月の輝く夜に

- Clair de Lune -


4


 ICUに行くと、イルカは今晩から個室に移されたと言われた。 さすがに無菌室に入ることは憚られたが、個室ならちょっとくらい忍び込んでもよかろうと思っていると、まだ面会謝絶ですからね、と念を押される。
「まだ酸素吸入器や他の機器が付いています。 自力呼吸はできてるんですが、お見舞いは意識が戻ってからにしてくださいね。」
 なかなかどうして、見抜かれている。 カカシが去るまで見送ってくれた看護婦に会釈をし、出直して消灯してから来ようと決める。 その方が自分の気持ちに整理が付けられて調度いいかもしれない。
 夜の闇に身を溶かす。
 既に嵐は去り、よく晴れた夜空に有るのは、有り難い事に何時もどおりの月だった。

 カカシは、自分がイルカに守られていた事実が何よりショックなのだと、今の心理状態を分析する。 守っていると思っていた存在に実は守られていた、と言う事実。 それともう一つ、自分は暢気にも終わってからまた会えると信じていたが、イルカは違っていたのだ、と今更ながら気付いた事だ。 あの夜、イルカが何時もと違っていた理由。 それまでずっと一歩半ほどの距離をカカシとの間に保っていたイルカ。 決して自ら近づこうとしなかったばかりか、カカシが近づくのも細心の注意を払って避けていた。 それがあの夜、イルカは自分から歩み寄った。 自分から気持ちを告げ、まぁその後は逃げてしまったのだが、あの優しい鉄壁を崩していたのだ。 どこか様子がおかしかったのは、異変に怯えていたからではなく、気持ちを明かすべきか否かずっと悩んでいたのだろうと考えると妙に腑に落ちた。 そして悩んだ末に明かしたということは、その夜、死を覚悟したということではないか。 自分にもう会えないかもしれない、という予感が、イルカの背を押したのではないか。 自分の生に執着が無いと同僚に言わしめるイルカ。 もしあのまま行かせていたら、と考えると背筋が凍る。 もしあの時イルカを捕まえなければ、もしあの時イルカを詰らなければ、そもそもあの晩イルカの元を訪れようと思い立たなければ…
---いや
 カカシは頭を振った。
 それらを全部していたとしても、あの人を縛ることはできなかったのではないか?
 あの時、「また後で会いましょう」と一言約束をした。
 きっとあの一言がなければ、イルカは戻らなかったのかもしれない。
 単独任務なら無傷で還るイルカ。 あの逃げ足だ、それも可能だろう。 だが、仲間が居ると簡単に命を投げ出してしまうイルカ。 もし里全体のためならば、あの人はきっと命も体も全てを差し出して、さっさと自分を置いて逝ってしまうのだ。 今回は偶然した、たった一言の約束がイルカを繋ぎ止めただけで、それがなかったら…
---なんだかトラウマになりそうだなぁ
 毎回、何か約束させなきゃならないのかな、とカカシは一つ溜息を落とし、暗い病室に滑り込んだ。

「イルカ先生」
 そっと囁きベッド脇に近づく。
 心電図と血圧を計る装置が一定のリズムで波形を描き出している。
 口元は酸素吸入器で覆われ、腕には点滴用の針が固定され、随分と落ち窪んだ目は静かに閉じられていた。
「鬼泣かせで、結界壊しで、生還率100%中忍のイルカ先生」
 約束、守ってくれてありがとう。
 カカシはやっとイルカのその指先に恭しく接吻けることができた。
 そしてその手を握ったままベッド脇に跪き、額をシーツに擦り付けて祈る。

 どうかこれから先も、この人を俺の元へ還してください。

 その時、手の中の指がカカシの髪を緩く撫で付け、くぐもった掠れ声が微かに頭上に降ってきた。
「誰ですか…、100%…鬼泣かせ…壊れ中忍て…」
 カカシは我知らずどっと目に涙を溢れさせ、その手をぎゅっと握って、あなたですよ、と応えた。






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