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「ああ、それ」
ああ、それ、とカカシは言った。 事も無げに手に取ると、裏を返し表に戻しして、それからイルカの手にまた戻し、言った。
「これ、俺が出したんです」
これ、俺が出したんです…?
「ほら、これ俺の字ですよ」
俺の字? この右肩下がりのヘタクソな字が?
「空港でねぇ、出したの」
・・・
人を殺そうと決めた時、それを重荷とは全く思わなかった。 その後の人生を考える必要が無くなったからかもしれない。 カカシは”復讐”と解釈していたらしいが、自分としては”親の仇”と激しく憎悪して復讐を誓ったという訳でもなかったのだ。 不思議とそう言ったドロドロした重い感情は湧いては来ず、ただ資料に従って調べてみて「この男は殺すべきだ」と思っただけだった。 世の中には、殺してしまうことが最も適当だと思える人間が確かに居る。 ゴルゴ13とか必殺仕事人とか、強ちフィクションは侮れない、とそんな風に思っただけだった。 その為に色々なものを捨てたけれど、犠牲とは思わなかった。 否、何も感じないように、考えないように突き進んでいただけかもしれないがとにかく、失くしてしまった家庭的な愛情を諦め、平穏な人生も捨て、男としての矜持も捨てて、両親の遣り残した事と自分自身で決めた遣るべき事を達成するためにだけ生きた。 その事が、他の何の罪も無い無関係な人々を巻き込むことになっても、だった。 マクロ的な大儀のためにミクロ的な犠牲は付き物だとか、そこまで傲慢な考えでいたつもりはなかったが、でも、カカシに「傲慢ではないか」と問われた時、「そうは思わない」と敢然と否定はしたものの、かなり堪えた。 やはりこれは個人的な復讐なのだろうか。 心が波打った。 突き進んでいた足が一瞬止まった。 回りを見回して心細くなった。 これ以上一人で頑張るのは嫌だと、どこかで膝を抱えて泣く子供が訴えた。 こんなこと終ぞ感じなかったのに…、カカシに会うまでは。
でも、それでもと、歯を喰いしばる自分も居たのだ。 あの男は殺す。 ヤツが犯してきた数々の非道に対する制裁のつもりはない。 両親を死に至らしめた事への復讐でもない。 ただあの男は殺すべきなのだ。 何かを考えてはいけないのだ、と歯を喰いしばった。 理由を探してはいけないのだ、と涙で滲む視界を手の甲で振り払った。 殺すのだ。 もう既に、違法な治験に関する資料は渡るべき所に渡っていた。 だから後はヤツを殺すだけだ。 そうしないと…
『そうしないと?』
これからどうしていいかわからない。
それ以外、何も無い。
『だいじょうぶ、俺が居るよ』
アナタが居ればだいじょうぶ?
その手を取れば、俺は…
あの夜、自分は一度あの手を取った。 事が終ったら必ず解き放つからと心に誓ってのことだった。 自分の手は咎人の手なのだ。 ずっと握っていていいはずがない。 自分は自首してカカシには逃げてもらう、と当たり前のように考えていた。 それなのに、どうしたことか気がつけば自分は、カカシと手に手を取って逃げていた。 長年、”殺す”と思い決めてきた相手も放って、荷物も碌に持たないで日本を後にしていた。 カカシのお蔭でヤツが心底恐怖に慄いた日々を過ごしたと判ったからなのか、それとも、カカシがヤツに轟音と共に44マグナム弾を撃ちこむ姿を見て思わず止めてしまった自分自身の真意にハタと気付いてしまったからなのか。 とにかく、それにしたって何故一発でもぶち込んでこなかったのだろうかと後悔する暇も余裕も無く逃げて、ここに着いたが早いかセックス三昧の日々にどっぷり浸かって、今となってはもう、笑えるくらいどうでもよくなってしまっていた。 どちらにせよ、ヤツを殺っていてもいなくても、あの騒ぎの所為で捜査のタイムテーブルは大幅に巻かれたはずだ。 あの会社も、ヤツも、もうお終いには違いない。 いや、そんな事ももうどうでもよかった。 今の自分にとっては、赤い瞳と青い瞳のただ一人の泣き虫な神だけが、唯一で、何もかもで、全てだから。 でも、やはりこの手はいつか離さなければならない、と暖かい手を見てしまう。 そう誓っただろう、と。 オマエのエゴで縛り付けてはいけない、と。
丘を駆け登って、息を切らして、ドアを開けて中に入ってカカシの姿を探した。 カカシは、ベッドに座り込んで泣いていた。 目が痛いと言った。 彼の左目は移植された目だと聞いていたので、何か拒否反応のようなものが出ることがあるのだろうかと心配になった。 それとも泣き虫の彼のことだから、他に何か泣きたい事柄が有って、それを誤魔化しただけなのか。 それはそれで心配だ。 ベッドに駆け寄り顔を覗きこむと、カカシは顔を真っ赤に染めて体を引いた。 外の夕焼けの所為だけじゃないと思う。
「アナタが出した?」
はぁ?
「空港で?」
「そうそう。 配達日指定郵便っていうの? したかったんだけど、一週間以内しか指定できないって言うからさー、仕方なくギリギリ一週間後にって頼んだの。 でもこんなに遅れるなんてねぇ。 俺も忘れてました。」
はぁ…
「先月の月末くらいに届くかなーって、思ってたんだけど」
「あの… こ、こ、こんなことしてっ あ、足が付いたらどうするんですかっ!」
あんまりだ。 あんまりだよ。 俺がなんかドジしてここが割れたのかって、また逃げなくちゃって、いや、こんなにカカシを巻き込んで、やっぱり俺は日本へ帰って自首するべきなんだって、あんなにあん…なに…
「だーいじょーぶだよー」
「だ…だって、だって」
「ほら、宛名ね? ちゃんと書けてるでしょ? ねぇねぇ」
ちゃんと書け過ぎてて問題なんだろうっ もう知らんっ なんか泣けてきた。
「イルカ先生とルームメイトになった時さ、住所変更用に「海野イルカ方 はたけカカシ」っていう書き方教わったでしょ? だからそれに倣って宛先書いてみたの。 えへへー」
「えへへー、て…」
何考えてるかサッパリ判らん。
「え? 間違ってる?」
「いいえ、合ってますよ」
「よかったーっ うふっ ねぇねぇ、早く開けてみてよ」
合ってるよ、合ってるけど… 暢気過ぎないか? なぁ
「ほらほらー、俺が開けたげよっか?」
「いいですっ」
ビリビリっと破きそうな勢いのカカシの手から封筒を守り、ポケットから小さめのサバイバルナイフを取り出し丁寧に口を切った。 中には二つ折りのカードが一枚入っているだけだった。
「カ…カシさん」
「開けて開けて」
もうその時には、カカシが阿呆にもここまでしたがった事が何だったのか判り、涙がジワリと滲み出てきたイルカは、開く前に思わずカカシの顔を見た。 期待に満ちた目をキラキラさせて、さっきまで泣いてたのに全くこの人は…全くこの人ときたら…
Happy Birthday !!
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26才のイルカ先生へ
おたんじょう日おめでとう、イルカ先生
この一年がイルカ先生にとって幸せでありますように
イルカ先生のお父さん、お母さん
イルカ先生を産んでくれてありがとうございます
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「うっ」
「えっ イルカ先生? どうしたの?」
もう立っていられなくて、座り込んで口元を覆い嗚咽を堪えたのだが、ベッドから飛び降りてオロオロと側に寄ってきたカカシの気配に感激で解れかけた気持ちがまた…なんかムカっときた。 きて、出掛かっていた涙をぐっと飲み込んだ。
「こんな…こんな事のために、危ない橋渡ったんですかっ 迂闊過ぎますっ」
「ごめ…ごめんね。 イルカ先生のご両親の話聞いてちょっとやってみたくなっちゃったの。 哀しいこと思い出させたよね、ごめんね。 嬉しくないよね…」
「嬉しいに決まってますっ!」
「え」
俺も相当天邪鬼だ。 素直に嬉しいって言えないのか。 でもだって、さっきあんなに悩まされて何か悔しいんだ。
「嬉しいです。 ありがとうございます。」
「ほんと?」
ね、ほんと? ねぇねぇ、ほんと? と何度も繰り返し訊いてくるので、せっかく素直になりかけた気持ちがまたまた強張る。 なんか悔しい。 なんかすっごく苛っとくる。
「ほんとですっ でもっ でも…い、一年ってなんですか? 俺、一年分しか幸せになれないんですか?」
「ええっ そこ? そこなの? だ、だだだって、えーとえーと」
「俺、来年は幸せになれないんですか?」
「そんなことないよ! 来年もイルカ先生の幸せを祈るもんっ 27歳のイルカ先生に、あの…」
「…なんですか」
「カード、送りますちゃんと、来年も再来年も…、その、イルカ先生の住所…教えてもらえれば、だけど」
住所?
「住所…」
もうダメだ。 もう涙止まんない。 自分で自分のことも止められない。 聞きたくて聞けなかったこと、言いたくて言えなかったこと、全部、全部…
「住所って…来年はカカシさん、俺のルームメイトで居てくれないんですかっ 俺来年はもう、はたけカカシ方海野イルカじゃないんですかっ そんなのやだって言ったのアナタじゃないですかっ アレも演技だったんですかーっ」
言っちゃダメだ。 涙がボトボト零れ落ちる。 言っちゃダメだ、言っちゃダメだ、言っちゃ…
「監獄から「海野イルカ、愛してるー」って言うって言ったくせに、俺のこと、あ、あんなに毎日毎晩抱いてるくせに、やっぱり…俺は、期限付きの…セックス相手でしか…うう」
言っちゃった。 言うまいと思っていた事まで、とうとう言ってしまった。 どうしよう、カカシの顔が見れない。 恥ずかしいし、困った顔とかされてたらもう…、もう立ち直れないっ と、亀の様に床に顔を伏せて丸まって泣いてしまった。 こんな子供みたいなことしたのは、両親を亡くしてから初めてだ。
「イルカ先生」
呼ばれたって起きてやらないっ ずっと泣いててやるっ
「イルカ先生」
そんなか細い声出したってダメだ。 もう何にも信じな
「イルカ先生っ」
二の腕を凄い力で掴まれ引き起こされていた。 目の前すぐ間近にカカシの顔がある。
「い…たい」
「イルカ先生、もしかして俺のこと……好き?」
痛いと訴えても、ギリギリと締め上げるように掴むカカシの力は弱まらなかった。 それどころか益々強く掴まれて、顔も益々近寄って、赤い瞳と青い瞳に覗き込まれて何も言えなくなった。
「ねぇ、好き?」
言わない、好きなんてぜったい、い、言わな…
「す…き」
また、あの時のように、操られでもしたかのように口が動いた。 あ、カカシの目の色が…
「あぅ」
一気に欲情した色に染まった。 しまった、と思った時には喰いつかれていた。 床を転がるように抱き竦められたまま押し倒され、接吻けが嵐のように繰り返される。
「ん、いた」
顔と言わず髪と言わず撫で回す手が激しすぎて痛い。 硬い床に押し付けられた背中が痛い。 接吻け、と言うより噛み付かれている感じの唇が痛い。
「はっ くる…し、はうっ」
息ができない。 もうっ この性欲魔人めと、顔を振って肩を押すと、その恕等の接吻けがハタと止まった。 顔が離れて、イルカの顔を囲うように両手を着いたカカシがじっと見下ろしてくる。
「イルカせんせ…俺のこと…好き?」
覗き込んでくる顔。 目の色がまた違う。 そんな…そんな心細そうな顔したって…だめだ…
「好き?」
ぱたぱたと落ちてくる。 頬に、目に、鼻に。 小首を傾げて請うように訊くカカシの涙。
なんて…こと……!
俺は
そんな顔…、アナタにそんな顔
させてたなんて
「好きです…」
今まで自分のことばかり
俺は…
「好きですっ」
俺はアナタにそんな顔ばかりさせてきたのか。 嗚呼…、俺ってヤツは本当になんて…なんて独りよがり。 自分が失うことばかり考えて。
「ごめんなさい、好きです、大好きです」
もう泣かないで。
止まってしまった接吻けの、その彼の唇目掛けて伸び上がった。 両腕でその首にしがみついた。 自分から何度も何度も接吻けた。
「っ」
言葉も無く抱き締めてきたカカシを、強く強く抱き返す。 今までただ抱かれるだけだった。 ごめんなさい。
「イル…せんせ…」
泣き虫な神は、眉をハの字に下げて、唇を思い切り噛んで、鼻水と涙でぐしょぐしょのとんでもなく情けない顔をして、
笑った。
・・・
顔にパタパタと水滴が当たり、またカカシが泣いている、とその頬に手を伸ばそうとして目が覚めた。 頬は見えなかった。 その代わり、大量の水滴がシャワーヘッドから落ちてくるのが見えた。 水が貴重なこの辺では、日本のようにシャワーは”水流”にならない。 でも気持ちがよかった。 ここへ来た最初の日のことを思い出した。
「イルカ先生、だいじょうぶ?」
あの時、やはりシャワーの水で覚醒した自分に、カカシは何故かオロオロとして「だいじょうぶ」と問うたのだった。 でも今日は鼻歌混じりだ。 カカシの胸に凭れている背中から、微かに彼の歌声による振動が伝わってくる。 気持ちいい。
「きもちぃです」
答えると、ぶちゅーっと数瞬間口を塞がれた。 苦しくなってジタバタとその顔を押すまでそれは続き、離れた顔は物凄く緩んでいた。
「イルカ先生、かわいい」
---かわいいのはアナタだ
なんだその顔。 ふんふんふんっと鼻歌は続く。 あれから覚えが無くなるまでセックスした。 最初の日よりも激しかったかもしれない。 自分も求めていたから、それほどとは感じなかったけれど。 でも、でもだよ、任せた体の腰の後ろ辺りで何かが徐々に硬くなっていく。 この人いったい…と呆れて顔を見上げれば、ほんのりと赤らんだ頬をしたカカシが気がついて、素知らぬ風で小首を傾げた。
「なんですか? イルカ先生」
「アナタの理性は5年穿いたパンツのゴムより緩いです」
あー、すっきりした。 これ、ずーっと言いたかったんだ。
「はい?」
シャワーでよく聞き取れなかったのか、カカシが問い返してくる。 その顔がさっきよりもっと赤らんでいて、背に当たるモノは完全に形を成していた。
---この人の赤面って…もしかして恥ずかしいからじゃなくって…
うん?
***
「アナタの理性は5年穿いたパンツのゴムより緩いです」
5年穿いたパンツ? うーん、今度5年穿いてみよっと。 うふふ、イルカ先生の顔、なんだか変な顔。 ほにゃーっとしてる。 これはどんな時の顔なのかな。 いつか、イルカ先生の本当に幸せな顔が見れたらいい。 ずっと一緒に居れば、いつかきっと見れるよね?
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