすごく優しかった。 あの頃って里では俺のこと恐がって固い気配出しまくってた頃だよね? でもここでのアナタは優しくて、懐っこくって」
「そ、そんなのもう忘れました!」

 イルカが焦ったようにカカシの手を振り払う。

「嘘だ! アナタさっきマントの匂いまだあるのかって驚いてたじゃない。 ねぇ、今は? ちょっと前までは里ではアナタとってもニコニコしてて、なのにここへ来たら怒って泣いて…。 ねぇほんとはずぅっと泣きたかったんでしょ?」
「ち、違います」
「前の時だってほんとは、あんな頑なな感じじゃ居たくなかったんじゃない? アナタ里では回りが期待するように振舞う癖が付いてるんじゃない? ここではほんとの自分が出ちゃうから俺に教えたくなかったんじゃない?」
「カカシさんっ!」

 畳み掛けるように言ってしまってからイルカに叫ぶようにして自分の名を呼ばれ、ハッとした時にはもう遅かった。 イルカはぶるぶると震えていた。 もう抑えることもなく発散されるイルカの気配は、怒り、だった。

「どうしてそんな意地悪ばっかり言うんです? 酷いです、カカシさん…」

 完全に怒らせちゃった、となんだか絶望的な気持ちになる。 イルカは暫らくハァハァと深呼吸を繰り返していたが、やがて抑えた、だが低く拒絶の滲み出た声で喋り出した。

「もういいです。 もう判りました。 明日になったら、里へ帰ったら俺、アナタの望む通りいいお友達で居ます。 だから今日はもうこれで勘弁してください。 一人になりたいんです。」
「そんなんじゃないでしょう!」

 これにはさすがのカカシもカッときた。 偽りの仮面を付けてお友達面をすると、面と向かって言われているようなものだと思った。

「俺が言ってるのはそんなんじゃないって、判ってるでしょう?!」
「判ってたって、俺、どうすりゃいいんですか! 俺はアナタと友達になんかなれないっ」
「…!」

 叫ぶように言われてカカシは絶句した。 ショックで声が出ないって本当にあるんだ、と知ったカカシだった。

「な…なんで? 上忍と中忍だから?」

 声も震えてしまう。 それでも未練がましく言い募ってしまう自分もなんか相当情けないな、と思うがカカシも止まらなくなっていた。

「違いますっ どうしてわかんないんですか?!」
「わかんないよ! どうして? 教えてよ!イルカ先生っ」
「嫌ですっ!」

 怒りに打ち震えた様子でイルカはバッと立ち上がった。 その拍子に酒の瓶が枝の上から転がり落ちた。 反射のようにそれに手を伸ばしたイルカの体がグラリとバランスを崩し、その足が枝から浮くのが見えた。

「あぶなっ」

 瞬間、足をチャクラで貼り付けて、カカシはイルカの二の腕を掴んだ。 だがなんと、イルカはそのカカシの手を振り払うように暴れ出した。 ヒュっと風切音がして、数秒遅れてガチャリとガラスの割れる音が遥か下から響いてきた。 相当ここは高いのだ、とぼんやり思う。 だからと言って、イルカがそのまま唯落ちて怪我をするとは思っていなかったが、絶対離したくないと思った。

「離せっ」
「暴れないでっ」
「このバカカシ! 離せったら離せっ」
「ほんとに落ちますよ」
「落とせって言ってるんだ!」
「何バカなこと言ってるんです」

 グイと力を籠めてジタバタする体をやっと引っ張り上げると、イルカはドウと枝の根元に座り込んで幹に体を投げ出すように寄りかかった。 カカシも側で片膝を着く。 お互いゼイゼイと息が上がっていた。 バカみたいだ、と思った。 こんなことで揉めるなんて。

「もうイルカ先生、むちゃくちゃですよ」
「…」

 イルカは剥れたようにソッポを向いて、返事もしなけりゃ目も合わせなかった。 顔は汚れていたし、髪もどこかにひっかかったのか今にも解けて取れそうな髪紐が中途半端にぶる下がっている。 もうしょうがないなぁという感じだったのだと思う。 ふぅと溜息を吐きつつ、カカシは無意識にそれに手を伸ばした。 ここで落としたら、もう見つからないだろうな、と思ったのだと思う。 本当に、この時までは…。

「な…にす……」

 だがその時、イルカの気配がヒクリと戦慄き、言葉が途中で途切れたので訝しくて…、そう、この時はまだ唯訝しくて、何気なくイルカを見た。 見てしまった。

「え? あの、髪紐が落ちそうになっ…てた…」

 指先で紐を抓んでイルカの方に掲げて見せた向こうに、ハラリと解けた髪に縁取られたイルカの顔が見えた。。 そしてその顔は…

「なっ…」

 瞬間、何かが込み上げてきてカカシはバッと空いた手で口元を押さえた。 立ち上がって、一歩二歩とよろめくように後ずさる。 吐き気ではない。 何か熱い固まりが胸の辺りから突き上げるように喉元に上がってきたような気がしたのだ。 イルカからは目を逸らせなかった。 イルカも放心したようにカカシを見ている。

---ななな、な……んて顔するのよ、もうこの人はぁ!

 切なげに寄った片眉、潤んだ瞳、不安そうな半開きの口元、その唇が戦慄いていて、もっと震えたイルカの手がハッとしたようにその口元に宛がわれた。 釘付けられたようにその顔に見入っていたカカシもハッとして我に返った。 それからなんだか目元の辺からカァーっと熱くなりだす。 頬も耳も首筋もカッカしてきて、カカシは自分が激しく赤面していることに気がついた。

「ご、ごめ…なさっ あ、ああの、あの、俺、た、ただ髪紐が、あの…」

 慌てて口布を限界まで引っ張り上げた。 そうして腕をいっぱいに伸ばして、イルカに髪紐を抓んで差し出す。 身体はできるだけイルカから遠ざけた。 だってなんだか…

「は、はい、これ」
「あ、ありがとう…ございます」

 イルカがそっと手を出したので、その掌にポトッと落とすように紐を渡し、ササッと手を引っ込める。 もう何も考えられなかった。 イルカの顔ももう見れない。 だからこの時、イルカもカカシに負けないくらい赤くなっていた事に気付けなかった。 だって!

---だってイルカ先生、まるで強姦されかかってる生娘みたいな顔するんだもんっ!!

 これじゃあまるで、まるで…

---俺が襲ってるみたいじゃないかぁ、かぁ、かぁ…

 と、頭の中で意味無くエコーをかけてみるカカシだった。



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