酒宴


11


 目覚めると、カーテンの隙間から洩れさす薄明かりを銀糸がきらきらと反射していた。 カカシの寝顔を初めて見た。 吃驚した。 なんて整った顔立ちをしているんだろう。 起きている時はエロおやじにしか見えない時もあるし、怒った顔なんかまだ恐いし、片目を閉じた様はアシンメトリィで左頬の傷ばかりが気になる。 もちろんそれでも充分美形だとは判るがやはり、こうして間近に均整のとれた顔を見ると感動ものだった。

---触りたい

 起きないだろうか。 そっとその銀の糸に触れてみる。 細いなー、それに柔らかい。 うわー、睫毛まで銀色だよ! 肌もなんて白いんだろう。 透けるようだ。

「どっか行ったりしませんよ」

 そっと毛布を引っ張り上げて露わな肩に被せた。 明け方はもう随分涼しい。

「仕方ないから俺が面倒みてあげます」

 俺にできるだけ、ですけどねと心内で付け足してするりと髪を撫でると、「うん」と一回唸るように小さく寝言を言って胸にすり寄ってきたので尚感動し、思わずその銀の頭を抱いた。

---あーかわいい

 くふふふと声を殺して笑い、イルカももう一度目を閉じて、カカシと一緒に今少し、この幸せなまどろみを満喫することにした。 この夢のような休暇はあと一日で終わる。 明日からはまた、普通に普通な俺の現実に戻る。 俺自身は結構変わったけど、他のことは何にも変わりゃしない。 そうだ、何にも変わらないんだ。 俺はきっと大丈夫だ。


               ***


 仕事がどうしても片付かなくて、やっと遅れてその宴の席に到着すると、もうそこは宴酣。 席は乱れ、上忍・中忍入り乱れ、其処此処で管を巻くもの、無礼講の席でしか絡めない上司に絡む者、潰れて転がる者達が累々として、場内騒然といった感じになっていた。 だが、入口でくるくるっと見回すと、目的の人物はすぐに見つかった。 なんせ目立つから。 思わずにこっと目元が綻ぶ。 だって、あの人が居るってことは…

---今日は飲めるぞーっ

 よっしゃーっと両手でガッツポーズ。 さっさっと件の人物、カカシからは少し離れた場所に屯していた中忍仲間の所へ行って、ドカリと座りまずビールを一杯。

「うーーんまいっ

 なんだよオマエ今頃来たのか、ほら飲めさぁ飲めと駆け付け三杯とばかりに次から次へと注がれるままビール、酒、チュウハイとちゃんぽんし、誰の残りともつかない膳のツマミをぱくついた。 凄い腹が減っていた。 今日は宴会だと思えばそこはしがない中忍、残業食も控えるってもんだ。 そんな姿を見た仲間達は、今度は次から次へと食べ物をイルカの前に積み上げる。 なんだよオマエ腹が減ってるのか、さぁ食えそれ食えこれもやろうあれもやろうと自分達の残り物をイルカに与えて食べる様を嬉しそうに見る見る。 イルカが飲み会に参加するのは、とても久し振りだった。 あれから随分経ったが、カカシは未だにイルカが一人で酒席に出ることを許してはくれない。

               ・・・

---かわいい

 入ってきてすぐ目線を寄こす”恋人”に合図を送り返し、嬉しそうに席に着くなり飲みだす様に、仕方がない、今日は飲ませてあげようかと溜息と共に自分の猪口を傾けるは銀髪の上忍。

「不幸にしたら俺が許さねぇぞ」

 横で同じく手酌で飲んでいる髭熊がぼそりと宣う。

「なんでアンタが許さないのよ」
「アイツは俺の弟分だ」
「兄貴に似なくてよかったこと」
「それにしても、あんまり前と変わらねぇな、アイツ」
「…」

 ふんだ、変わったんだよアレでも、ちゃんと抱かれて喘ぐようになったんだもんねーと口の中でブツクサ言いつつ、カカシは隣の同僚と同じく酒をゴイゴイと飲んでは注ぎ飲んでは注ぎ、だがもちろん全身の90%を耳にしてイルカに注意を払っていた。 あの人はどうも危なっかしい。 放っておけない。 それなのに何だか自分より余裕な気がする。 一人、完結してる…みたいな。 そうだ、この自称”イルカの兄貴分”にその辺のところを訊いてみようと酒を舐め舐め向き直る。

「あの人さー、こう、なんてーの? 腹が決まると何でもかんでも飲み込んで消化しちゃう、みたいな?」
「ああ見えてウワバミだからな、偶には好きなだけ飲ませてやれよ」
「ちーがーうーよー。 あのねー、あの人、俺のこと面倒みてあげますってゆーんだよ」
「見てもらってるんだろ、実際」
「エッチ」
「阿呆」
「俺のこと好きですってゆーしさー」
「惚気なら聞かねぇぞ」
「でも…俺が言う”好きです”って言葉には耳を塞いでる…みたいな?」
「…」
「普通、逆じゃない?」
「…」
「ねぇ」

 イルカは着席するなりその場にあるだけの種類の酒を注がれるままに飲みだした。 本当にウワバミだな、イルカ先生。 すぐ寝てしまう以外は酒席に出しても何ら問題無いのかもしれない。 でも許さないけどね、ふふん、と横目で睨みつつまた一杯。

「アイツはな、自分を置いて行きそうな人間を嗅ぎ分ける臭覚が発達してるんだ。 予防線を張るくらいいいじゃねぇか。」
「それなら置いてかないでって縋ればいいじゃん」
「要するに、オマエが縋って欲しいんだな」
「む」
「縋ってくださいって頼みゃあいいじゃん」
「むー」

 口真似すんなとまた一杯。

「でもそしたらさー、あの人、ずっと受け身のまんまでさー、なんかそれって幸せかなー?」
「不幸にしたら俺が天誅を下す」
「だーかーらー、あの人さえ素直に俺の愛を受け入れてくれたらさー、お互いラブラブになって幸せじゃん?」
「受け入れてんだろ?」
「あーもーっ 違うってー」

 なんて言ったら解ってくれんのかな、この熊は。 俺の崇高な悩みなんか所詮熊には解ってもらえないのか。 でもそんな自分も上手く言葉にはできないもどかしさ。

「いいじゃねぇか、アイツの幸せはアイツが決めるんだ。 オマエの幸せの枠に嵌めるなよ」
「えー、だってどうせなら二人で幸せになりたいじゃん」
「要するに! オマエは自分が不幸だって言いたいんか?」
「ち、ちがわいっ」

 俺は幸せだもん、でも、イルカ先生が不幸なら俺も不幸だから…

「もーっ なんてったらいいの? ねー」
「あーうるさいっ イルカ本人に聞け」
「うー」

 本人に聞けたらどんなに楽か。 とその本人に視線を送ると、イルカの前には今度はわんさと食べ物が積み上げられつつあった。 みんなイルカを構いたがる。 俺のなのに。

「まーとにかく、あんまり酷な二択を迫るような真似だけはしないことだな。 追い詰め過ぎると逃げられるぞ。」
「…それが恐いのよ」

 恐い、恐いよ、いつまで経っても恐い。 閉じ込めて鍵をかけておけば安心なんだろうか。 縛って繋いでおけば安心なんだろうか。 手足を切って歩けなくすれば?

「おい」
「…」
「おいっ カカシ」
「え? なに?」
「イルカ、放っといていいのか」
「え……ええっ?!」

 つい、ぼんやりしていた。 いけないいけない、と見れば、目に入ってきたのは回りの中忍仲間に次から次へと何か口に突っ込まれて目を白黒させながらそれをムグムグと上下させているイルカの姿だった。 顎がガクンと下に落ちる。

---なななななーにやってんのっ あの人!

 ってゆーか何させられてんのっ?!

「もーっ イルカ先生ったらーっ!(怒)」

 頭を掻き毟り雄叫ぶと、カカシはすっくと…いや、ズガっとテーブルの端に足をぶつけながら立ち上がり、ぐぉーっと暫しそこに蹲るも瞬間後にはその足を引きずりつつイルカの元へ向かっていったのであった。

「…がんばれ、カカシ(涙)」


 そう、もう声援を送るしかない。

               ・・・

「ほら海老フライ、オマエのためにとっといてやったぞ」
「おう、サンキュ(ぱくり)」
「ほれ、俺のもやる」
「うん、あんがと(ぱくり)」
「俺のも俺のも」
「…?」

 いつの間にか食べ物攻勢に移行していた同僚達。 まぁ大好物だからいいけど、とウグウグ海老フライを咥えたままで次々に自分の前に積み上がる鯱鉾ばった姿のフライを眺め、さすがのイルカも首を傾げた。

「む、むぉういいよ、むぐむぐ、海老フライばっか。 いっくら海老好きな俺でも、はぐっ うぐうぐ、こんなに海老フライばっかじゃ、はむっ」
「はーい、ストップ」

 一匹飲み下すそばからまた一匹と口に海老フライを突っ込まれて閉口するイルカの首根っこをむんずと掴み上げたのはもちろん件の上忍。 そこに居た中忍くん達の誰一人、カカシの接近に気づく者が居なかったために場は蜂の巣を突いた騒ぎになった。 だがカカシ本人は、まだ口から突き出た海老の尻尾を上下に揺らしてむぐむぐしているイルカからその最後の一匹を奪い取り、剰えその油ぎった唇をぺろりと舐めるではないか。

「わわわっ」
「カカカカカカシ上忍っ」
「おー俺達べつにあのその(汗)」

 狼狽え慌てる中忍くん達を睥睨し、今度は油の移った自分の唇を舐めてからカカシが言うことに…

「なーに想像してんのか知らないけどぉ、俺はヤってもこの人には絶対にやらせてなーいよ」
「……おおーっ!!」

 一瞬静まり一瞬後にどーっと湧く場内を放置してカカシはイルカを小脇に抱えて出て行った。 腸は煮えくり返るも顔では笑うのが上忍。 おにょれっ中忍どもまだ俺のイルカで遊ぶか今に見ておれ、とドスドス足音も剣呑に響かせふと腕に抱えたままのモノを見ると、そこにはカカシの言った意味も仲間達の思惑にもまだ気付かずに首を傾げっぱなしのイルカが居た。 両の手には猪口と徳利をしっかり離さず持っている。 が、その怪訝な顔がハタとある事に気づく。 「しまった」とカカシは慌てて取り成そうとしたのだが遅かった。

「カカシさん、酒!」
「だめ」
「もーっ せっかく今日は飲めるって」
「だーめ」
「やだっ 会費分飲むんだーっ」
「だめったらだめーっ」

 お…大人気ない人だ、と自分は棚上げして憤る中忍イルカ。 カカシが居る時しか思いきり飲めないってのに。 だってカカシが任務拒否するから。 だから飲み会参加率ガクンと減ってしまって、すんごい辛かったのに、だのにーっ と握り拳を震わせる。

「俺んちで飲めばいいじゃない」
「嫌ですーっ カカシさんちには今日は行きませんーっ」
「なんで」
「明日、俺、朝から演習!」
「じゃあ一回にしといてあげる」
「絶対うそーーーっ!」

 「カカシんち=ヤル」と認識するに至った過程は省かせていただきます悪しからず。 しかし、一回だけなら平気になった中忍イルカ。 事後だってすぐ立って歩ける。 カカシは姫抱きをして風呂まで連れて行くことを譲らないが、あんまり甘やかさないで欲しいーなーとさえ思っている。 先日も、初めて会ったような上忍方数人にしつこく飲みに誘われて困っていた中忍を、どこからともなく現われてニコニコと慇懃無礼にお断りしたのはこの上忍であったことよ。 暇なのか?上忍。 ほんと過保護だ。 逃げるくらい自分でできるよなぁ?いくら中忍でも。

「今日は帰りますーっ」
「じゃあいいよ、今日はアンタんちで」
「それはだめーっ!」

 すごく感じるようになってしまって、声が抑えられないんだもん。 …ヨガリ声が(汗)…。 耳を塞ぎたくなるような甘ったるい喘ぎ声、ねだるような名を呼ぶ声、達する声…などなど。 ひーっ!(ひとり赤面)

「なーに赤くなってんの」
「ひぅ」

 ひょいっと小脇に抱えたままだったイルカを横抱きに抱き変えて唇を寄せてくる馬鹿力上忍の公衆道徳を弁えない所業にも逆らえない無力な中忍の悲しさよ。 いや…いや、これは…

「ん、もー、しょうがないですね、んん、カカシさんちに行ってあげますから」
「ん」
「こんなとこで…キスしてたら、はふん、みんなが見ますってば」
「減るね」
「減ります」

 な…ななな何が減るんだ!言ってみろっ! うがーっ(怒)!!

「まぁまぁ」
「落ち着いて」
「そうそ、血圧上がるよ?」
「血管切れますよ」
「長いこと突っ込みごくろうさま」
「いちいち大変でしたね」
「じゃあ俺達そろそろ行くね」
「もう見せませんからね」


 …








 えーと…
 カカイル万歳!








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