東方不敗

- The Asian Master -


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          3.イースト・ウィングで待っててね


 木の葉の里は、アカデミーと本部を中心に扇状に両翼を広げた形で一般市民も含む町が形成されていた。 本部のある側の背後は高く険しい絶壁に守られ、それ以外の森林部はその絶壁の高さに倣うように巡らされた障壁に囲まれている。 本部から見て右翼、即ち東側の最奥に中忍専用の寮や官舎が、左翼の西側の最奥には上忍官舎が並び、外敵が侵入した場合の緩衝地帯を形作っていた。 自然、東地区には中忍向きの庶民的な店が、西地区には上忍向きの多少セレブな店が集まり、本部から大門に至る中央通り付近には両者が共通して利用しがちな歓楽街が集中していた。
 イルカを公衆の面前で罵倒して以来口を利いてくれなくなった八百屋も魚屋もラーメン屋も、もちろん東側にあった。 どうしてカカシがそれらの主人達と懇意だったのかと言うと、ただ、味が好きだったからだ。 だから無視を決め込まれても商売は商売、客に商品を出さないのは商売人の矜持に触れるのか、カカシは一応そこで買い物も食事もする事ができた。 別に店の主人達との語らいが目的ではなかったものの、若干寂しいことは寂しい。 答えは貰えないかもしれないが、こちらとしては含むところがある訳でなし、カカシはいつも通り話しかけてみたりした。

「政さんって元暗部なんですって?」
「なっ…どっどこでそれを?!」

 意表を突かれた形で思わず口を利いてしまった八百屋のオヤジは、カカシを胡散臭い目付きでマジマジ睨んできた。

「一楽のおやっさんがそう言ってました」
「あ、あんな与太話、信じたんかい」
「イルカ先生守り隊なんですって?」
「むむ」

 たとえ元でも暗部なら、こんな誘導尋問に引っ掛かっちゃ拙いですよ、と笑うと益々眉間の皺を深くされ、「おめぇさんのそういう所が嫌味だ」と面と向かって言われてしまった。

「イルカだって別にアンタを嫌って楯突いた訳じゃねぇ。 アイツはナルトのここ数年間を見てきているんだ。 心配するのは当たり前だ。」
「そうですね。 でも、ナルトには早く強くなってもらわなくちゃいけなくなりました。 もっとゆっくり育てられたら、どれほどいいでしょうね」
「三代目は惜しいことだったな。 イルカにとっては親代わりのお方だった。 どれほど悲しんでいるだろう。 アンタももうアイツに構ってやるな。 そっとしておいてやってくれ。」
「政さんは…」
「あ?」

 一楽のオヤジも魚屋の健ちゃんも、皆ほとんどが彼を「イルカ先生(本人が居ない時は「イルカちゃん」)」と呼ぶ。 この八百屋のオヤジはどうして呼び捨てなのだろう。

「イルカ先生って呼ばないんですね。 イルカ先生とは特別に親しいんですか?」
「俺は…」

 元暗部。 そうか、嘘ではなかったのか。 カカシは政さんの顔が微妙に曖昧な表情で固まったのを見てそう確信した。

「俺は、イルカの両親と親しかった。 それだけだ。」
「そうですか」

 それ以上突つくのは止めて、カカシは果物と野菜の入った袋を受け取った。 政さんの年齢なら三代目の飼い犬だったのだろう。 三代目は色々未解決の事柄を胸に秘めたまま逝ってしまわれた。 暗部がどうして八百屋のオヤジに納まっているのか。 きっと何か訳があるのだろうが、追求してはいけないのだという事は解った。

「俺とイルカ先生は、あの時はちょっと揉めてしまいましたがオフィシャルな事ですし、今も喧嘩してる訳じゃありません。 意地悪もしてませんし、だいたいあんまり会わないですしね。 だからもうあなた達も機嫌直してくれると嬉しいです。」
「…わかったよ。 俺達も大人気なかった。 だがな、もしイルカが泣かされるような事があったら、絶対許さねぇ。 これだけは覚えておいてくんな。」
「ええ、もちろん」

 俺がどうしてあの人を泣かす? 接点もほとんど無いのに。 ああでも、これで前みたいに気安く買い物ができそうだ、とカカシは一つ息を吐いた。

「一楽のおやっさんなんかね、俺だけチャーシュウ減らすんですよ? 信じられます?」
「ふふん、それくらいかわいいもんじゃねぇか」
「魚屋の健さんも、前は頼めば捌いてくれたのに今は鱗も落としてくれないし」
「言っといてやるよ。 さぁもういいだろ。 西に帰んな」
「イルカ先生、来ましたね…」

 商店街の遥か先に話題の中心の中忍先生の気配を読んで、八百屋の主人とカカシはお互いの目をチラと見合った。 会わせたくないってか。 無造作に顎をしゃくられ、カカシはふっと肩を竦めるとぽんっと屋根に飛び上がった。 少し離れた電信柱の上で気配を完全に絶って見ていると、イルカが八百屋に入っていくのが見えた。

               ・・・

 上忍師と中忍アカデミー教師の接点がそうそう有りようはずもなく、受付で偶然その横顔を垣間見る他は全く言葉すら交わさない日常が過ぎていった。 カカシは、数回きりの会話を時折反芻するように思い出した。 その時の得も言われぬ感覚、その後の数日間の(自分にスキップまでさせた)何とも掴みどころのない気持ちが、会話や状況を思い出すとともに蘇り、舌の上に何か甘酸っぱい物を乗せられたような感じを味わった。 だがそれも日にちが経つと共に薄れ、こういう風に忘れていくのだな、と淋しく思った。 きっと俺も忘れられていく。 こんな風に。
 最初の裡は、受付部屋という同じ空気を共有する空間に居るというだけでイルカの緊張が伝わってきたが、それも徐々に薄れ、アスマの言った通りになった。 西の飲食店の味が舌に合わない事が、週の半分は買い物や食事をするためにカカシを東に通わせたが、八百屋の政さんに言われた事を守り、イルカの気配が近付くとカカシは自分の気配を絶ってその場を離れた。 そうこうしている裡にイルカの方が、来たなと思う間もなくふいと足の向きを変えるようになった。 「恐がられている」と言われた言葉が頭を掠め、少し言い訳したい気持ちが湧いたがその代わり、食事や買い物もそこそこに店を後にする必要もなくなった事を喜ぶ事にして深く考えることは敢えてしなかった。 だが気が付くと、カカシも最初から完全に気配を絶って東に来るようになっていた。 一般人には判らなくとも、元暗部の触れ込みもほぼ確実な八百屋の政さんはそれをたいそう嫌がった。

「おい、木の葉の里中でそれはやめろ」
「だってぇ。 気配探られるとついね、条件反射っていうか」
「イルカも同じだって、思わねぇのか」
「ああ…そうね、そうか…」
「アンタ、意外と気が小さいな」
「俺は小心者なんです」
「それに意外とおバカだな」
「あ、それもよく言われます」
「イルカもよくよく不憫なヤツだ」
「えー、なんでイルカ先生? 俺でしょ?かわいそうなのはぁ」
「ふんっ」

 まぁこの3人の誰かに言っても無駄だったな、と思い直したものの、彼らは一様に態度を軟化させてくれたのでカカシとしては居心地がよく、足繁く東に通っていた。 要するにイルカと顔を逢わせなければ良い訳だから、俺が来ちゃいけないってことにはならんよな、と思うのだ。 でも、もしかしたら前より通う頻度が上がっているかもしれない、と心のどこかで思ったりもしていた。

 そうやって互いに避けあっているのだから、唯でさえ少ない接点はほとんど消失したと言ってよかった。 思い出すと感じたあの酸っぱいような味ももうすっかり忘れてしまい、7班の子供達がバラバラに修行を始めると自分には忙しく任務が振られたこともあって、カカシは完全にイルカの事を忘れ、回りも構わなくなった。 そうなったのにそんな頃になって、どうしてだろうか、胸が掻き毟られるような出会いが待っていた。



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