嵐の夜に
21
拳がドスっと鳩尾に打ち込まれ、一瞬息が出来なくなり頭が白んだ。 既に顔はボコボコで、口の中は血の味しかしない。 瞼も腫れてきているのか、視界が狭まってきていた。 もう抗うことは出来なかった。 馬乗りになった間島は、やっと暴行を収めると暫らく荒い息を吐いていたが、やがて肩のサスペンダーを外しにかかった。 胸元のバックルを片方だけ外すと、腕を抜かれる。 そしてズルズルと剥ぐようにオーバーオールを脱がされていった。 間島自身も自分の抵抗にかなりあちこち痛めたらしく、頻りに苦しげな呻き声を零してはいたが、自分を犯す、という事への執念は凄まじかった。
ごめん、苅谷さん、ここまでみたい
もうピクリとも動かない手足を物のように持ち上げられたり下ろされたりして、下半身を露にされた。 慣らすこともなく足をグイと開かされると、間島が自分の前を寛げる気配が伝わってきた。 雨はまだ全く勢いを衰えさせておらず、滝のように顔を打った。 お互いずぶ濡れで泥だらけで傷だらけで、こんな藪の中でこんな事を…。 何かおかしくなって、ゴフリと咳をすると共に喉の奥でくつくつと笑うと、またパシンと頬を張られた。
「ヨウスケ… 俺のモノだ… またアソコを犯せば直ぐに素直になるさ、そうさ」
ぶつぶつと繰り返しながらガチャリとベルトを外す音がし、ズボンの前を開いて自身を取り出したらしい間島はだが、うっと呻くとそのまま動きを止めた。
「お、おお…」
何かに打ちのめされたような驚愕の声音を聞き取り、何とか目を薄く抉じ開けると、自分の股間を見下ろしたまま固まっている間島が目に入った。 どうしたんだろうと気になったが、間島が何にショックを受けているのかは見ることができなかった。 だが、何かが間島の身に起こって、どうやらこれ以上は暴行行為を続けられないらしい事が判った。 ほっとしたと言うよりも、信じられない気持ちが勝って唯々間島を凝視していると、彼はゆっくりとそのままの姿勢で自分に覆い被さるように倒れてきた。 そして動かなくなった。
終ったのか?
まだ信じられない。 これで終ったのか? 自分は犯されずに済んだのか? 顔に降り注ぐ雨を見上げ、ヨウスケもいつしか意識を手放していた。
・・・
「それで、間島だけ入院ってどういうことなんです?」
立川は、コウキチに連絡を受けて病院に駆けつけると、当のヨウスケはおらず間島だけが収容されたと聞いて、どうやら付き添って来たらしいコウキチを問い詰めた。
「刈谷君が、ヨウスケ君のこと誰にも触らせないって利かなくってさ。 まぁ、あの傷だと警察呼ばれちゃうのは避けられないし、事の次第も知れ渡っちゃうだろうしね。」
「でも、ヨウスケさん、大丈夫なんですか?」
「うーん、かなり酷くやられたみたいだけど、強姦は未遂だったみたいよ。」
「え? 強姦未遂? なら酷くやられたって、どういう事ですか?」
「ヨウスケ君ね、抵抗したらしいんだよ」
「抵抗? あのヨウスケさんが?」
「そう。 まぁ、そのお陰でボコボコにやられちゃったみたいなんだけど。 最後まで抵抗して間島に怪我まで負わせてさ、自分で自分の身を守り通したんだよ。」
「そうですか… あのヨウスケさんが…」
「うん、あのヨウスケ君が、だよ」
二人して暫らく黙り込む。 感慨深いなんてもんじゃなかった。 ヨウスケが人に手を挙げる様など想像もつかない。 それほど優しい、有体に言えば気弱な性格だったのだ。 刈谷が変えたのだ、と思うと複雑だったが、立川はそのヨウスケの変化を嬉しいと感じている自分が嬉しかった。
「それで? ヨウスケさんの具合はどんななんですか? 入院しなくて大丈夫なんですか?」
「打撲の方はもう、目も当てられないくらい酷かったけどね。 刈谷君の言うには骨折とか内臓を痛めたりとかは無いらしいから」
「そうですか」
ほっと溜息を吐き、でもなんでだ?という疑問が渦巻く。
「で、なんで間島が入院なんです? いくらヨウスケさんが抵抗したって、アイツがそこまで酷くやられたんですか?」
「それがさ、聞いてよ」
コウキチがなんとなく嬉しそうな微妙な顔をしたので、立川は廊下の端に置いてあるベンチに移動して話の詳細を聞くことにした。 またしても嵐の晩、間島が一人で居るヨウスケを襲ったのだが、ヨウスケは自力で逃げ出した挙句に乱闘を繰り広げ、自分もボコにされたが間島も負傷させた、というのは先程聞いた通りだった。 刈谷がなんとか見つけ出した時は二人とも気を失って折り重なるように倒れていたと言う事だ。 刈谷はもちろんヨウスケだけを助け出して家へ連れ帰ったが、間島の様子が只事でない事も確かだったので、コウキチに電話をして来てもらったらしい。 が、コウキチが目を輝かせて話したがった核心は、間島がどういう怪我をしたのか、という事だった。
「間島ってさ、ほら、ペニスに真珠、嵌めてるって聞いてるでしょ?」
「ああ、そう言えば」
「ヨウスケ君、海綿体が膨張しきったところに蹴りを入れたらしいんだよね。 それで、真珠が一つ飛んだんだって。 そこから内出血したらしくてさ、もうこれが凄いのなんのって…」
「う…、も、もういいです。 聞いてるだけで痛い…」
血の気が引いて遮ったが、コウキチは不満そうに頬を膨らませた。 最後まで話したかったらしい。 これは男しか判らない痛みの記憶だろう。 コウキチも男のくせに、平気なのだろうか。
「紫色に腫れあがってて」
「もういいですったら!」
耳を塞いでブルブルと頭を振り怒鳴る。
まったく、この人にだけは敵わない。
・・・
間島の自慢の真珠は、処置上仕方なく両方とも除去されてしまったらしい。 間島は嘘のようにおとなしく振る舞い、また何故かは判らないが、自分の怪我についてもヨウスケの名を口にはしなかった。 お陰でヨウスケがこの地に居られなくなるという事態は免れた。 免れたのだが…
「どうしても行っちゃうんですか」
むすっとして問えば、まだ腫れの残る顔を痛そうにしながらも笑う。
「もうちょっと怪しまれない顔付になってから、だけどね」
旅行に出たことにして、住民票その他の身元が割れそうな記録はそのままここに残して行くそうだ。
「いつか帰ってきてくれる?」
「わからない」
刈谷を見るが、何も言わずに頷くだけだった。 コウキチさえも、何も言わなかった。
間島は決して諦めない。 ヨウスケはそう思っているようだった。 コウキチが調べた所によると、フランスの間島の会社は既に人手に渡っており、間島は唯ヨウスケを取り戻すためだけに帰国したらしかった。 半年以上間が開いたのも、会社の整理などに時間がかかったのだろう、とコウキチは言った。 文字通り、全てを捨ててヨウスケ目当てにやってきた間島。 彼の性格上、これくらいで諦めるとは到底思えない、刈谷もそう言った。
「だからって、ヨウスケさん達の方が逃げ出さなくても、ちゃんと警察力とかに頼れば…」
だが、二人は笑って首を振るばかりだった。 多分、そうなれば自分やコウキチの事が表沙汰になると、そう危惧してのことだと容易に想像がつくので、余計に哀しく悔しかった。 だが、どうする事もできない。
「僕は、ナナちゃんと生まれてくる子を守らなきゃいけない。 判ってね、立川君」
コウキチが自分の所為にしてそう言ってくれている事にも、遣る瀬無くて悔しい。 くそ、いつかこの人を越えてやる。 そう密かに心に誓った。 そうだ、諦めちゃいけない。 人間何事も気の持ちよう一つだ。 それはヨウスケが証明してくれた。
「で、なんでアンタがここに居る訳?」
ヨウスケ達の家に、なんと間島が住み着いてしまった。 数ヵ月後、噂を聞いて転任先から戻りコウキチと共に訪れてみると、畑は前の倍になっており、店は無農薬野菜を使ったレストランとして盛っていた。 料理の腕と商才だけは確かだったらしい。
「ヨウスケにちゃんと許可を貰ってるんだよ、立川君」
「気安く名前を呼ぶなッ」
「まぁまぁ」
コウキチは既に何回も来ているらしくお得意さんだそうだ。 まったく!気が知れない。
「ヨウスケ君、畑のこと気にしてたから丁度よかったじゃない。 店もこうして繁盛してるし」
「それとこれとは違うでしょう! コイツの罪が無くなった訳じゃない。」
「私は何にも罪など犯していないよ?」
「いけしゃあしゃあと!」
「まぁまぁ、こうして穏便に収まっているんだし、ね」
「コウキチさんッ どうしてそんな!」
だが、コウキチがこっそり耳打ちしてきた言葉に反論の矛先は下がった。 こうしてここに間島が居る限りは、ヨウスケ君達は平和だということだよ、と。 ヨウスケが間島に家と畑の使用権を譲った事も、本当のようだった。 この地を去る時、彼らは間島に会い、話し合ったのだそうだ。
「ヨウスケが帰ってきたら、また5人で仲良くやろうじゃないか!」
「5人で仲良くって、もしかしてヨウスケさんを共有しようってんじゃないだろうな?!」
「そうだよ、素敵な話じゃないか、ねぇ立川君」
「だから気安く名前を呼ぶなってッ」
まったく!
こいつの辞書に”懲りる”という単語は無いらしい。
まったく…
土地柄、ここには年に何度も嵐が来る。 いつか、また嵐の夜に、ヨウスケに会えるだろうか。 それともこの1年と数ヶ月の事は夢だったのだろうか。 ヨウスケさん、俺は本当にあなたのことを…
「そんな事言ってるけど、立川君もその裡赤ちゃん抱いて、ここへ来るようになったりしてさ」
「コウキチさんッ」
まったく、この人には未だに敵わない。
ねぇ、ヨウスケさん
俺はずっと待ってますからね
「取り敢えずそれまでは、ねぇ立川君、僕とどうだい?」
「どうって何が?」
むすっとして出されたサラダを突きながらワインを啜ると、間島が恐ろしい事を口走りあんぐり開いた口が塞がらなくなった。
「もちろん、僕とセフレに」
「ば、バカかアンタは! 殺すぞッ!!」
寄るなッ、触るなッ と叫んで、立川は敵わない人間がここに一人増えたことに気付いたのだった。
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