再見


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          カカシ 16

「何故だ!」
 右手に収束していく碧い稲妻がバリバリと音を響かせた。 タイル張りの壁に囲まれた処置室は、その音を不気味に反響させて居合わせた医忍達により大きな恐怖を味合わせていた。
「理由を言え!」
 カカシは何も知らなかった。 知らされていなかった。 イルカが敵地で捕虜になり、精神薄弱状態で連れ戻されたことも、その後転戦を重ねる戦忍の部隊に入って今は遠く里を離れていることも。
「絶対嫌だっ この記憶は俺のものだ! 誰にも消させたりしない!!」
 自分が処分を受けることはもちろん覚悟していた。 だから言われるままおとなしくここまで来た。 だが、チャクラ封じの拘束具付きベッドを目の前にして、野性の勘が抵抗しろと自分に告げた。 暴れる彼にうっかり処置内容を話してしまった医忍が居た事が、彼の炎に油を注いだ。 カカシは持てる技を駆使し、有らん限りの力を費やして抵抗を試みた。 怒りに脳が焼かれ、相手が誰かも判らなくなっていた。 全チャクラを注ぎ込んで発生させた雷撃は、だが3回が限度だった。 壁が崩れ、ふらつきながらもあそこから逃げるんだと自分を叱咤し、足は確かに地を蹴ったが、駆けつけた暗部の投げ物に絡め取られ囲まれる。
「くそっ」
 もう術は発動できなかった。

---くそっくそっくそっ

 だが、諦めなかった。 力の限り暴れて抵抗した。 抵抗して抵抗して抵抗して、気が付けば両手両足を押さえ付けられ、目の前には皺だらけの掌が翳されており、その向こうに苦悩に歪んだ火影の顔が見えた。
「いやだーーーっ!!」

 イルカ……!




          火影 03

 そこは、暗部医療部の処置室だった所だった。 今は半壊して煙をモウモウと上げている。
「ここまで暴れさせる程、あの処置は必要だったのでしょうか」
 もうここは使えまい、これだけ派手にされては…。 医療部は負傷した暗部隊員が送られてくる場所だ。 爆発物に耐え、攻撃忍術に耐え、不審者の侵入を許さぬように、壁も厚く結界も厚く、その上でその場所は更に厳重に隠されていた。
「処置ではない。 処罰じゃ」
 死人は幸いにして出なかった。 だが暗部専属の医忍と暗部隊員数人を病院送りにしたカカシは、今自らもベッドの上で昏睡している。
「彼が覚醒した時、もしこの記憶が残っていたら?」
 辛うじて立ってはいたが、カカシの処置に立ち会ったその医忍もボロボロだった。 彼が先程から不安気に三代目火影に繰り言を述べるのには訳があった。 カカシの記憶剥奪の刑は、理由が公にされなかったからだ。 理由も判らない理不尽な刑、不必要と思われる処置、力の限り抵抗したカカシ。
「彼は我々を恨みませんか?」
「それはない。 寧ろ奴が暴れた所為で、封じなくてもいい記憶まで封じてしまった。 その方が問題かも知れん。」
 加減ができなかった。 まだたった17だというのに。 はたけカカシ。 紛うことなきあのはたけサクモの息子たる力。 四代目が秘蔵っ子として教育した里の天才児…。 怒りにギラギラと燃えるオッドアイ。 同胞に、否、里長の自分に対してまで殺気を放ち、力と技の限りを尽くして抵抗を試みてきた。 だから加減できなかったのだ。 この自分でさえ。 そして、森でのイルカとの記憶だけでなく、イルカに関する記憶全てを封じてしまった。
「仕方のない事じゃった。 これ以上はどうしようもなかったのじゃ。」
 ご苦労だったと後処理をする者達を労い、その場を後にした。

               ・・・

「済まない、イルカ。 済まない…」

 カカシが帰還する前に、イルカの記憶を封じた。 火影はその時のことを思い出していた。 いくら謝ってみても、イルカは何の反応も示さなかった。 身体は点滴などで辛うじて生かされているのみ。 そんな者に何が”適当な処置”なのか。 


 出会ってしまったら惹かれ合わずにはいられないことは判っていた。 カカシは契約通り、イルカを命に代えて守ろうとするだろう。 今回の事は何も知らせないまま二人を会わせてしまったこちらのミスだと自分には思える。 少なくともカカシには教えておくべきだったのではないか。 カカシは何も知らぬまま、イルカを守らなければという訳も判らぬ衝動を恋愛感情と取り違えたのだろう。 だが、誰がそれを責められようか。 そしてカカシにその激しい衝動をぶつけられたイルカが、喩え相手が同性だとしても一旦受け入れてしまえばどこまでも傾倒していく事も、寂しい生い立ちのイルカの事を知る自分には仕方のないことに思えた。 寂しい二人。 哀しい運命。 だが余りに二人は若すぎる。 今は早すぎる。 まだ人として、男として、何も知らないままだ。 できればイルカもカカシも普通に異性と恋愛経験を持たせてやりたかった。 特にイルカには子孫を残させなければならないのではないか? 自分の代で”海野”を絶やしてしまってこの先、大丈夫なのだろうか。 四百年間営々と、だが細々と繋がれてきた海野の血だ。 だが、長老会の方からは、このままイルカをカカシの稚児にしてしまえ、という意見さえも出ていた。 カカシには後で幾らでも女を宛がえるとまで言われたのだ。 信じられない事だった。 カカシの血は残す価値があるが、イルカはどうでもよいと言うのか? イルカの将来は? このままみすみす”海野”の血が絶えるのを見て見ぬ振りをしろと? 寧ろそうなれと、長老の内の誰かが望んでいる。 火影はそこに、昏く陰湿な憎悪を感じ、ゾクと背筋が冷えた。

---今は自分がイルカを守ってやれる。 だが自分がいなくなったら

 カカシの記憶を剥奪したのはやはり早計だったか。 現にこうやってカカシと引き離している間にイルカは敵に捕らわれ拷問を受け、今も正常な精神状態に戻らない。 この上カカシの記憶をイルカから奪ったら、この子は生きていけるのだろうか。 いやだがやはり早すぎる、間違ってはいないはずだと、自分の中で堂々巡りし答えの出ない問答を繰り返し、だがイルカを前にして自分はその皺だらけの手を彼の額に翳した。

「済まない、イルカ」

 おまえの大事な記憶を、儂は奪わねばならん。



 そうしてその日、イルカもカカシとの森での記憶を封じられた。 だが火影も医忍達も驚いたことに、イルカはその日を境に回復の兆しを見せ始めた。 生きる気力が戻ったとでもいうのだろうか、ぼんやりしていた意識も徐々にはっきりとし、食事を摂り、リハビリをし、中忍としてなんとか復帰できるところまで体力は回復した。 だがそれでも精神面はまだ頑なで、里での生活には中々馴染めずにいたイルカに、一つの部隊に入ってみるかと火影は問うた。

「里には年に数度しか帰れないし、転戦を重ねていてとても危険の多い任務ばかり請け負う所じゃ。 だが今のおまえにはそういう所の方が落ち着くかもしれん。 おまえの幼馴染も居る。 どうじゃ?」
「俺、誰かの役に立てればどこでもいいです」
「そうか」

 その一種の閉鎖空間で、イルカが己を取り戻し、元の明るいイルカに戻ってくれれば、と願った。





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