ローゼット

- Rosette -


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               ローゼット


 それをローゼット(薔薇飾り)と言う。 三つ以上の等質量の物体を等辺正多角形の各頂点に配置し、質量の中心に対して等しい角速度を与えた場合、それは安定した軌道を描く。 中心には質量は有っても無くても構わない。 例えば正六角形だったら、正三角形が二つ逆さに組み合わさった、所謂六芒星に見える。 その形が薔薇の花弁のように見えることから、そう呼ばれる。

「この世界は不思議だね」

 イルカにその安定した力場についての講釈を説いた人は羨ましそうにそう言った。

「私達の世界では、惑星ほどの大質量と宇宙規模の巨大な軌道面が必要だけど」

 ほら、この世界だったらこんな小さな力石(パワーストーン)を置いただけでも力場ができると、そこら辺で拾った水晶で掌程の三角錐を作ってみせた。 質量の近傍には特異圏ができるけど、それが二つ以上重なると重力カタパルトと言ってとても強い力の流れができる。 この世界では、頂点が奇数だと反射する力、偶数だと誘い込む力になるようだ。 ほらご覧、今この三角錐はちっちゃな結界になっている。 この松の葉はもうこの中には入れないよ。 その人の手が上からパラパラと地面に積もっていた松葉を拾い上げては上から落とす。 松葉は三角に回りに滑り落ちた。 でもね、こうして四角錐にするとね、と今度は石を一つ増やした。 ほら、もうこの辺りの地勢を吸い上げているよ! イルカが見ている前で、その小さな小さなピラミッドの中の青草が、明らかに回りより急速に成長し始めていた。

「もっと大きな結界にしたかったら、そうだな、頂点を増やすかもっと大きくて強力な力石を探すかすれば何とかなるだろう。」
「でも先生、そんな石めったにありませんよ」
「そうだね、それに頂点を増やすと正多角形を描くのが難しくなるね。 でもよく考えてごらん」

 この小さな四角錐は地勢を吸い上げている。 それを溜められれば、この四角錐はこれら4つの力石を合わせた分の力より大きな力を創り上げることが可能じゃないかな。 だからね…

 イルカは試行錯誤を繰り返し、跳ね返す力、即ち物理結界及び魔除けの力を発揮する破邪結界陣としては五芒星が、異なる空間との通路を開き、そこに有るエネルギーや棲息するモノを呼び出す召喚陣としては六芒星が、最も適当であると導き出した。 そしてそれらを立体的に積み上げ組み合わせることにより、より強大で複雑な作用を起こす事が可能であることを学んだ。

 地球はその大きさからは分不相応な巨大衛星、月を一つだけ有する。 地球上の生物は、須らくその引力に影響されて進化してきた。 月周期でのバイオリズムと呼ばれる波があるのは、地球の生物の特異な性質かもしれない。 もし、地球の衛星がもっと小さく同質量で3個以上あり、ローゼット型に配置されていたならどうなっていたのだろう。 その安定した力場の中で、生物はどのように進化するのか。

 謳うようにその人は言った。


 彼が去った後も、イルカは結界について研究を続けた。 そして地精・水精・空精・火精・木精、それぞれにそれを試し、最も召喚し易い精霊は地精であると結論づけた。 だから火影三代目に出された宿題に、地脈が通い地勢の集まる場所、擦り鉢状の窪みがあり、周囲を山脈で囲まれ、更に人への影響が最小限に抑えられる人里離れた山間地を予定したいというレポートを、その候補地の調査に出して欲しいという要求書と共に提出した。 火影の返答は、イルカが出した幾つかの候補地の中から、ある一つを指定した形でやってきた。 そこは巴の国の辺境、人跡未踏の深い原生林の中だった。

               ・・・

「火の国の領地内の候補地も挙げていたんですが、どうしてここなんでしょう?」

 その場所は、確かに地形的には最も条件に適合していた。 だが遠すぎるし僻地すぎるし、何より巴の国とは敵対関係にこそはなかったが、友好という訳でもなかった。 最近、忍上がりの軍事参謀が宰相にまで上り詰め、その男が非常に若いにも拘わらず中々のやり手らしいとの噂も聞こえてきていた。 何か、火の国との間で取引でもあったか、或いは、木の葉と直接的に交渉があったのか、そうとでも考えなければ説明がつかない不自然さだった。

「ここまでは確かに何事もなくスルーさせてもらえましたが、どうにも不安で」
「調査の段階でどうこうということは無いだろう。 それにおまえは俺が守っているんだから、何も心配する事はない。」
「はぁ」

 木の葉を出立してから五日、その男はイルカと二人きりで動物の気配のみに支配される森林地帯に入ってからも、その暗部面を外そうとはしなかった。 たいへん屈強な体格の男で、肩幅などイルカの倍はあるかと思われるほどだった。 多分年齢も、親子程も離れているのかもしれない。 世代のギャップからか非常に寡黙で、最初の裡は何か尋ねても禄に答えてももらえなかった。 だからどんなにぶっきらぼうな受け答えでも、まだこうして言語を発してくれるだけ、イルカに対する態度は随分と軟化したと言えよう。 中忍なりたての唯のこんな若造風情に、何が暗部の護衛かと、きっと思われているに違いないと、遠地への同行に恐縮しきっていたイルカだったが、巴の国領地内へ入った途端に湧きあがってきた不安が、心底この男の存在を頼りに思わせ、不必要に話しかけてしまう。 だから、迷惑がられているかしらん、とこっそり男の方を偶に伺っても、その面の所為で何も判らない。

---不安だ

 それに淋しい。 面を外してくれないかな、と思いながらも、暗部にそんな事を言えるはずもなく、二人は殆ど無言のままそこへ着いた。

「ここは…」

 イルカはそこに立った瞬間、火影がそこを指定した理由が判った気がした。 咽返る様な緑深い森。 それは確かに人を拒んでいたが、クレーター状の窪みは明らかに自然に出来た地形ではないように見えた。 だが、植生や動物達の営みの気配が、その場所が少なくとも数百年間は今眼前に見ているまま有ったことを伝えてきている。 遠い遠い昔、そこで何かがあったのだ。 そしてそこを指定されたという事は、自分にそれを調べよと、そう言われているのが判った。

「調べます。 すみませんが、数日要ります。 協力してもらえますか?」
「判った」
「ありがとうございます」

 男に深々と頭を下げ、イルカはこれからの調査計画を男と相談した。

 まず、クレーターの全景が見える高い場所をみつけ、そこで測量を行なった。 驚くべき事に、そのクレーターはほぼ完全な半球形をしていた。

---何か大規模な爆発でもあったのか?

 それにしては、植生に不自然な箇所が幾つか観察できた。 より長寿な木ほど、クレーターの中心に向かって絡まりあって延びている。 その地の岩石の特徴なのだろう、柱状に劈開している巨大石群がやはり中心に向かって倒れている場所も見付かった。 そのつもりになって見ると、クレーター内部全体とその周辺数十メートルの帯状の範囲が、その中心に向かって紋様を描いている。

---これは、自然に起こった現象では有り得ない

 イルカは背筋が寒くなるのを感じた。


               ***


「イルカのレポートによると、恐らくその地で起こった現象は”爆縮”ではないか、という事だ。」
「バクシュク?」
「我々も火薬を使う。 爆発なら容易に判るが、爆縮となるとどうすればそれが起こるのかさえ想像もつかない。 だがイルカは、そうとしか考えられないと記している。」
「でも今本人にそれを確認しても無駄なんですね」
「そうだ」

 カカシはふぅと溜息を吐いた。 イルカが例の遊撃部隊に入る事になった切っ掛けの”失敗した”任務の話だった。 だがそれは、任務というよりも寧ろただのデモンストレイションとでも言うべき代物で、何故他国の忍が介入し、木の葉のその部隊を壊滅させチーム・リーダーだったイルカを拉致ったのか、カカシは理解に苦しんだ。 しかも、唯一の生き残りのイルカは当時の記憶をきれいさっぱり失くしており、火影三代目も禄に資料を残さず逝ってしまった。

「要するに、山城霞が一番当時の事を知っている人間、ということになるんですね」
「そうだ」

 名前も思い出したくない男。 山城霞。 イルカの”女体としての”処女を自分から奪い、イルカ本人さえも奪おうとした男だ。 あんな事をしておきながら裏ではちゃっかり上層部と取引をし、剰えカカシを煽って事態に引き込もうとしている。 乗ってやるものかと、無視を決め込んだつもりのカカシだったが、綱手に呼び出され、そうも言ってはいられなくなりそうな気配だった。

「イルカは、その当時まだ軍事参謀も兼務していた山城率いる忍部隊に拉致られ、巴の国に数ヶ月間囚われの身となっていた。 これが、先日山城から提出されたその当時のイルカの扱いだ。」

 正直見たくなかったが、カカシは渡されたその書類に目を落とした。 山城のあの執着振り。 イルカが性奴扱いされていたことは想像に難くない。 だがそこには、イルカがどのような理由で性奴ととして扱われたのか、そのシーケンスが記されていた。

「イルカ先生が元々”その為”に連れてこられた処理用だと観察されたですって?」

 声が引っくり返りそうになる。 何をバカなと怒鳴りたかった。

「これが、木の葉側で唯一残っていたその事実を伝える資料だ。」

 だが、間、髪を入れずに渡されたその一枚の上申書が、カカシを黙らせた。 そこには、その任務にイルカと共に当った中忍の仲間達からの連名の訴えが、切々と綴られていた。

「木の葉の… 上忍四人に…… これは何ですか!」

 声が震える。

「これが見付かったのは事件後数年経った後だったらしい。 受付の者が私利私欲のためにこれを上に届けず隠匿した。 後にその筋の者の間からの噂でこれを発見した三代目が、その受付だった者を探し出して私刑に処している。」

 その上申書は、件の任務の形式上の目付け役として上に付いた上忍四人に、イルカが毎夜慰み者にされている、なんとかして欲しいという訴えだった。 その四人の上忍も全員、その任務から還らなかったと報告されていた。

「最後の所をよく見ろ」

 眩暈がしそうな程の怒りに震えるカカシに、綱手はだが冷静に指示した。
 そこには、懐かしい三代目の筆文字で、殴り書きのような覚え書きが記されていた。





   『この書類を届け出なかった者、
        草の根分けてでも探し出せ』





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