KAKAIRU LIVES
-カカイル、ぐつぐつ煮えた生活、そして一向に進展しないサスナル&四さまのアレやコレや-
5
むかしむかし
その日を大分過ぎてから、先生は5月がイルカの誕生月だったことに気付いた。 そして慌てて、何か好きな曲を1曲弾いてあげようと言ってピアノの蓋を開けた。
「じゃあ、グリーグの叙情小曲集の…」
「第何集?」
「10集の最初の」
「Det Var Engang?」
「はい」
「アシュケナージが「泣きたいほど美しい」と言った曲だね」
彼は棚に行って分厚い楽譜を取り出した。 グリーグの叙情小曲集は2cmほどもある冊子2冊に第1集から10集まで収められている。 自分が望んだ曲は、下巻の最後、第10集の第1曲「むかしむかし」だった。
アシュケナージが「泣きたいほど美しい」と言ったという逸話は、偶然ラジオのクラシック番組で自分も聞いたことがあった。 それまではグリーグと言えば、「ピアノ協奏曲」か「ペール・ギュント」くらいしか聴いたことがなかったので、その”泣きたいほど美しい”曲を是非手元に置いて何回も聴きたいと、CD屋巡りをしたものだ。 だが、当時自分が住んでいた田舎には、残念ながら目的の物は無かった。 ならばせめて楽譜でもと思い捜すと、幸か不幸かその分厚い2冊組みの本に行き当たったのだった。 まだ中学生の頃である。 自分の小遣いではとても手が出なかった。 両親を亡くし、養い親となってくれた祖父の元へ来て間もない頃だったので、我侭も言えなかった。 そこで仕方なく”立ち読み”することにした。 ところが、ラジオで一回だけ聴いたその曲の名前も第何集の何番目の曲なのかもうろ覚えで、頭にしっかり入っていたのは曲だけ。 だから…
「で、第1集の頭から順に譜面を見て捜していったの?」
「はい」
「1集にだいたい7〜8曲入ってるよね?」
「そうですね」
「せめて第5集より前に入ってればよかったね」
「ほんとですよ」
そこで二人で一頻り笑った。 話しながら彼は既に譜面を開いてセッティング完了していたので、そこで徐に弾き出した。 最初たったの1音から始まるその短い曲は、本当に泣きたいほど美しい。 最初の主題がそれはそれは美しいし、第2主題も更に叙情的だ。 前後がローテンポのmoll、トリオがアップテンポのdurの典型的なトリオ形式で、トリオが終った後もう一度最初の主題が現れた時には、本当に泣いてしまいそうになる。 先生は、抑えた演奏で淡々と、その「泣きたいほど美しい」曲を泣きたいほど美しく弾いてくれた。
「ありがとうございました」
「はい」
ペコリと頭を下げるとニコリと笑うこの人も、とても容姿の美しい人だな、と見るたび思う。 金の髪、青い瞳、整った顔立ち。 ナルトに言わせると、性格が全てを台無しにしているということだが、自分はこの人の性格もとても好きだ。
「君の趣味はお父さん譲りかな」
「え? ああ、そうかな」
考えたことが無かったが、似ているところがあるかもしれない。
「母がショスタコビッチのピアノ五重奏をゴリ押しした時、さぞや押しの強い女性だな、と思われたんでしょうね」
「ああ、うん、そうかもね。 アレはピアノが前に出た曲だもんねぇ」
「子供の頃は判りませんでしたけど、最近になってやっと、母の自意識の強さとか異常なほどのプライドの高さとか、感じるようになりました」
「そう」
彼のこの控えめでいながら決して誤魔化さない態度も、とても尊敬している。 自分には中々できない。
「カカシさんのお父さんは、どういうご趣味だったんでしょう?」
「あれ、本人に聞いたことないの?」
「いえ、彼もよく判らないって」
「そっか…」
ちょっと眉尻を下げて、先生は情け無さそうに笑った。 まるでカカシの父親の非が自分の非であるかのように。
「カカシ君、あんまり父親と一緒に暮らさなかったからなぁ」
「あなたと居た方が長かったかもって言ってますよ、いつも」
「そうかもね」
ふふっと笑って俯いて、その金髪の美しい人は暫らくどこか遠い場所と時間に行ってしまった。 ナルトが言う、ぼけーっとしてばかり居る、というのはこういう時なのかな、と唯々その顔に見惚れて自分も黙って側に居た。 大の大人が二人して、誰も居ない練習場の片隅でぼけらーっと立ち尽くしているなんて、なんておかしく変なんだろう。 最高の誕生日プレゼントだな、と思った。 カカシと居ると中々こういう雰囲気にはならない。 彼はいつも自分を見ていて欲しいと言って憚らないし、彼もまた一時も自分から目を離さないぞ、みたいな所がある。 そんなに心配かな?と首を傾げるばかりだ。 自分はどちらかというと、ぽけらっとする時間が必要な人間だった。 一日にたとえ数分でも一人でぽけーっとしている時間が無いと、段々ストレスが溜まってくるのを感じる。 それどころか、ぽけっとしていていいと言われたら何時間でもぽけっとしていられる自信がある。 だからこういう風に、一緒に居ても黙っていていいし、ぽけっとしていていい人というのは本当に貴重だった。
そんなこんなを徒然と思いつつ、どの位ぽかんとしていたのか、ふと気付くと顔を覗き込んでくる気配がしていた。
「イルカ君?」
「あ… はい、すみません、ぼーっとしちゃって」
「ううん、大丈夫?」
「はい、ぜんぜん」
「そう?」
そこで二人してえへら〜と笑う温い空気も、カカシと居ては絶対に味わえないものだな、と感慨深い。
「あの、ありがとうございました。 素敵な誕生日プレゼント。 皆さんにこうして弾いてあげてるんですか?」
「うん、只だしね」
「そうですね」
そこでまたえへへ〜と笑い合う。 俺ってもしかして本当は、こういう人の方が合ってるんじゃないのかな、とカカシとのグツグツ煮えたような生活を思っていると、突然元気のいい思いっきり遠慮の無い声が割って入ってきて、全ての歯車がぎぃぎぃと回り始めた。
「おいっ オヤジッ! いつまでグダグダやってんだってばよ!」
「あっ ごめん、ナルトくん」
君に待っててもらってたのうっかり忘れてた、忘れんなよこのドアホ!、ごめんってばごめん、とどちらが親でどちらが子供なのかな、という会話をまたぼーっと聞いていると、ナルトが飛びついてきた。
「イルカ先生! なんだ、イルカ先生と居たのかよ。 なら俺も呼んでくれたらよかったのにぃ」
「ごめんごめん」
腰に抱きつきスリスリと甘えてくる金髪をくしゃくしゃと撫でていると、同じ金髪のその人は、これ以上無いというくらい頬を膨らませて珍しく声を荒らげた。
「だ、だって、誕生日プレゼントのピアノは他の人には聴かせらんないもんっ」
「なんだよ、ケチくせぇな」
「ケ、ケチじゃないもんっ いつもそうしてるんだもんっ ちょっと、もう離れたら? ほらイルカ君だって困ってるじゃない」
「困ってないよね?イルカ先生」
「あ、えーっと、その」
「困ってるよね?」
「や、あの…その…」
やっぱり、彼にはナルトが必要だな、と心の底から思ったイルカだった。
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