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     カカシ
     カカシ…


「カカシ!」

 ふっと意識が浮上するとともに目に飛び込んできたのは髭面で、野太い声が耳元でがなり、頭ががんがんした。

「ア…スマ…」

 文句を言ってやろうとしたのだが、出た言葉はやっとそれだけだった。 ひどく体がだるく重い。 ズキズキする顳に手を押し当てたいと腕に力を入れようとして、ハテ今までどうやっていたかしらん、と朦朧とした意識の底で首を捻る。 実際にはその首も捻れない状態だった。 無論、腕はぴくりとも上がらない。

「誰にヤラレタ?」

 自分の覚醒にか、幾分ほっとした様子を表情に浮かべながらも、アスマは眉間に寄せた皺を崩さなかった。 低い、凄みの篭った声が容赦なく繰り返す。

「言え、誰にヤラレたんだ?」

 ヤラレタ? なんのことだ? 俺の体はどうしてこんなにだるいんだ。 何をしたらこんなになる?

「ここ、どこ?」
「取り敢えず屋敷だ。 オマエがぶっ倒れたと連絡があってな、例のサロンの2階の個室で意識が無くなってたオマエを運んだ。 呼んでも叩いても起きなかったんだぞ、オマエ。 誰とヤッテたんだ? 誰か男を引っ掛けてたんだろう?」
「男… サロンで…」

 重い頭が更に重くなった気がした。 思い出せない。 俺はサロンに行ってたのか。 誰かと会って、2階部屋にシケコンだ? 覚えているようないないような…。

「医者の看立てでは軽い貧血らしいということだったが、オマエ、もしかして…」

 言うなり太い指で顎を捕まえられ、グイと顔を横に倒される。 こっちは頭がぐらぐらして気持ちが悪いというのになんて乱暴なヤツだと恨み言を言いたくても、億劫で口が動かせない。

「この…痣はなんだ?」
「あざ?」
「首筋にある、かなり大きい」
「キスマーク?」
「そうは見えんがな」

 そう言って左の首筋の喉仏の隣辺りに指先を当て、遠慮もなくぎゅっと押してきたが、べつに痛みも無かった。

「痛いか?」

 目を閉じ、微かにだったがカブリを振ると眩暈が襲ってきた。 目を開けていられず、そのまま閉じていると眠気がじんわりと這い登ってくる。 それに逆らえない。

「もう少し眠れ」

 相変わらずぶっきらぼうな声が遠く聞こえ、頬にそのごつごつした大きな掌が宛がわれた感触が、その暖かみと共に伝わってきて酷く安心した。 自分に何が起こったか判らない。 誰に会い、何をしていたかも思い出せない。 不安だ。 でも今は安心。

「アスマ… りがと…」

 頬を緩く擦る指先から濃い煙草の匂いが発ち、鼻腔を擽る。 アスマの匂いだと思った。 守られている、そう思った。

               ・・・

※アスカカ注意!! ダメな方はは飛ばしてください。

「誰に犯られた? それとも犯ってたのか?」
「ア…アス、マッ あ、やめ」

 怒りが治まらなかった。 相手への怒りと、自分の不甲斐無さへの怒り。 そして恐怖。 どうかするとこの存在を永遠に失くしていたかもしれない。 自分の知らない場所で、知らないうちに。

「嫌だ、あ、うん、んんっ」

 今までカカシが許さなかったのでシタ事のなかった接吻けを、執拗に濃厚に施すと、あたかもこの自分の主を犯しているかのような気分になった。 今までのはセックス友達としてのセックス、決して強姦ではない。 そんな認識はこれっぽっちも無かった。 だが今は、弱ったところに付け込んだ将に強姦だ。 嫌がる体は弱々しく抗うが、それを軽く押さえ付けて嬲り、達かせ、開き、穿った。 そうせずにはいられなかった。 生きている、そう感じたかった。

「思い出せッ カカシ。 こうサレてたんだろう? 誰にだ?」
「テメッ くしょう、この… あ、後で、覚えてろ、う、うあっ」
「犯られてたんじゃねぇのか… おい、オマエのこの体、誰かにこうサレてたんじゃねぇんだな? おいっ」
「覚えて、ねぇってっ くっ やめ、ろっ」

 あれから3日が経ち、幾分体調の戻ったカカシにいつもの調子で憎まれ口を返し返され、少し安堵の息が漏れる。 だが何時にない抵抗の弱さに腹立たしさは一向に去らなかった。 悔しい。 絶対探し出してきっちり礼をしてやる。

「や、やめろって」

 一回で満足できずに、その少し痩せた体から己を引き出すと腰を掴んで引っ繰り返す。 そして後ろからまた腰を掴み直すと、間を措かずに突き刺して揺すり上げた。 追いつかない体力が既に切れているカカシは、もう抵抗もしなかった。 ただ弱々しくだが悪態を吐く。 前に手を回してカカシ自身を探るが、そこは反応の兆しもなかった。

「も、無理だ… アスマ…」
「これからは一人じゃ外へ出さないぜ」
「は、あっ」
「あのサロンへ俺も連れてけよ」
「うっ うっ やめ…ろっ」
「オマエをこんな目に遭わせたヤツを見つけ出さなにゃならんからな」
「あ、うん」
「オマエに手を出したらどうなるか、ソイツにも回りにもとっくりと教えてやる」
「っ」

 がくりと落ちる体を片腕で抱き止め、片手で顎を掴んで後ろに捻じ向け、半開きになった唇を吸う。 今まで抑えてきた感情が爆発するように溢れ出すのを、止めることなどできなかった。 主従の間でのしかも不毛な愛だ。 報われることは微塵も期待していない。 ただ、この存在を自分から奪うことだけは、絶対に許せなかった。

               ・・・

「カーテンの後ろに隠れていろよ」
「判ってる」

 心底連れてきたくなかったが、巌のように動かない意志でもってあらゆるカカシの抵抗と妨害を阻止し、アスマはサロンについて来た。 今は少し離れた物陰に潜んでいる。 ボディガード付きでハントなどダサイにも程があるが、百歩譲ってこうして離れていることを条件に許したのだ。 だが、アスマの方も自分の存在を大っぴらにするつもりが無いという点で利害が一致しており、あっさりその条件を飲んだ。 問題はその後だった。

「こんばんは」
「こんばん…は」

 黒髪の、黒瞳の、少年…

「一週間もかかるなんて、意外と体弱い?」
「?!」

 端を引き上げられる赤い唇

「あ… ああ、いえちょっと体調を…」
「3・4日のつもりだったんだけど」
「な…なにが…」

 知っている、この少年を。 アメリカから来た、男爵家の…、華奢な体、細い腕、巻きつく両足…

「ねぇ、今晩は上へ誘ってくれないの?」
「せ…先週、俺と…?」
「忘れたの? あんなに二人で燃えたのに?」

 艶然とした微笑がどこか空恐ろしく、吸い込まれる感覚に知らず体が震える。 巻き付く両足、揺れる腰、痺れるような快感…

「あ」

 ああああ、と呻きにも似た声が喉から搾り出された。 思い出したのだ。 それは経験したことのないセックスだった。 繋がった下肢と貪り合うように吸い合った口と口から、溶けて混じって境が無くなってしまうような感覚が甦ってきた。 今までの、一方的に突き上げて中に吐き出す独り善がりのセックスとは違う、激しい、歯止めの利かない、どこか恐ろしいような快楽の波に身を任せ、溺れた。 抱いているはずなのに抱かれているような、儘ならないもどかしさ、じれったさも遅れて甦る。

「思い出した?」
「…」

 敗北感だった。 セックスで感じた事のない気持ちだ。 アスマに抱かれている時でも、あれほどまでに翻弄される感覚にはならない。 生来の勝気がムラムラと沸き起こる。

「思い出しましたよ」
「で、今晩は?」
「もちろん、行きましょう。 今宵は先夜のような訳にはいかせませんよ。」

 彼は、またその赤い唇をニッと釣り上げて笑った。

               ・・・

 なんてことだ…!

 カーテンの陰でアスマは凍り付いていた。 動くことができなかった。 冷や汗だけが、顳から頬を伝い顎へと落ちていく。

 間違いない、三代目だ、サルトビ家当主三代目… 本当にこんなことが…

 カカシに近付いて来た小柄な一人の少年の後ろに影のように付き従う老人。 その顔。 父から今の若頭の地位を任せられた時に言いつけられた信じられない言葉が、百年も前に描かれたという一枚の肖像画と共に明滅するように脳裏に閃いた。 理由を聞いても教えられなかった。 それはオマエが七代目を継いだ時に明かそうと、ただそれだけだった。 忘れかけていたほどだ。
 サルトビ家には、「三代目元当主に遭遇した場合に」、という信じられないシーケンスが存在していた。



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