KAKAIRU LIVES
-カカイル、ぐつぐつ煮えた生活、そして一向に進展しないサスナル&四さまのアレやコレや-
6
ケーキ
カランッ と音がした。 イルカが朝から台所に篭って何か作っている。 何を作っているんだろう?
「あっ」
「?」
自分は居間で新聞を読んでいた。 でも、イルカの声だったらどんなに小さくても1km先でも聞き分ける。 それがちょっと焦った声だったら尚更だ。
「どうしたの?」
「え、い、いえ、なんでも」
「?」
態々立ち上がって行って様子を覗くと、イルカは心なしか赤い顔をしてふるふるとかぶりを振った。
「何作ってんの?」
「あの…ケーキを…」
「ふ…ーーん?」
イルカの手元にボールがあった。 回りには粉の袋、砂糖の袋、攪拌器、計り、計量カップ、牛乳パック、バター・ケース、卵数個、それと何だか判らんが小瓶。
「なんで…ボールに卵の殻が入ってるの?」
「…」
ついでに言うと、シンクの生ゴミ入れに卵の中身が入っていた。 そしてイルカは真っ赤になった。
***
ぼーっとしてた訳じゃないと…思うんだけど、ケーキ作りは久しぶりだったので手順をアレコレと思い出しながら考えながら用意をしていた。 で、取り敢えず卵を泡立てて、と調理台に卵をコツンとぶつけて---何かの角で割れ目を付けるより、平らな所で殻の表面がちょっと凹むくらいにしたほうが上手に割れる---ボールに入れて、と殆ど機械的に作業を進めていた時だった。 卵は日常的に使うので、割ってフライパンに直接入れて目玉焼きとか、割って混ぜてオムレツとか、割る作業を意識してやったりしない。 特に困難でもない。 ないんだけど、ケーキを作る時だけ時々こういう失敗をするのは何故なのか?
「あ、あの…ちょっと間違っちゃって」
「ちょっと?」
カカシが物凄く怪訝そうな顔をしていて物凄く恥ずかしい。 でもこの失敗は久しぶりだ。 だってケーキ作りそのものが久しぶりなんだもの。 さっき、カランっという有り得ない音がした時も何かこう懐かしい気がしたけれど、忘れていた。 そうなのだ。 ケーキを作る時だけ、卵をボールに割り入れるという単純作業を時々間違える。
「あの…卵をボールに入れるつもりが…殻のほうを入れちゃって…」
「それで中身は捨てちゃったの? イルカ先生、大丈夫?」
だからって額で熱を測るのはどうかと思う。
・・・
卵を攪拌する。 まず白身だけ。 攪拌はとても疲れる作業だ。 腕が痛くなる。 でも途中で休むと上手くいかないので、ただひたすら攪拌する。 すこし角が立ってきたら計っておいた砂糖を入れて更に攪拌。 砂糖を入れると重くなるけれど、角はしっかりしてくる。 その角がツンとして倒れなくなったら黄身を入れてまた攪拌。 シフォンの場合はここでサラダ油を少しづつ入れるが、スポンジ・ケーキの場合は粉を混ぜてから溶かしバターを入れる。 これには諸説あると思うが自分はそうする。 そして硬さを見て硬すぎると思ったら暖めた牛乳を加え、エッセンスを加え、サックリ混ぜて、バターを塗って粉を叩いたケーキ型に流し入れる。 型を5cmほど上から調理台に水平に何回か落として泡抜きし、手でくるりっくるりっと回して遠心力を利用した地均しをする。 後は焼くだけ。 今回は直径18cmの型を使った。 中くらいの大きさってところか。 180度で予め暖めておいたオーブンの下段に入れ、20分ほど様子を見ながら焼く。 200度でまず10分ほど焼き、180度に下げてもう10分焼くという説もある。 でも自分の場合は、めんどくさいので180度で20分焼いて、串を刺してみて種がまだ生っぽかったらもう5分焼く。 まぁ失敗したりはしないので、多分これでも大丈夫なんだろう。 ケーキ作りは誰かに教わった訳ではなく、本を見ての独学だった。 本によって作り方が微妙に違うので、取り敢えずやってみて失敗しなかった方法を覚えた、というだけなのである。
「できたの?!」
手を洗って居間に行くと、カカシが尻尾をふりふりして待っていた。
「いえ、今オーブンに入れたとこです」
「どのくらいでできるの?」
「そうですねぇ、焼くのに22〜23分、あと冷まして飾りつけてもう小一時間はかかるかな」
「へぇー、結構手間だね。 でもた〜のしみ〜〜!」
「あ、あの、カカシさん? 俺、昨日言いましたよね? 今日は昔の友達に呼ばれてるって」
「え? 言ったっけ?」
「もう… ゆうべ言ったじゃないですかぁ あのケーキはその手土産で、ウチの分じゃありませんからね」
「ええーーっ!」
やっぱり聞いてなかったか、と溜息。 昨夜、ベッドに入る前に言った自分が悪かったんだ、とまた溜息。 そして赤面。 ゆうべのベッドでのことを思い出した。
「また作ってあげますから今日は我慢してください、ね? カカシさん」
「むぅーー」
カカシは拗ねてしまった。
・・・
そうこうしているとオーブンがチンっと鳴った。 慌てて飛んで行って蓋を開けてみる。 よかった焦げてはいない。 いつもなら焼いている途中で何回か様子を見るのだが、カカシを宥めていてすっかり忘れていた。 串を刺しても何も付いてこなかったのでミトンを両手につけて取り出して、まな板の上に引っ繰り返す。 そのまま放置。 網状の冷まし台などがあればいいんだけど、そんなものは無い。 まぁ上は平らに切ってしまうので、これで充分だ。 さましている間にクリームを泡立てなければならない。 これもまた攪拌だ。 さっきのよりずっと厳しい作業になる。 いいかげん筋肉が疲れてきている上に、クリームは中々泡立たない。 大きめのボールに氷水を作り、その中に生クリームと砂糖を入れたボールを浮かべて攪拌攪拌攪拌。 カカシさん、静かだけど、自分の部屋に行っちゃったのかな。 それともベッドで不貞寝かな。 隣からはコトリとも音がしてこなかった。
カカシと同居しているこの部屋は、2LDKの普通のマンションタイプの間取りだった。 でも各部屋が割りと広めにできているので、普段は居間にふたりで居て(だいたいひっついているので)窮屈なことはないし、主寝室も広かったのでダブルベッドを置いても特に不都合はなかった。 もう一つの個室は一応カカシの部屋で、彼や彼の父親の色々な持ち物や道具が収まっていたが殆ど使われていない物置部屋となっていた。 でも、シングルベッドが一つ置いてあるので、そこに客を泊めるような事もあったのかもしれない。 自分が来る前の話だが。
考え事をしながらもクリームはできた。 今回は誕生祝い用のケーキなので、シンプルに苺とクリームだけで飾りつける。 まずスポンジの上の皮を削ぐように落として平らにする。 そしてそれを半分の厚さになるようにスライス。 二つに分けて両面に杏ジャムをコアントローで伸ばしたものを塗り、そこにクリーム、苺、クリームと挟んで積み上げる。 3段にする時もあるけれど、今日は持ち歩かなければならないので2段。 まっすぐに立っているかを確認し、回りにも均等にクリームを塗って、最後に上部の飾りつけをする。 これが一番楽しい作業だ。 口金を付けた絞り袋にクリームを入れ、くるっと格好良く飾りが作れたらとても気分がいい。 まず回りに一周クリームの土手を作り、真ん中に固めて苺を並べる。 そして空いている部分をきゅっきゅっと残りのクリームをありったけ絞っていく。 時々は手に付いたクリームを舐めたりする。
「そうだ」
思いついて苺とクリームを少しづつ残し、切ったスポンジの上の部分とで小さなショートケーキを作った。 小さいながらも飾りつけもきちんとし、ほら美味しそうになった!
「カカシさん、カカシさん!」
ベッドルームを開けてみると、カカシはベッドでぐうぐう寝ていた。
***
「ただいま」
不貞寝しているうちに寝入ってしまい、しかもイルカはそんな自分を起こさずに出かけてしまった。 それも、大学時代の”女”友達の誕生日祝いとかで手作りケーキ持参でだ。 朝早起きして、俺のこと放って、行ってきますも言わないで行ってしまった。 だからとても怒っているのだと、居間のソファにぐうたらと座って知らん振りを決め込んだ。 おかえりなさい、も言わなかった。
「カカシさん、ただいま帰りました」
イルカが居間に顔を出す。
「カカシさん… まだ怒ってるんですか?」
ツーンとシカトをしていると、イルカがそっとソファの隣に座る気配がした。 先日はこれでヤラレちゃったんだ、でも今日の俺はもっとずっと怒ってるんんだ、ほんとに真剣に怒っててちょっとやそっと甘えられたって機嫌なんか直さないんだ、かかってこい!てな感じでむーんと構えていると、イルカは無言でコツッと肩に頭を押し付けてきた。
「カカシさん」
む、むーん!
「怒らないで」
むむむーん!
「冷蔵庫のケーキ、食べました?」
むむむむ………ケーキ? なにそれ?
「なにそれ?」
「食べてないんですか?」
「知らないよ! そんなの」
「貼り紙しておいたでしょ?」
「どこに?」
「冷蔵庫のドアに」
「し…知らないもんっ」
見ていなかった。 しまった。 もしかして俺用に態々ケーキを作っておいてくれたのか?
「そんなに…怒ってるんですか」
「お、怒ってる!」
「………ごめんなさい」
イルカは随分と間を開けて、ぽつんと謝った。 そしてサッと立ち上がって出て行ってしまった。
「イルカ先生?」
振り返ると、ソファに小さな箱が置いてあった。 封が切られていたので開けてみると、銀のスプーンが2本、入っていた。
・・・
イルカは、普段かわいく拗ねたり怒ったりガミガミ小言を言ったりはするけれど、本当に心底機嫌を損ねるという事が殆ど無い。 彼は寛容で、何かを拒否することも殆どしない。 自分が我慢をするということにあまり頓着しないし、苦だとも思っていないらしい。 そうしていつも損をするのに、それを損だとも気付かないことも多い。 誰かや何かに期待をしない。 自分のことは一人で何でも決めてしまうし済ませてしまう。 大人なんだからそれが当たり前で、こんなことを言う自分の方が甘えていると判っている。 でも、苦しい時は苦しいと言って欲しい。 辛い時や無理な時は頼って欲しい。 哀しい時は胸に縋って泣いて欲しい。 こんな風に閉じ篭ってしまうイルカを見るのは辛い。
「イルカ先生?」
そして、一旦引き篭もってしまうと、自分の拗ねようなど全くかわいらしく思えるほど、イルカは頑固だった。
「イルカ先生、泣いてるの?」
イルカは物置部屋のベッドで壁の方を向いて一人で丸くなっていた。 何を言っても肩を揺すってもこちらを向かないし返事もしない。
「なんで泣いてるの? あの銀のスプーンはなに?」
イルカの肩がピクリとしたが、それでも何も答えは無かった。 押し殺した泣き声もしないし、鼻を啜ることもしない。 もしかすると子供の頃からずっと、こんな風な泣き方をしてきたのかもしれない。
「イルカ」
だから力任せに肩を掴んでこちらを向かせる。 そうしないとこの人は、ずっと一人で泣いて、そのうち何でもなかったように普通に戻ってしまうので。
「ほっといて!」
「だめだ!」
暴れる彼を組み敷いて接吻けると、彼はやっと嗚咽を漏らした。
・・・
彼が作ったケーキは、”女”友達のための物ではなく彼女の生後1ヶ月の娘のための物だったと判った。 そして銀のスプーンは、その彼女から贈られた”結婚祝い”だと言う。
「正式にではないけど、結婚したって言ったらアレをくれました」
しあわせにねって言われたと、彼はまた涙を零した。 そして
「ごめんなさい」
とまた謝った。 自分は自分なりに、イルカが何にこんなに落ち込んでいるのか考えた。 考えて考えて、そしてこう言ってみた。
「俺がこんな風に毎日毎晩これでもかってアンタに注いだらさ、もしかしたらデキルかもよ? 赤ちゃん」
「ばっ…」
この時ばかりは本気で殴られた。 痛かった。 でもイルカはやっと笑ってくれた。
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