東方不敗
- The Asian Master -
8
5.心配しなくていいからね
「ざむいよ〜〜 ゲンマー、マントがじでーー」
「やですよッ 判ってたのになんで持ってこなかったんです?」
鼻水を擦り付けんばかりに寄ってくるカカシを嫌そうに突き放し、ゲンマはぶつぶつ文句を垂れた。
「イルカのヤツ、返しに来なかったんですか? 俺が態々住所まで教えてやったのに…」
「あーッ 個人情報保護法ってのがあんの知らないのぉ? もーーッ」
「で? 来たんですか来なかったんですか?」
「来たよ。 おまえの所為でイルカ先生、絡まれちゃってたいへんだった。」
「イルカなら大丈夫ですよ。 強いし。」
「強いからダメなんでしょうよぉ? アイツ等根に持つタイプだしぃ」
「それは…、そうなんですけどね」
「まったく! お蔭で俺が五代目にお小言される破目になっちゃうしさ…」
「でも来たならアイツ、あなたのマント返したんでしょう? マントはどうしたんです?」
「うん、真空パックしてきた」
「はぁ?」
「だって匂いが取れちゃうんだもん」
「匂い? なんすかぁ、それ!」
「ううっ ざみぃ〜っ ゲンマー、俺もおまえのマントに入れてぐれ〜〜」
「絶対ヤです!」
ほらっとティッシュを鼻水垂らした上忍に渡し、ゲンマは内心驚いていた。 こんな展開になるとは思わなかった。
・・・
「あの…、風邪、ひかれたんですか?」
「うん、ちょっと鼻かぜ」
「マント着ていかれなかったってゲンマさんから伺いましたけど、あの…」
「うん、あれはね、真空パックしてウチに置いといたの」
「はぁ」
帰還したその足で受付へ行き、調度良く居合わせたイルカを誘うことができた。 イルカは一瞬固まったが(周囲も全員固まったが)、コクリと頷いてくれた(周囲もゴクリと唾を呑んでいた)。
小さな居酒屋はイルカに連れてこられた店だった。 カカシはその日、ティッシュ・ボックスと共に移動するような具合で、とてもまともにものを考えられない状態だったからだ。 飲みの約束はまた今度にしましょう、とイルカが申し出ても、カカシは今日行くと言って聞かなかった。 過去の経験から、延ばせば延ばしただけ妙な風に拗れる気がして嫌だったからだ。 それともう一つ、この二人には数人のギャラリーが付いて歩いていたが、カカシはぼーっとしていて気を向ける気にならず放っておいた。 イルカに至っては気付いていたかも怪しい。 ギャラリーが全員、上忍だったからだ。
「あの、マントに何か不備があったのなら弁償を」
「ううん、マントは全然だいじょうぶ。 唯ちょっと使いたくなかったの」
「使いたくなかったって… やっぱりどこか穴でも」
「ううん、匂いが取れるのが嫌だっただけ」
「匂い?」
「そう」
「も、もしかして、俺の?」
「そうそう」
「……あの、やっぱり弁償を! それでその匂いの付いちゃったヤツは俺が頂きます。」
「え? やだよ。 それにアレはそこら辺じゃ手に入らないよ?」
「でも」
「ぜったいダメ! せっかく真空パックまでしたのにぃ」
「はぁ…」
「俺、熱燗ね! それとぉ、3種の茸ソテーと筑前煮とお新香、あと秋刀魚!」
「じゃあ俺も熱燗で。 それと焼き鳥とサラダ、取り敢えずそれで」
イルカはまだ納得していない顔をしていたが、話は有耶無耶になったようだった。 イルカが匂いの件をこんなに気にするなんて思わなかったカカシは、これからは気をつけようと思った。 そうでないとせっかく匂いの付いた物を取り上げられてしまいそうだと学習したのだ。 中忍は色々どうでもいい事を気にする生き物なのだな、と思った。 自分が中忍であった期間の事は禄に覚えていない。 遠い昔の記憶だった。
イルカの気配は終始固く、あの森で会った時のようなほんのりと安心が胸に湧く様な感覚は味わえなかった。 酒が入ればそうなるのかと思っていた認識を修正する。 あの森のあの場所でなければダメなのかな、と思った。 それでも徐々に解れていく気配。 まだお互いに遠く深い淵の両岸に居るような気がしたが、一応は同方向に歩き段々にその淵の幅が狭まってきている、そんな風に感じた。
「あれは何なの?」
「楽しい飲み会」
「あっ カカシのヤツ、また鼻かんだっ」
「ずっと寒い寒い言ってましたからねぇ。 完全に風邪ですね。」
「ティッシュの山ができてるわ」
「色気も何にもないな」
「どうしてあんなにガツガツ食うのよ? 二人とも」
「育ち盛りなんじゃないすか」
「もっとこう…あるでしょ? ねぇ、酒も入ってるってのに」
「頬染めるとか?」
「そう! それよ!」
「カカシがあれじゃな」
「でも、イルカの方は意識してるって言ったじゃない?」
「俺、言ってねぇぜ」
「俺も」
「嘘よっ 言ったわっ だってカカシが来ると受付凍りつくって」
「恐がってたんじゃないんすか?」
「イルカはそんな気配出さない子なのよ!」
「しーっ 静かにっ」
ティッシュ礫が一つ飛んできた。 カカシだ。 煩い、と顔に書いてある。 イルカが吃驚したように軽く会釈した。 もう隠れても仕方がない。 合流してしまおう。 そう思った。 だが3人は植え込みの影に雁首並べて動かなかった。 否、動けなかった。 カカシがこちらを向いてシッシッとやっている間に、イルカが一瞬ふぅわりと微笑んだからだ。
「なーに赤くなってんの? おまえら」
カカシがポカンと凝視してくる。
「い、いや、なんでもねぇよ」
「俺達帰るから」
「な、なんでよ? 一緒に飲みましょうよ」
「だめだ、帰るぞ」
「嫌よ、飲むのよあたしはー、離せ熊」
「じゃあな」
暴れる紅をずるずる引き摺って、3人は店の外へ出た。
「あれを見てドキッとしないカカシさんを俺は尊敬します」
「見てないのよ、きっと」
「ああ、イルカのヤツ、カカシにはできないんだな」
「できない?」
「まだカチコチだものね」
哀れだな、と三人三様肩を落とす。 イルカに自覚はあるらしい、それが判っただけでもよしとしよう。 寒風が身に堪えた。
・・・
楽しい。 ルンルンする。 朝日が待ち遠しいって素晴らしい! 任務もルンルン、報告なんかもっとルンルンだ。 毎日その日の任務を終え、受付に終了報告に行き、そしてイルカを誘う。 受付に居ればそのまま誘い、居なければアカデミーまで赴く。 その手間さえルンルンだった。 イルカは断らなかった。 一回もだ。 カカシだとて一日では済まない任務もあるから、連日と言う訳ではなかったし、もう少しなので待っていてもらえますかと職員室で言われて控え室で読書していた事もあったが、それでも必ず夕食には連れ立って出かけた。 一回などは二人で八百屋→魚屋→一楽ツアーをやって、例の3巨頭の口を顎から落として回った。 アレは痛快だった。 カカシは、溜飲を下げるってこのことだな、とニマニマ笑ってしまいまた政さんに睨まれたりした。 がそれでも、楽しいものは楽しい。 イルカの方も徐々に慣れ、今ではすっかりボケとツッコミのような関係になった。 ボケは…自分だ。 だって、イルカにツッコまれると何だか嬉しい。 ゴロゴロと甘えるとよしよしと撫でてくれ、グダグダと管を巻くとしっかりしろと叱咤してくれる。 心地いい距離。 心地いい関係。 心地いい…なんだろう?
「カカシさん」
珍しくイルカの方から声を掛けられ、カカシはぴょこっと耳を立てた。
「なになにイルカ先生」
いつも先に自分が誘ってしまうのでそれは仕方なかったが、最近アスマや紅に言われて気が付いた。 イルカから自分を誘ってくれたことがない、と。 断れないだけじゃあないのか、と。
「あの、今日の晩なんですが」
「ああ、今日はね、俺ちょっと野暮用が」
「野暮用?」
「うん、久しぶりに花街にでも行こうかって、さっき誘われたんだ。 イルカ先生も行く?」
せっかくイルカから声をかけてもらったのに、でもだって俺だって健康な男の子なんだし、でもでもやっぱり、とウダウダ悩み、挙句の果てにイルカも一緒に行ったらいいんじゃないの、と思いついての言葉だった。 だがイルカの表情が一瞬にして固まる。
「俺は…遠慮しときます」
「え? そう? だったら俺も今日は止めとこうかな」
「い、いいえ! カカシさんはどうぞ」
「でも」
「いえ、ほんとにいいんです。 今日は行けないので断りにきたんですから」
「そうなの?」
「はい、じゃあこれで」
行っちゃった、と指を咥えて後姿を見ていると、後ろでアスマとゲンマが唸った。
「哀れな」
「かわいそう」
「なんでだよぉ」
花街に誘った張本人達に言われたかない。
「あ〜あ、肩が寂しそう」
「ほんと、せっかくあっちから来てくれたのに」
「なんで? 俺ちゃんと誘ったじゃん」
「誘うか?普通」
「傷付きますよね」
「だから、なんでよ?!」
理由は答えようとせず、ただただカカシを苛める二人に背を向ける。
「じゃあ俺、やっぱりイルカ先生と飲みに行く!」
「待て待て、今日はもうダメだろ」
「そうですよ、今日くらいそっとしておいてあげなさいよ」
「俺が悪いみたいじゃん! 俺、何か酷いこと言った? ねぇ」
「ああ、もういいから、ほれ行くぞ」
「哀れですねぇ」
なんでだよ!!
でもそれから、またイルカの気配に何か固いものが混じるようになった。 せっかく直ぐ近くまで来ていた淵の対岸が、また少し遠くなってしまった。
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