東方不敗
- The Asian Master -
6
「余計なこと言わないッ」
紅にどつかれてソファからアスマが転がり落ちた。
「本人自覚してないからぺらぺら喋るんでしょうに!」
馬乗りになって胸座を掴み、倒れても尚咥え煙草のままのアスマに、鬼の形相で喰いつかんばかりに迫って詰る紅。
「これからが面白いんでしょそうでしょ?!」
アスマはそんな紅にされるが儘になりながらも紫煙を燻らし、じっとその顔を見返した。
「カカシは置いとくとして、イルカをどうするんだ?」
二人を横目にとても内緒話とは思えない会話が耳を通過するだけだったカカシも、「イルカ」という単語にピクリと脳が動き出した。
俺、自覚してないって…何を?
俺、一喜一憂してる?
俺、何をどうしたいの?
「俺は…」
カカシは立ち上がった。 床の二人がぎょっと見上げる。
「俺の望みは…」
・・・
「イルカはね、意外と脈ありだと思うのよね」
「なんでだ? 迷惑だろう普通。 相手上忍だぞ? あのカカシだぞ?」
「あの子、カカシの前だと感情のコントロールができないみたいなの。 あのイルカがよ?」
「ああーー」
それはアスマも気付いていたのか、大きく溜息を吐いて髭の顎を擦った。
「だがなぁ、だからこそマズイんじゃねぇのか? あんまり突つくなよ」
「だって! 見てて苛々するんだもの!」
「まぁな」
如何せんカカシは呆け過ぎている。 多分、その手の選択肢がごっそり思考回路から外れてしまっているのだろう。 カカシの生い立ちを思えば仕方がないが、イルカにとっては生殺し状態だ。 回りの詮索も加わって辛い状況が増すだけではなかろうか。 無意識にモーションかけられているようなものなのに、当の本人のカカシには全くフォローは望めないのだ。 何せカカシが拳を握り締めて雄叫んだ事はと言えば…
『俺の望みは、誰に気兼ねすることなく美味い茄子と秋刀魚が買えてたま〜に一楽でラーメンを啜りたい、それだけだ!』
ささやかな望みだろうそうだろう?とカカシは涙ぐみさえした。 二人は唖然としてコクコクと同意を表すしかなかった。 その後直ぐに呼び出しがかかり、ゲンマに引き摺られるようにカカシは任務打ち合わせに出て行ってしまったが、雪の国ではマント無しではさぞ辛かろう。
「イルカの話が聞きたいわ」
「やめとけ」
「判ってる、我慢する」
「…なんで?」
「だって、その方が面白いもの!」
「…」
何時に無く素直に同意した紅に感心しかけた自分を罵り、アスマはまたふぅと大きく溜息を吐いた。
・・・
---あれってイルカ先生だよなぁ
西地区の奥深く上忍官舎のある辺りで中忍が一人、4・5人の評判の悪い上忍に囲まれていた。 一目で判る登頂で揺れる尻尾。 着崩すことなくきちんと着込んだ忍服。 ぴっちり額に巻かれた額宛。 と鼻の傷…。 イルカ。
---あ〜あ〜 逃げればいいのに…
ってゆーか、こんなとこ来なけりゃいいのに。
近くの電信柱の上まで来たが、イルカも含め誰もカカシに気付かない。 しゃがみこみ、両手で頬を支えカカシはポカーンと状況を見物した。 手を出そうとは思わなかった。 縄張りに侵入されて気分を害したらしい連中も、適度に中忍がやられれば気が済むだろう。 なまじ自分が介入すれば、後々イルカの立場が悪くなりかねない。 それほどまでにネームバリューが先走っている自分の立場は、過去の痛い経験がそうとカカシに教えたものだ。 あまり深く他人と関わりを持たないに越した事はない、と。 だが、上忍相手にイルカが意外に頑張ったことから、そうも言っていられなくなってきた。
---ありゃりゃー、イルカ先生ったら案外強い
あれってもしかしてカリ? しかも結構な使い手っぽいよ。
カリは、この大陸の東南、南海の小島が数十集まった国に古から伝わるマーシャル・アーツだ。 その武術を生み育んだ民族と同様の小柄で軽量の者向きの体術で、接近戦で圧倒的に不利な体格差・重量差を補って余りある。 相手の勢い・力を利用し、素早く小さな動作と少ない手数で防御から攻撃までを行なう高等テクニックで、こちらが一撃繰り出す間にブロックし受け流し3手目か4手目でもう攻撃に転じてくる。 組み合いながら腕に脇に鳩尾に…、知らぬ間にダメージを喰らいそれが徐々に溜まっていく厄介な技だ。 しかもカリ使いが懐深くに入っている場合は、確実に掌底など一撃必殺の攻撃を急所に入れられると思わなければならない。 小柄な体を捕まえ優位に立ったと気など抜こうものなら、次の瞬間にはこちらが沈められているのだ。 それに、手技が中心の技だが足技が無い訳でもなく、また道具も併せて使うことを基本とした武術で、刀・棍など正式な武器でなくても唯の棒・ペン・紐…なんでも武器として戦闘に活かしてしまう。 忍向きの技と言えるだろう。 カカシも一時期学んだことがあったが、一見細身に見えて筋力・瞬発力が尋常でない自分にはもう少し破壊力のある体術が向いていると思い、主にカリ使いを相手にした時の対処法として研究したに過ぎなかった。 カリ使いの対処法、それは…。
強くてもいいけれど、今はやられておけばいいのに、とカカシは段々気を揉みだした。 中忍なんだから適当に逃げてしまえばいいものを、と。 だがイルカはどうしてか逃げようとはせず、かと言ってさくっと相手を片付けることもできず、ただただ相手を徒に煽りまくっていた。 小脇に何か抱えてる、アレが邪魔なんだろうなぁ。 でも、中忍相手に意外にてこずらされて頭に血の昇った上忍達は、上忍とは名ばかりの連中ではあったのだがそれでも多勢に無勢、徐々にイルカを追い詰めて、更に唯では済まさないぞと言う気配を醸し出している。
余計な恨み買っちゃって、あーもー見てらんないっ
カカシは介入を決意した。
「…2、3 …2、3、4」
さすがに単純なリズムは刻んでないか。 イルカの攻撃パタンと呼吸をなんとか読みながら、カカシはイルカが攻撃に転じたタイミングで音も無く乱闘の真ん中に降り立った。 イルカと組み合っていた者の胸をぽんっと押す。 その男は唖然とした顔してヨロリと後ろによろめいた。 同時に、繰り出されていたイルカの右拳を左手で受け、間髪を入れず自分の右手を返してイルカの鳩尾に入れる。 カリ使いの対処法、それは相手と同等の速さで相手が攻撃を出した直後から2撃以内で大ダメージを与えることだった。 それ以上組み合うと相手のリズムになってしまう。 そんな事言ったって普通できねぇんだよッ オマエみたいにイメージできた事はやれるなんて有り得ねぇんだよッ と凡人は怒るだろうよ。 だがカカシはそれができた。 相当に嫌味なヤツである。
「え?! うっ…」
「わわっ」
---なんでぇー?!
だが、どんなに奇襲だろうと受身を取るくらいするだろうと思っていたカカシは、イルカがまともにカカシの突きを喰らいガクリと頽れてしまったことに逆に焦った。 焦って無意識に、後ろから何かを振りかぶってイルカに打ち下ろしてきて勢いを殺せずそのまま突進してきた上忍の一人の腹に右足で蹴りを入れてしまった。 だって後ろから攻撃されたらしょうがないじゃんっ ソイツはもう一人を巻き込んで3・4m吹っ飛んだ。
---ありゃ、やば…
げげっとなり汗が滲む。 後で五代目からお小言決定だ…。 逃げる? 逃げるよ! 昏倒したイルカを肩に担ぎ、カカシは一目散にその場から煙と消えた。
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