森の縁の家で


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 玄関の引き戸を開けると、一ヶ月ぶりに見る男が立っていた。 昼に降っていた雨は夜半に入って止み、虫の音が男と共に入り込む。

「カカシ先生…、どうなさったんですか? こんな夜更けに。 何か問題でも?」
「こんばんは」
「あ…、はい、こんばんは…」

 夜の挨拶を後先にしてしまったことに幾分赤面し、イルカは体を後ろへ引いた。 こんばんは、と言ったきり何も喋ろうとしないカカシが、かと言って帰るつもりも無いことが見て取れて、体から湿った雨の香りが上がっていて、どうぞと言う以外に言葉が継げなかった。

「任務帰りですか?」
「はい」
「風呂を使われますか? 暖まると思いますけど」
「すみません」
「お腹は?」
「空いてます」
「では、上がるまでに何か用意しておきます」
「すみません」

 すみません…、すみません、か。 一応悪いと思っているのだろうか。 夜更けに他人の家の戸を敲き、風呂を借り、食事を賄われ、そして…。

「着替え、置いておきますから」
「はい」

 風呂場に消える背中に声を掛けると、カカシは俯き気味でちょっと振り返って微かに頷いた。 それを見届けるように暫らく立ち尽くしてから、イルカは慌てて着替えを取りに自分の寝室に戻った。 先程まで寝ていた布団は寝乱れていて、それがなんとも艶かしく目に映ったのできちんと直し、自分の代え服を箪笥から一式取り出して脱衣所に置き、そして台所へ向かう。 一ヶ月前、夕方だった。 偶然だと、カカシは言った。 やはり任務帰りの薄汚れた恰好をしていた。 疲れているように見えた。 だから、家に上げたのだ。 自分の家は人通りのある道からかなり外れた場所にあるため、知らない者が訪れることは殆どない。 任務帰りに森の方から戻って偶然通り掛ったのなら、それは本当だろうと思った。 カカシとは中忍試験の際のイザコザからこっち、まともに口を利いていなかったので、それも心に引っ掛かっていた。 謝罪の機会を得たと思い、内心で少し喜んでさえいた。 でもその晩、自分はカカシに組み敷かれて喘いでいた。

「おっと」

 煮ていた粥がプチプチと焦げ付きそうな音を立ててイルカの意識を今に引き戻した。 シラスと青物と出し汁を加えて卵を一つ落とし蓋をする。 一回煮立ったのを確認してから火を止め、ふぅと溜息を吐いた。

「風呂まで使ったんだから、やっぱりソノために来たってことかな」
「その?」

 濡れた腕が腰と首に絡んでから初めて、イルカはカカシが後ろに立っているのを感知した。 びくんっと必要以上に大きく体が跳ねたが、何も身に付けていないしっとり濡れた体がギシギシと抱き締めてきて、冷たい雫をポタポタと滴らせた髪のままの鼻先が首筋に突っ込まれてくる。 イルカは一瞬、犬を想像した。 薄っすらと血の匂いが感じられた。

「け、怪我は?」
「ありません」
「あの…飯が、できてますから」
「後でいただきます」
「あのっ」
「………なに?」

 焦って幾分声音が強張ると、カカシは直ぐにも事に至ろうとしていた動きを止めて目を向けてきた。 左目は閉じられていたが、素顔が全て晒されていて、相変わらずの美貌だった。

「その…、こ、ここでは、困ります」
「…」

 ちょっと考えた風のカカシが徐にイルカの手を掴んで引いて歩き出す。 寝室を覚えているのか。 先月の今頃。 やはりそこで体を開かれた。 合意と呼べるかどうか、今でも判らない。 聞かれなかったし、でも自分はあまり熱心に拒まなかった。 吃驚しているうちに組み敷かれていた、と言うのが正しい。 瞳術にかかっていたかもしれない。 自分も忍なのだから、相手が上忍だろうとそれは油断であるはずだ。 それともやはり、合意だったのだろうか。 とにかく今、場所を指定したことによって自分から積極的に受け入れた形になってしまった。 そんなつもりはさっきまでは無かったはずなのに。

「ま、待ってください」
「…なに?」
「灯りを落としてください」
「点いてないよ」
「いえ、全部消してほしいんです」

 寝室はナツメ電球ひとつのオレンジ色の明かりしか灯っていなかったが、それでも明るいとイルカは感じた。 たとえ真っ暗闇でもカカシの目には同じだろう。 でも自分が堪らない。

「お願いします」
「…」

 また黙ったまま、カカシは数瞬首を傾げるようにして動きを止めていた。 言葉少なで、表情も希薄。 恐くはないが、得体が知れないのは確かだった。

「これでいい?」
「はい…」

 だが、イルカの要求に否を唱えることもしないカカシは腕を伸ばして電球を消した。 真の闇が降りた。 カカシの手が服に掛かる。

「自分で」
「し、もう黙って」

 剥かれていく。 一枚一枚体を覆う物を奪われていく。 それだけで息が上がってしまう自分の呼吸の音しか聞こえない。 でも手が、冷たい湿った掌がヒタリと体を這い出した。 そこに居る。 俺の上に。

「あ」

 丁寧な愛撫。 処理だろうに、どうしてこんなに手間をかける?

「ん」

 暗闇の中でカカシの手がイルカ自身を握りゆっくりと扱く。 自分もカカシのモノをシタほうがいいのだろうか。 そろりと手を伸ばそうとすると空いた方の手でガシリと掴まれ、それもゆっくりと頭上に持っていかれてしまった。

「俺も、しますから」
「じっとしてて」

 お願いだから。 でないと俺、アナタを噛み殺すかも。 そんな風に聞こえた気がしたが、突然激しくなったカカシの手の動きに翻弄されて、自分の上げた喘ぎ声に掻き消されてしまった。
 手で一回達かされた後、イルカの吐き出したモノの滑りを纏った指が入ってきた。 痛みにイルカが呻くと、カカシはそこで一言だけ「狭い」と呟いた。 後は黙々とイルカの体を開き、猛った己を宛がってきた時にはカカシの息も荒かった。 ぬくりと潜り込む先端の圧迫感を耐え、じりじりと穿たれる時の体を裂かれるような感覚に喘ぎ、後はもう訳が判らなくなるばかりだった。 カカシは手馴れていて、男の喘がせ方を知っていた。 ゆさゆさと揺さぶられて、抱え持たれた両足を限界まで開かれて、体を折り曲げるような恰好を取らされ、真上からズンズンと突き込んでくるカカシの激しい動きにただ喘ぎながら、この人はこんな風に人を抱くのだな、とどこか遠く思っていた。

               ・・・

 目を覚ますとカカシは既に居なかった。 自分の意識が落ちた瞬間を覚えていない。 軋む体をようやっと起こし、よろよろと風呂場まで歩く途中、カカシの残滓が腿を伝った。 炊いた飯は奇麗に無くなり、きちんと洗った鍋が籠に伏せてあった。 律儀な人。 処理で抱く相手に…。

 午後からしかアカデミーには行けなかったが、受付に座る直前にまた偶然通り掛ったカカシに声を掛けられた。 体は大丈夫ですか、とイルカの家に来る時とは大分違う、柔和な笑みさえ湛えた誉れ高い上忍の顔をしていた。

「大丈夫です、お気になさらずに」
「イルカ先生は…」
「は?」
「この一ヶ月、誰にも抱かれていなかったの?」

 アカデミーの廊下で立ち話にはして欲しくない内容だったが回りに人も居ず、イルカも溜息を吐いて応じた。

「ええ、そんな相手は居ませんし、元々そちらの嗜好は持ち合わせていなかったので」
「でも、男初めてじゃなかったよね?」

 一ヶ月前の事を言っているのか。 抱けば判るってか。

「ああ、はい。 これでも華奢な少年時代はあったもんですから。 こんなオッサン体型になってからは、そんな酔狂な人はアナタが初めてですけどね」
「上官の処理に?」
「はぁ、まぁそんなところです」
「…」

 ピリリと何かが弾けたように肌を嬲った。 癇に触れたか。 でも自分だって処理だろうに。 それに表情には変わらず笑みが張り付いている。

「あの、もうよろしいでしょうか。 俺、これから受付に入らねばなりませんので」
「また、窺います」
「え? あの」

 カカシはイルカの返事を待たずに背を向けた。 また? また一ヵ月後? いったいあの人は何をしたいのだろうか。 猫背でポケットに両手を突っ込んで歩く後姿を見送り、イルカは首を捻らずにはいられなかった。 美女でも美少年でも、カカシなら不自由しないだろうに。 それに、どうして俺は拒否しないのだろう。 多分、拒めばあの人は来ないに違いないのに。

               ・・・

「それで、一ヶ月置きが2週置きになり、1週置きになり、3日置きになり、今じゃ同棲ってか?」
「いえ、そこまで毎日いらっしゃるわけでもなくて」

 任務が無い時はウチに帰ってくるってだけで、と言うと、それが同棲って言うんだと、この自分の少年時代の体を知る上忍は、顎の髭を擦りながら咥え煙草を揺らした。 いつの間にか居付いてしまったカカシのことを聞きつけて、心配して来てくれたらしい。 もうかなり昔の事とは言え、過去の情人の現在の相手が気になるのか。 それとも相手があのカカシだからか。

「オマエはそれでいいのか?」

 茶を出すと直ぐに手を伸ばしてきて口を付ける様子は懐かしかった。 まだ火影邸にやっかいになっていた頃の話だ。

「嫌ではないです」
「いいのかって聞いてるんだ。 無理矢理じゃないのか?」
「いいかどうかは…今の俺には判りませんけど、無理矢理ではないですよ?」
「ならいいんだがな」

 茶菓子も勧め、自分の分の茶を置いて落ち着くと、まったくカカシのヤツも、目の付け所がいいんだか悪いんだか、と失礼なのか褒めているのか判らないことを言いつつ、アスマは手を伸ばしてきた。 イルカの顎を掴み、くいと上向かせる。

「痛てッ」

 だがその途端、弱い電撃に指を痺れさせて、髭の上忍は手を引っ込めて顔を顰めた。

「あ、すみませんっ 大丈夫ですか?」
「オマエか?」
「いえ、カカシさんが…。 なんだか結構独占欲強いみたいで」
「はんっ」

 自分に纏わされた結界は非常に緩いものだったが、威嚇するには充分過ぎる効果があった。 ”カカシの張ったモノ”というのが相手に驚異を与えるのだろうが、アスマはただ「過保護だな」と言って笑った。


 そんなことがあった夕方、ただいまと”帰宅”したカカシが一目自分を見るなり「誰か来たの?」と眉を顰める。

「アスマさんが、よい酒が手に入ったとか仰ってお裾分けついでに寄ってくださったんです」
「結界が揺らいでる。 アイツ、アンタに触ったの?」
「ええ、まぁ。 態とじゃないですよ?」

 しれっと嘘を吐くが、カカシが体に張り付いてクンクンし出した時点で「しまった」と思い出した。 カカシの嗅覚は犬並みなのだったっけ。 案の定、顎の辺りで顔を顰めると、さも不服そうに頬を膨らませる。 自分に対してこんな顔も晒すようになったんだな、と何だか感慨深かった。

「顎を掴まれた?」
「あの人の癖なんですよ」
「癖? アイツの癖を知ってるような仲なの?」
「俺が小さい頃、三代目火影邸にやっかいになってたので、兄のようによくしてくださったんです」
「それでも顎は取らないよ、普通」
「それは…」

 思い出して少し堪らない気持ちになったが、カカシの顔が「納得するまで引き下がらない」と言っていて、仕方なく説明した。

「俺が俯きがちな子供だったので、もっと上を向いてろって。 九尾禍の時に両親共亡くして、火影さまの家でもぼんやりしてる事が多かったみたいです。 自分ではあんまり覚えてないんですけどね。」
「…」

 カカシの目に灯った何かを、同情か、それともまだ何か疑念があるのかと見入っていると、カカシはやっと手を離した。

「アナタ、今でもぼんやりですものね」
「そうですか?」
「はい」

 そんな事を言う。 でも、アスマの事は嘘ではなかったし、まぁ納得してくれて助かった、と息を吐いた。

「風呂、湧いてますよ。 入っちゃってください。 俺は飯の仕度を」
「アンタも一緒に入りなさい」
「は? 俺は後で」
「そのタバコ臭い匂い、落とします」
「でも」

 今晩の予定を全て覆されそうな気配に抗議の声を上げたが、手首を掴まれドンドン歩いて行くカカシに引き摺られるように風呂場に連れて行かれてしまった。

「風呂から上がったらすぐ抱きます」
「はぁ? そんな、待ってくださいっ 飯の仕度」
「後で俺がします」

 洗って匂いを落としてマーキングし直しってか。 全く、言葉少ななくせに、言い出したら聞かない。 イルカは諦めてカカシのするままに身を任せた。 しつこくゴシゴシ洗われて、風呂場に居るうちにアナルを解され、脱力した体を担がれ濡れたままを布団に投げられる。 あーあ、せっかく今日干したのに、とやはり濡れたままで足を割ってくるカカシの体を受け入れ、いきり立ったモノも受け入れた。 正直、ここまで執着してくれて嬉しいと思う。 最初は吃驚したが、今ではこの表情の薄い上忍をかわいいと感じるし、抱かれて体は悦んでいるし、多分相性もいいのだろう。 ただ、これがいつまで続くのだろうと考えると、どこか一線を引く自分が居た。

「アンタはぼんやりしすぎだよ」
「あ、だ…て、そ、な、あ、あ」
「じゃなきゃ今俺とこうしてないでしょ」
「ん、ん、あーっ」
「聞こえてないか」

 聞こえている。 でも答えられないだけだ。 変な自覚があるようだが、そんなアナタはどうなのか、と問いたいのだ。 アナタはこんな所で引っ掛かっていていいんですか? 俺で満足してていいんですか? いつまで「ただいま」と帰ってきてくれるんですか? 俺は、俺は…。

「ま、犬を飼ったと思って諦めてよ」

 押し掛けだけどね、と何時に無く饒舌なカカシが腰を揺すりながら言った。 俺は飼い犬に抱かれているのか、とその時思ったことは内緒にしておこう。 競り上がってくる快感の波に攫われるように喘ぎ、カカシの首に縋った。 浮いた頭を掬うようにして片手で抱き、背にも腕を回すと、息も絶えよとばかりにきつく抱き締めてくるカカシ。 苦しかったが、隙間無くくっつくととても気持ちがいい。

「あ、カ…シさ、あ、んー」
「ん」
「カカシさんっ」
「ん」

 ゆらゆらと身体ごと二人で揺れながら、何回も名前を呼んだ。 愛おしい、愛おしいと溢れてくるのだ。 仕方が無い。 こんな時ばかりは線を越えてしまっても、仕方が無い。 それに、名前を呼ぶと答えてくれるのだもの。 これ以上は何も望むまい。 体の奥に熱い飛沫を感じ、律動を収めたカカシが荒く息を吐いて見つめてきた。 自分の息も荒く、視界も滲む。 顔を熱い掌で包み込まれる感触。 降ってくる接吻け。 ああ、これ以上は何も望むまいと思った時、思わず新たな涙を零してしまった。 カカシは気付いただろうか。 ぺろぺろと眦を舐めてくるカカシにクスリと笑い、その銀の頭を掻き抱く。 もう少しだけ、線のこちら側に居よう、そう思った。




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