春雪 [番外]
16
- 中和者 -
「イルカ」
「!」
「!」
「!」
:
まただ。
カカシがアカデミーの職員室の扉で呼ぶ。
最近、日に2度か3度、こうしてカカシがイルカを呼びにくるようになった。 授業の時間などは外しているようで、必ずイルカが職員室に居る時間帯に限られていたが、それでも今までそんな事はなかった。 昼休みに昼食を誘いに来るくらいだったのだ。 それが最近はこうしてイルカを呼び出しては、どこぞでヨロシクやっているらしいと、アカデミー中の噂になっていた。
「カカシさんっ」
イルカが飛び上がるようにして、椅子を蹴って立ち上がる。
それまでずっと猛然と粉していた雑務を放り出し、イルカは小走りに出て行った。
「ピンク色」
「ハートだよ」
「にゃ〜〜って感じ?」
「それそれ」
イルカが通り過ぎた後、回りの者が感じるある種の雰囲気だ。 脱力感? 違う、癒し…だろうか、そんなほんわかした感じに包まれるのだ。 イルカの顔は真剣そのものなので余計に違和感があるが、周囲はラブラブなことで、と片付けた。 最初の数日は、だが。
「でも、呼び捨てるってこと、今までなかったよな」
「そうそう、いつもイルカ先生、とか、イルカせーんせ、とイルカせんせぇ、とか…」
「きもいから」
「悪かったな」
「話し方も敬語でさ、中忍相手に丁寧な人だなって」
「ほんとだよな。 でもアレ、閨ではあんななんだろ?」
「じゃあ何か? 最近は閨レベルのピンク空気纏ったままでイルカが居ると?」
「ありえねぇな」
イルカはおかしなほど真面目だ。 今までもカカシがふざけてベタベタするとすぐ怒った。 自分達の関係を隠す訳ではないのだが、ケジメを付けたがる性格なのか、唯単に恥ずかしいのか、イルカは人前でカカシの恋人面をしたことが無かった。
「ここんところのアイツの昼飯、知ってるか?」
「ああ、俺も見たよ。 濱屋の松重だろ? 花見用季節限定お重3段重ね!」
「おおー、豪華だね! でもカカシさんの奢りだろ?」
「そうなんだよ、それをさ、アイツ一人で全部食うんだぜ」
「はぁ? あれって確か3・4人分じゃ?」
「そうだよ。 カカシさんは隣で普通のホカ弁持ってさ、それも半分くらい突いただけでイルカに寄りかかって転寝してんだ。」
「うたた寝? あのカカシさんが? イルカの隣で?」
「そう、信じられるか? イルカはその間中、隣で黙々喰ってんだ。」
「ふーん」
・・・
「ああ、最近イルカ先生とセックスしてないなぁ」
アスマは目を剥いた。 最近のこの男の行状は呆れるほどだったからだ。 聞くところによると、アカデミーの資料室、庭の植え込みの影、トイレ… 両手でも足りないほどの目撃証言の数々。
「その…なぁ、おまえら同居してたよな?」
「同棲と言って」
「…」
婚姻などという形式を、自分達はほとんど意識しない。 血統、というものを重視される血継限界の一族なら話は別だろうが、カカシとイルカのような血縁に恵まれない者同士は特に、そういった紙切れの誓約など考えたこともないのかもしれない。 唯、共にいられればいいのだ。
「家でヤラねぇんか?」
「最近できなくってさ。 交代で見張りしてるから」
「見張り?」
「なぁアスマ、今晩、暇?」
「暇っちゃあ暇、だがな」
「ならさ、今晩うちに来て見張り一晩だけ代わってくれない? そしたら久しぶりにイルカ先生とH〜〜」
「俺が居る前でHか?」
「おまえは外で見張りじゃんか」
「外かよ」
「縁側でいいよ」
「そりゃご親切なこって」
心配だった。
何を見張っているのやら。
少し前、イルカが絡んだおかしな任務があったらしいが、それからカカシの様子が変なのだ。 テンションが上がったまま、というのだろうか。 見た目や喋り方などはいつも通りに気の抜けたような飄々としたものだったが、雰囲気がピリピリと張り詰め通しだった。 そうして、昼間はどこかへ姿を晦ます。 日に何度か、アカデミーのイルカの所にふらふらになって赴いてくると聞く。 それ以外は、どこで何をしているのやら…
「今晩だけだぞ」
その晩、アスマの見たモノは、遊園地のメリーゴーランドに乗って回りを見ているかのような、お伽の国の風景だった。
・・・
いつも、毎晩、こんなモノがこの家には訪れているのだろうか。 大小さまざまな妖魔が、現れては消えた。
縁側の自分の隣では、カカシの忍犬の1匹、パックンとかいう小さな、だが、齢数十年とかいう霊獣が何事も無さ気に丸まって寝ている。 が、警戒心皆無のその態度とは裏腹に、イルカの持ち家だというその一軒屋の低い垣の外では、色々な姿の妖魔達が、ゆらゆらとこちらを窺っては通り過ぎ、また覗いては通り過ぎて行くのだった。 カカシの言っていたのはコレの事かと、驚きと共に侵入を阻止せねばと初めのうちこそ緊張したのだが、彼らはまるで自分達には入れないとでも言うように、一歩も、否、指一本も中へ入れようとはしなかった。
家の中からは、絶え間なくイルカの喘ぎ声が響いていた。 叫び声になる時もあるほど激しく求められているようだったが、数時間ずっと途切れることが無い。 カカシの精力の底なしさ加減に呆れつつ、だが、気分は一向にエロくならない。 回りがこれではな…と溜息が漏れた。
「よう、パックン、この家はいつもこんななのか?」
「…うあ?」
本当に眠っていたのか、この霊獣は? と吃驚する。
「よく眠れるな」
「いつものことだ」
「そう…なのか?」
「ああ、最初からだ」
一旦擡げた首をまた前足の間に埋めようとするのを、耳を引っ張って止める。
「何をする?!」
「すまねぇな、でもちょっと話相手くらいしてくれや」
何が問題なんだ。
同居を始めた当初は、あんな風ではなかった筈だ。
「何を恐れているんだ?」
「カカシか?」
「他に誰が居るんだ」
「イルカ」
「じゃあその二人だ」
「恐れているのはカカシだけだ。 イルカは変わらない。」
「? 言っている意味が解らんが、取り敢えずカカシは何を恐れてこんな見張りなんか毎晩してるんだ? あいつらにじゃないんだろう?」
顎を杓って外の”見物人”達を指し示すが、パックンはグアっと欠伸をしてから眠そうな(普段も眠そうな目だが)目を向けてアスマを一瞥すると、身体を起こしてお座りをした。
「人間は入れるからな。 あの結界は妖魔専用なんだ。」
「おまえは? 入ってるじゃないか」
「俺は呼ばれて入っている。 唯では入れん。」
「じゃあカカシが警戒しているのは人間なのか? 誰かに襲撃されるとかいう情報が入っているのか?」
「普通の相手ならカカシも、いつも通り眠るかイルカと睦んでいるか、そんなところだが、今回の相手はやっかいらしい。」
「誰なんだ?」
「知らん」
「…」
眠らず、セックスもできず、何を見張る?
カカシ自身が襲撃対象なら、アイツがイルカと一緒に居る筈が無い。
イルカか?
イルカがまた誰かに…
「これまで一回でも敵の気配があったことは?」
「無い」
「どうして襲われると思う? 思い過ごしじゃあねぇのか?」
「帰っていないからだそうだ」
「帰っていない?」
「木の葉から自分の国へ、だ」
「誰が?」
「知らん」
「…」
また、巨大な妖魔の目がギョロリとこちらを見た。
・・・
『イルカ』
念信?
アカデミー中に響くカカシのダイレクト・ボイス。
イルカが泣きそうな顔で立ち上がった。
呼びに来れないくらい、疲弊しているのか。
控え室のアスマにも聞こえていた。
どっこらしょっと立ち上がり、窓から外を覗くとイルカが走って行く後姿が見えた。
あっちは、アカデミーの裏庭か…
そこには、丸く刳り貫いたような穴のある不可思議な岩や木の幹があちこちにあった。
植え込みの影から、イルカの喘ぎ声が聞こえてくる。
アスマはそっと、緩い結界を張ってやった。
声くらいは遮断できるだろう。
カカシは、セックスをしていない、と言っていた。
これはセックスではないのか?
少し離れた校舎の角に、イルカの同僚の中忍がふたり、そっとこちらを窺っているのが目に入り、その場を離れる。
何か、多少まともな情報が得られるかもしれない。
そう思った。
・・・
「俺はアカデミーからなので知りませんが、コイツはその前からの幼馴染だそうで」
「イルカとか? カカシと?」
「もちろん、イルカです」
「ふむ、それで?」
「おい、話せよイサヤ」
「うん」
アオイと名乗るその中忍に促されて、イサヤと言うイルカの幼馴染はイルカのアカデミー入学前の思い出話をした。 本当は話したくないらしいところを、アオイに説得されてポツポツと話すイサヤは日向の血を引いているとかで、自分達には見えないモノを見ることができるが、それを見えない者に判るように説明する事が苦手らしかった。 だが今眼前に居るイサヤの話すことへの抵抗感は、ただ苦手という単純な理由だけではない事は、アオイの説得の仕方で判った。 アオイは頻りに、「イルカの為だ」というフレーズを使った。 黙っていることが逆にイルカの為にはならないと、言いたいらしい。 このイサヤという中忍の幼い頃のイルカとの思い出、いや経験か…。 それをイルカの為に隠したいと彼が思うという事。 それが意味すること。 そして今、それを自分に話さなければとこうして出向いてきたという事。 イルカの特異性を知っていてずっと胸の内に秘めてきたことを今ここで明かさなければならない苦痛、それを凌駕して余りあるほど、そうしなければならないという切迫感に苛まれている今の状態。 それほどイルカの状態がおかしいという事か。 そしてイサヤはその事実に対しても怯えているようだった。 だが彼は話した。
小さい頃、彼が具合を悪くしたり疳の虫が出たりする度に、彼の親がしたこと。 それは、彼をイルカの家に連れていくことだったというのだ。 その時、親が山ほどのご馳走を用意して行った記憶があると、その度にイルカがそれを完食していたと、それが今の状況に似ていると、不安気に言う。
「ヒーラーだと?」
「はい」
「そんな話は初耳だな」
「はい、イルカは突然その力を失くしてしまったらしいんです。 親達が話していました。」
「いつ?」
「あの鼻の傷ができた頃です」
「4・5歳、だよな?」
「うん」
「俺も噂は聞いていました。 うちの親は信じていなかったようでしたが、その当時イルカの家は色々災難に見舞われて」
「災難?」
「はい、イルカの父親が任務で大怪我を負って火影邸で療養したり」
「火影邸? 病院じゃないのか?」
「三代目の家でした」
「アスマさん、ここではちょっと」
「大丈夫だ、緩い結界を張った。 声は漏れねぇよ。」
「おかしいですよ、あの二人」
「カカシもか?」
「カカシさんの方が変です。 イルカがおかしいの判っててあんなそれに乗じるようなこと」
「イルカの家系に医忍でも居るのかな」
「居ないと思います」
「だがなぁ、ヒーリング術は素質がモノを言うんだぞ」
「知ってます。 でも、イルカのお父さんもお母さんも普通の中忍でした。 それは確かです。」
「イルカだけなのか?」
「でもそれも、あの鼻の傷ができてからは全然できなかったんです。 イルカも普通にアカデミーを出て、俺達と同じ普通の中忍で…」
「不安なんです。 このままにしておいていいのでしょうか?」
「イルカをか? カカシを?」
「イルカです!」
その中忍君は、苛々したように叫んだ。 アオイという同僚が宥めるように肩を押さえて擦る。 アスマはふぅと溜息と共に煙草の煙を吐き出すと、調べてみようと約束した。 それくらいしかできない、と思いながら。
その数日後の事だ。
カカシが血相を変えてフル装備で出撃して行った。
だがその後、二人は元の二人に戻ったのだった。
「春雪」第15章番外
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