東方不敗

- The Asian Master -


10


          6.ずぅっと待っててあげるから


 カカシがまた諦めた。

 誰の目にもそう映った。 カカシはイルカを誘わなくなった。 徐々に距離を置こうとしているイルカに合わせるように、はっきりとは拒絶せず、だが自分からイルカの元へ行かなくなった。 初めてのことではなかったので、またか、と皆が納得した。 カカシ本人の内面に葛藤が有るのか無いのか、周囲に判ろう筈もない。 何を考え、何をどう望んでいるのかも決して知る事などできない。 カカシはいつもの飄々とした態度に戻ってしまったし、今度こそはと思って期待していた親しい友人達も、こうなってしまってはもうそれ以上は突つこうとしなかった。
 それでも何日かは、カカシから口にされなくなった飲み会の誘いを今度はイルカが口にしていた。 だがそれも、徐々に遠退いていく沖の小船か日没の太陽か。 風前の灯のような頻度だったのだがそれでも、辛うじて続けられた飲み会の誘いにカカシは然も嬉しそうに応じた。 最後の日の光を惜しむように。



「船漕いでるわ」

 イルカが誘うとなるとカカシだけという訳にはいかない場合も多いわけで、その場に居合わせたアスマや紅にも声が掛かる事もしばしばだった。

「疲れてるんだよ」

 紅はもちろん、アスマも断らないでホイホイ付いてくるので毎回カカシが顔を顰めたが、その実付いてきてほしいと思っていることは明らかだった。 カカシは何かを恐れている、そんな風に感じ出した今日この頃。

「アカデミーの卒業試験が近いから」

 酒が入ると直ぐカカシの隣でうつらうつらし出すイルカを肴に、上忍三人で酒を啜る。 頬杖をつき、その顔を覗き込むようにして囁くように喋るカカシの気の使いようが微笑ましいやら哀れやら。

「寝かしといてあげようよ」

 後は小声で会話する。 それもまた喜。



 だがイルカはどうなのだろう?と、諦めきれない紅などは標的を反対側に移動させた。 画策はくノ一の本分だ。

「ねぇイルカちゃん」

 やたらにイルカにべたべたし、カカシの前で見せつけてみたり。

「お姉さんといいことしましょ?」
「はぁ」

 カカシがその場に居なければイルカも紅のベタな誘いに適度に付き合ったりもするが、紅の思惑が判るのか、ほんの微かな気配を何とか探りカカシの存在を感知するや身を引こうと中忍にできる最大限の努力をする。 だが大概の場合はその甲斐もなく間に合わなかった。 気が付くとカカシが飛んできて紅とイルカの間に割って入っている。 が、それでも話は展開しなかった。

「やめろよっ イルカ先生、嫌がってるだろ!」
「あ〜ら、イルカちゃん嫌がってなんかないわよねぇ?」

 紅がいくら目配せして見せても、イルカが乗らないからだ。

「嫌です」
「ほーら」

 カカシが意気揚々と紅からイルカを引き剥がす。 あっと言う間だ。 カカシに何か感じさせる暇もない。 例えば嫉妬とかも。

「イ、イルカちゃん? お姉さんはね」
「俺、こういうやり方は嫌です」

 イルカの真っ直ぐな瞳。 紅も引き下がらずにはおれまいて。 なんせこの中忍は無敵。 怒る気にもなりゃしない。 嗚呼!



「おいイルカ、サポートやってくんねぇか、一人足りねぇんだ」

 アスマは別に画策はしていない。

「夜は可愛がってやるからよ」

 これも悪気は無い。 ただの冗談だ。

「俺がやってやる!」
「要らねぇよ、中忍でいいんだよ」
「遠慮するな」
「遠慮してねぇって」

 だが、またもカカシが邪魔をする。 アスマのサポートなどさせたらイルカが危ないと真剣に思っているのだ。 バックバージンの心配ではない。 命の心配をしているだ。 その辺の所はこの旧知の友人を理解し信用しているカカシだった。 だが木の葉の中忍に対しては大概失礼な話である。 が、本人大真面目だから始末に終えない。


 そしてイルカは唯ニコニコしているだけだった。 ニコニコして、そしていつかカカシを誘わなくなった。

               ・・・

 魚屋に行ったら「おまえにやる秋刀魚はね!」と言われた。
 八百屋に行ったら「おまえにやる南瓜はね!」と言われた。
 ラーメン屋に行ったら「おまえにやる葱ラーメンはね!」と言われ、カカシは漸く気が付いた。

「……イルカ先生に…なにかあったんですか?」
「なにを白々しい! おまえの所為だろうが!」
「俺、最近、イルカ先生に会ってもないんですよ。 ねぇ、イルカ先生どうしたんです?!」
「おめぇさん…」
「言ってくださいッ お願いですから! イルカ先生はどこですか?!!」

 カカシの必死な様子に一楽のオヤジは取り敢えず矛を収め、急遽他の二人に召集をかけた。 3巨頭会談が東商店街の通りの真ん中で端迷惑に行なわれた。 だが結論は「あそこだろう」としか出なかった。

「あそこって、あの森の?」
「多分な」
「あそこはイルカの…なんてぇかな、そういう場所だからな」
「ああ、マサキさんもそうだった…」
「そういうって…、イルカ先生どんな様子だったんですか? 俺ここ数日会ってなくって全然判らないんです。」
「なんで会ってないんだ?」
「態々二人して俺達の所を練り歩いた、アレはなんだったんだ?」
「そうだそうだ、結局イルカを弄んだのか?」
「と、とんでもないっ 俺はただ、イルカ先生に合わせて…」
「合わせただぁ? イルカにそうしてくれと言われたのか?」
「いえ…」
「イルカの事をどこまで判ってるっていうんだ、おまえ!」
「だって…! だって、イルカ先生忙しそうだったし、誘っても断られるばっかりだし、イルカ先生からも誘ってくれなくなっちゃったし、俺…」
「で、諦めたのか?」
「…はい」

 3人の中で最も体格がよく元暗部という政さんが大きく振りかぶった。 カカシは奥歯を食い縛って目を瞑り、両足に力を籠めて踏ん張った。 だが他の二人が政さんの両腕を捕まえて押さえてしまった。 殴られたかったと思い項垂れる。 この段に至ってやっと、いつかアスマに殴られた理由がなんとなく解りかけてきたカカシだった。 ほとほと遅い。

「捜してきます」
「場所なんて知らねぇだろうが!」

 俯いて言うと怒鳴られる。

「いえ、多分…判ります」

 あのマント、まだ匂い残ってるかな。 頻繁に会っていた時は存在も忘れていたのに、イルカと疎遠になってからは時折取り出しては匂いを嗅いでみたりスリスリしてみたりしていた自分のマント。 最近では殆ど匂いが薄れてしまっている。 でも忍犬ならまだ判るだろう。

「俺、行きます」

 一つ頭を下げ、カカシはあの森のあの枝のあの場所を求めて走り出した。



BACK / NEXT