My Funny Valentine
3
次の日は朝から晩まで丸一日、ふたりで過ごした。
まずCD屋に行ってそれぞれ山ほどCDを買う。 競い合うように両腕に抱えてきてレジに積み上げ、自分が勝ちだと大人気なく言い合った。 荷物になるので夕方まで預かって欲しいと頼み込み、頭を下げて次の店へ。 そこでも山のように本を買う。 そしてまたレジに預けて頭を下げる。 身軽なまま外に出ると自然と笑いが込み上げてきて、ふたりで意味もなく笑った。 お腹が空いたと、早いランチで朝食を摂り、熱いコーヒーを啜りながらホットサンドを頬張る。 途中で皿を交換してまた頬張り、やっぱり自分の頼んだ方が美味いと言い合ってまた笑った。 公園は寒々としていたがお陰で人気が少なく、池の水鳥に餌を撒いたり、水溜りの薄く張った氷を踏んだりして歩きながら、木漏れ日を享受する。 手を繋ぎたかったが、そこは大人の節度で我慢。 またストリートに戻ると、広場の一角でブラスバンドが街角演奏会をしていたので立ち止まってそれを楽しんだ。 金管は冷えると冷たそうだなぁと感想を言い合い、回りの観客達と一緒になってスウィングし、惜しみなく拍手を送る。 最後の曲の時に、演奏しながら一人一人立ち上がってメンバー紹介が始まると、イルカは目を丸くして驚いていた。 その後、小腹が減ったので何か屋台で買い食いしようと相談する。 クレープが食べたいイルカと辛くて有名なホットドッグが食べたい自分。 仕方がないので、お互いがお互いの分をそれぞれ屋台で買ってきて交換することにした。
「何クレープがいいの?」
「バナナ・チョコ生クリーム!」
「うぇっ」
「カカシさんは?」
「俺、激辛ホット・チリ・ソース・ドッグ!」
「体に悪いですよ」
何とかクレープをゲットして戻ってみると、イルカがまだホットドッグ屋で悪戦苦闘している。 どうしたのかと覗いてみると、やはりソースで揉めているところだった。
「いいからおじさん、いつものヤツ」
「なんだ、カカシのか」
見る間に真っ赤なソースと黄色いマスタードで染まるウィンナに眉を顰めて、イルカはコインを差し出し渋々それを受け取った。
「人間の食べ物じゃありません!」
「それならこっちだって!」
やはり好みは正反対だ。 でも互いの食の好みを責める態度は同じ。 危険物でも扱うように互いの獲物を交換し、ニンマリ笑って言うことも同じ。
「「やっぱりコレだよね」」
「「マジで?!」」
笑いながら食べるのは難しい。 ぽろぽろ零すともったいない、とイルカが怒る。 経済観念はイルカの方が発達している。 お人好しな性質が愛されて、すぐ商店街のアイドルにもなった。 でも放っておけない危なっかしさは誰の目にも明らかなようで、皆そっと手を差し延べてイルカを危険から遠ざけている事に、この人は気付いているのだろうか。 古株として、自分もそれとなく回りへの根回しは怠らない。 そういう処世術は自分の方が断然上手だと自負している。 そうでなければ彼は守れない。 超天然のイルカ。
「ねぇカカシさん、俺ずうっと行ってみたかった店があるんですけど」
「どこ?」
「あのね」
そう言って引っ張って行かれた先で、イルカとふたりで覗き込んだ地下へ続く階段、その底の踊場にある一枚の重厚な木製のドア、そこから其処は彼となく流れてくるジャズ。 それを差してイルカは「ここ、ここ」と嬉しそうに顔を輝かせたが、自分はぎょっとさせられた。
「ね? いつもジャズが聞こえてくるんですよ。 俺、いっぺん覗いてみたくて」
「イ、イルカ先生、ここへ一人で入ったりしてないよね?」
「え? ええ、ちょっと一人ではまだ」
「うーん、じゃちょっと覗いてみましょうか」
イルカとふたり、奈落の底へでも向かうような気持ちで階段を下りて踊場に立ち、一回顔を見合わせてからドアを押し開ける。 中からは生のジャズ演奏が急に大きく漏れ聞こえてきた。
「わぁ、やっぱりジャズバンドが入ってるんだ」
「そうですねぇ」
「嬉しいなぁ、側で見れるなんて!」
「取り敢えず座りましょ」
「あ、はい」
「何か飲みますか?」
「カクテルですか?」
「そう」
「うーんと、じゃあ俺はマルガリータ」
「一杯だけね」
イルカのマルガリータと自分用にはジン・トニックを頼み、フロアの小さな丸テーブルに座る。 まだ夕方早い時間の所為か、人は多くなかった。 イルカは意外と酒好きでそこそこ強かったが、酔うと頬が紅潮し、口調に甘えが混じり、とても可愛いくなる。 そんな彼を見られたくないし、無防備さが輪をかけて増長されるので心配で堪らない。 この人は自分のそんな心配を全然判ってないんだろうけど、時々こうして外で二人で飲みたがった。
♪Is your figure less than Greek?
Is your mouth a little weak?
When you open it to speak
are you smart?
「あ、これ、My Funny Valentine! 俺昔これ聞いてヤラレちゃって。 まだ両親居たから小学生の頃かな」
「ああ、アレでしょ、コピーのCMの」
「そうそう!」
「「阿川泰子!」」
声が揃ってしまい、慌てて声を潜める。
「俺も好きでしたよ。 オヤジにCD買ってくれってせがんだらウチにあるぞって言うから喜んで聞いたら」
「マイルス・ディビス?」
「違う、チェット・ベイカー。 イルカ先生んちはマイルスだったの?」
「そうなんですよ」
「歌、無いね」
マイルス・ディビスはトランペッターだ。 二人でうふふふふ、と声を殺して笑う。 ステージでは女性ボーカリストがゆったりとしたテンポでMy Funny Valentineを歌っている。 もうすぐバレンタイン・デーなのだ。 当日は二人とも、顔も知らない恋人達のために演奏しているはずだ。
♪But don't change a hair for me
Not if you care for me,
「俺…」
イルカが目を潤ませてこちらを見ている。 言いたい事は判った。
「俺、髪、こんなに切っちゃったけど、俺のアナタを想う気持ちは1ミリだって…」
変わってませんからね? と今にも泣きそうに言い募るイルカの顔。 判っている。 でも言葉にしてくれて嬉しかった。 だから黙って最後まで聞いた。 今日ほどバレンタイン・デーに感謝した事はない。 去年はそれどころではなかったし、それまでだって、ケッてなもんだった。
「判ってます」
手を伸ばしてテーブルの下でイルカの手を握る。 イルカが握り返してきて、もう片方の手で目元を拭った。 そして照れくさそうに笑う。
「いい店ですね。 また来たいなぁ」
「でもね、イルカ先生、ここへは絶対一人で来ちゃダメですよ」
「どうしてですか?」
「ここはね」
そこまで言った時、案の定、店に入った時からチラチラとこちらを窺っていた男が近付いてきた。
「ねぇ君、かわいいね。 俺とあっちで飲もうよ」
「は? お、俺?」
イルカは素っ頓狂な声をあげて後ろを振り返り口をパクパクさせた。 あ〜あ、やっぱりこの人何にも知らないんだ。
「だめだよ、その人は…」
「そんなこと言わないでさ、君は僕とどう?」
おっと、これは油断した。 もう一人居たか。 さて何と言って撃退しようか、と声を掛けてきた相手を睨んでいると、前に座っていたイルカがガタンと席を蹴って立ち上がった。
「カ、カカシさん、帰りましょうっ!」
「う、うん」
そしてグイグイと手を引っ張るようにして席を立たせられる。 勿論、後ろの男は諦めない。
「そんなツレナイこと言わないでさ、楽しもうよ」
「ま、間に合ってます!!」
剰え、肩に乗せられた手を払い退け、イルカは大声で叫ぶなり自分の手を掴んで走り出した。
「イルカ先生、イルカ先生、そんなに走ったら転ぶ」
「速く、カカシさんも走ってっ」
真剣だ。
二人で店を飛び出し、階段を駆け上がり、転がるように人通りのある所まで走らされた。
「イルカ先生、もうこの辺で大丈夫だよ」
「はっ あ、あそこって、あの…」
「そう、所謂、発展場ってヤツ。 ゲイのね。 だから一人で行ったらダメですよ?」
「カ、カカシさん、知ってたんですか?」
「ええ、前にアスマと何度か。 ジャズは本物なんで。 アイツと一緒だとさすがに誰も声かけてこなかったけどね」
「カカシさんこそ! もう絶対行っちゃだめですからね!」
「俺は平気だよ」
「ダメです!!」
イルカ先生、俺が昔ワルだったって知らないからなぁ(実は知っている)と、内心で舌を出し、真剣な顔をして心配しているイルカに何と説明しようか考える。 自分自身の心配をしてもらいたいものだ。 イルカなど一人で行ったら、あっと言う間に食われてしまう。 そんな事になったら感じ易いこの人は…。 自分の下で我を失くして喘ぐイルカを思い出し、カカシも真剣に心配になった。 この人は今は俺しか知らないけれど、もし他のヤツでもイイと判ったらどうなっちゃうんだろう?
「もう行かないって約束してくださいっ アスマさんとだってダメですからねっ」
「判った、もう行きませんから。 イルカ先生こそ、もうあの辺、近寄ってもいけませんよ」
「絶対行きませんっ!」
「そんなこと言ってるけど、イルカ先生…」
興奮した様子で言い切るイルカに、ちょっと意地悪く質問してみる。 だって、俺の心配は…
「さっき声掛けられて少しは気になったんじゃない? 結構イケてるヤツだったし」
「イケてるかイケてないかなんて、俺判りませんっ それに俺、触られただけでほら、ぶつぶつが…」
「え?」
腕を巻くって見せるイルカに唖然とする。 蕁麻疹のような湿疹が赤々と腕に浮き出ていた。
「イルカ先生って…」
「なんですかぁ」
ぶすっと怒った顔でイルカが睨んでくる。
「いや、いいんですけど」
「もうっ」
まだブツブツ言っているのを尻目に考えた。 この人、ノーマルなんだ。 俺にだけ? 俺にだけOKなんだ…。 そう解った時の俺の気持ちが判るだろうか?! ファンファーレが鳴ってるぜっ 世界中で天使がラッパを吹き鳴らしてるぜっ!! 花散り蝶舞う中、イルカが更に頬を膨らませて何か言ったが、それさえ可愛くって可愛くって抱き締めてそこらじゅう踊りたかった。
「カカシさん、奇麗なんですから気をつけてくださいね、ホントにもうっ」
は?
はぁ?
「俺が奇麗?」
「そうですよ、知らないんですかぁ?」
「だから気をつけろって?」
「そうですぅっ」
「ぷっ」
往来で一頻り腹を抱えて笑い転げてから、抱き締めようとして鼻先で止められ、俺はイルカの手を引っ張って家まで走った。 だって、だってだってだって! 今抱き締めてキスしないで何時するんだ! ああ、幸せ! 神様、ありがとう!! 玄関に飛び込み、鍵をしっかり閉めてから、抱き締め合ってキスをする。 学習は大事だ。
「あ、CDと本、忘れた」
ディープなキスの後、息を上がらせながらも色気無く宣うイルカにも、脱力してはいけない。 そんなことではこの人をアンアン言わせられないのだ。 俺は、俺は…
♪Stay little Valentine, Stay !
Each day is Valentine's day
神様、俺はこの超天然でお人好しの、俺を心から楽しく優しい気持ちにしてくれる、可愛くってちょっぴりHで愛おしくって堪らないこの人を、一生愛し、守ります。 だからどうか俺からこの人を取り上げないでください。 どうかいつまでも俺の隣に居てくれますように。 そうしたら俺には毎日がバレンタイン・デー!
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