東方不敗
- The Asian Master -
9
そう言えば前にアスマが言っていたな、イルカ先生は不自然にいきなり態度を変えたりしない、と。 行き着く所は同じでも、ゆっくりゆっくり自然に自然に、イルカの影が自分の回りから遠退くのを、カカシは感じていた。 中忍試験前に彼と揉め、その後一回完全に没交渉になった事があったが、その時はこれほど焦る気持ちにはならなかった。 いつもの事だと、直ぐに諦めた。 人は自分に深く関わらない。 自分も人に深く執着しない。 物心ついてからこの方、大切だと思う人ほど早く逝った。 それは自分の所為ばかりではなかったと、今は解るけれども、それでもこのネームバリューが引き起こした悲劇も少なくない。 その繰り返しが自分に何かをごっそり捨てさせた。 それが何か…は敢えて考えない。 それが自己保存本能の為せる業だ。 楽な方がよかった。 だって、そんなに長生きできる訳じゃなし、楽しく楽に生きたいじゃないか。 唯でさえ仕事はきつい。
「潮が引いてくみたいだなぁ」
「そう、言っただろう」
「うん」
だが、このまま前の通りイルカとゴロゴロのグダグダな飲み会が続けられずに、いつかあの酸っぱいような味が自分の舌から去ったようにイルカの中からも自分の存在が薄くなっていくのかと思うと、今度は耐えられない気持ちになった。 少し深く関わり過ぎたのだろうか?
久しぶりに旧知の友と辛うじて自分は思っている髭熊と二人飲みに繰り出すと、やはり話はそれに終始してしまった。 だがアスマは付き合ってくれた。
「俺、何か間違ったかなぁ」
「さぁな」
相変わらず厳しい態度の友人だ。 これが心地よかったのに、おかしくなったのは自分の方か?
「完全に避けられるって訳じゃないのが、返ってしんどい」
「じゃあ、おまえから切れ」
「アスマ、厳しい」
「イルカがかわいそうだ」
「はぁ… みんなそう言うんだよねぇ。 政さんも健さんも一楽のおやっさんも、みーんなイルカ先生がかわいそうだってさぁ。 だぁれも俺をかわいそがってくんないのよ。」
「おまえは自分がイルカに何をしたか判っていない。 だからだろ。」
「俺、イルカ先生に何した?」
「自分で考えろ」
「うーーん」
カウンターに突っ伏してグラスを弄ぶ。 焼酎の中で氷がぷくぷくと泡を出していた。 こんな風にちょっとづつちょっとづつ、溶けて無くなってしまうんだ、何もかも。 気が付いたら薄くなった焼酎ばかり。
「とにかく謝ってぇ」
「なにを?」
「うーーーーん」
アスマ意地悪、と泣きべそを掻いて見せても、隣の髭熊は自分のグラスをどんどん空にするばかりだ。 そうだ、こういう風に氷が溶ける前に飲んでしまえばOKじゃん? と自分に言ってみる。 でもそれは、何か取り返しのつかない事のように思えて、カカシはぶるぶると頭を振った。
「寂しいよぉ」
「俺に言うな」
「だぁって他に居ないじゃん」
「女にでも慰めてもらえ」
「それだよ。 あの時…郭なんかに誘ったのが悪かったのかなぁ」
アカデミー教師と知っていながらアレは拙かったかな、と思ったので、翌日すぐに謝った。 でもイルカは何を謝るのかと返って訝しんだ。 気にしていない、と。 だからもう済んだ事だと、自分的に処理済の箱に放ってしまったのだった。 だがその時にはもう既に、引き潮が始まっていたのだな、今思うと…。
「三度に一度は付き合ってくれるんだろ?」
「うーん、最近は四度に一度かなぁ」
「年度末でアカデミーは繁忙期なんだ」
「そうだね」
「前は一回も断られなかったからって、贅沢言うんじゃねぇ」
「うん、判ってる。 諦めるよ、俺」
そう言った途端、ゴツっと後ろ頭を思い切り殴られてカカシは再びカウンターに突っ伏した。
「痛ってぇなー、何すんだよ、熊!」
「おまえが余りにもバカだからだ!」
アスマは言うなり席を立ってしまった。
・・・
惜しむらくは、そう惜しむらくはあの場所に…
「連れてってもらえなかったなぁ」
一人夜空に溜息を吐く。 そうだった、全然全く一回も断られなかった訳じゃあなかったっけ。 あの森のあの枝のあの場所へもう一回行きたいなぁ、と何かの序でに言ったらイルカはちょっと考えてからダメです、と言った。 カカシはその時のイルカの語調が何時に無く固い気がして吃驚して、それっきりその話はイルカとの間では無しになった。 きっと大切な大切な場所なんだな、とカカシなりに理解したからだ。 自分にもそういう場所はある。 どんなに親しい間柄でも侵されたくない場所…。
「でも、あの時のイルカ先生、かーわいかったぁ」
私服はそれっきり見たことは無い。 カカシも、恐らく周囲の誰もが、イルカの私服は忍服だと思っていたのだと思う。 イルカはそれほどまでに標準なイメージだった。 でも、彼も忍服を脱いで忍から離れる時があるんだなぁと思ったりした。 自分はどうだろう? 多分自分は四六時中忍だし、一旦任務に出れば担う内容も格段に濃い。 そういう所が中忍に嫌がられるのかな?などと思ったり、無闇に自分の匂いをクンクン嗅いでみてしまったり…。
「イルカ先生のためを思うなら、もうこれ以上関わるなってこと?」
アスマが何を言いたいのか今ひとつ判らない。 でもきっとそういう事なんだろう、と思った。 明日イルカに会ったら、任務で忙しくて暫らく会えないとか何とか言って俺も距離を置こう。 そう思った。
・・・
ああ、気が重い。 でも、こんな気持ちもきっとすぐ薄れるさ。 そうさ、今までこんな事あったか? ないだろ? だから今度もきっとすぐ忘れて、ごくたまーに会ったら挨拶くらいはして、それからまぁ、それから…
「おはよ、イルカせんせ。 あのね、俺ね」
「あ、おはようございます、カカシさん。 俺、今日は定時で上がれそうなんですけど、久しぶりにどっか飲みに行きませんか?」
「う、うん!」
全然ダメダメだった。
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