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- 煙 -
廊下でイルカと擦れ違った。 ニッコリと微笑んでイルカが頭を下げた。 同僚二人も倣ったようにお辞儀をした。 それに少しだけ頷き返すようにして行き過ぎようとして、気がつくとイルカの後ろ手を掴んでいた。 彼と、公私共に”恋人”の仲になって暫らく経った晩夏の午後だった。
「カカシさん?」
捕まえると、抱き寄せたくなった。 抱き寄せると抱き締めたくなり、抱き締めると接吻けたくなった。 日中の、放課後とは言えまだ子供さえ通りかねないアカデミーの廊下。 回りで息を飲む気配が伝わってくる。 最初、驚きからか呆然としていたイルカも思い出したようにジタバタともがき出した。
「カカ、んむっ」
腕の中で抗う彼をぎゅうと抱き締めて拘束すると、接吻けを深く深くしたくなったので、項を押さえて壁際に追い詰め、唇を、舌を、貪った。 イルカの喉から言葉にしようとして果たせなかった声が、喘ぎとなって漏れてきた。
「んっ んっ カ、あっ ん」
抱き込まれた右腕をなんとか拘束から引き抜いて大きく横に振り上げたイルカの、その拳がヒュッと鳴り左頬に届く寸前に、無意識に左手で彼の手首を受け止めて止める。 一瞬口が離れて、彼は苦しげに空気を吸った。
「っ はっ 離してっ く、くださ」
右手が悔しそうにブルブルと震える。
「ここ、どこだと思って、んんっ」
口が離れた瞬間にイルカの舌がチラリと覗き、それを追いかけてまた口を併せた。 舌は狭い口の中で思い切り逃げた。 知らず、項を掴む指に力が入り、体ごとで彼の体を壁に押さえつけて上向かせた口をひたすら塞いだ。 追い詰めた舌が降参したかのように大人しくなり、絡め捕られるままに従った。 ソレを思う存分吸った。
「ん、は」
突っ張っていた右腕もいつの間にか緩み、壁に顔の横に磔けられて時折ピクリと指が震えている。 だからゆっくりその指一本一本に指を絡め、愛撫するように掌を合わせてぎゅっと握ると、彼はまるで中を突かれた時のようにヒクンと戦慄いた。
「ふ、うん」
抗わなくなった彼の体の中心が芯を持ち始めてきたのが判った。 自分のモノはとっくに硬く彼のソコを小突いている。 顔も振れなくなって唯接吻けされるがままのイルカに、角度を変え、深さを変えて何度も何度も接吻けて、その度に舌を絡めて嘗め回すと、くちゅくちゅと唾液が溢れて彼の顎を伝った。
「んぁっ あ、ん」
目もトロンと焦点が合わなくなったイルカがベッドの中のように喘ぐ。 わきわきと握っては緩めまた握って擦り合わせる彼の右手と自分の左手。 そこでまぐわっているかの如くのいやらしさ。 だが、完全に勃起しているのは紛う事無き彼の欲望の証で、そこより奥まった狭間には自分の欲望を収める場所がある。 ああ…、そこを指で辿ったなら、イルカは背を仰け反らせて喘ぐに違いない。
「イルカ」
「だ…め」
項から思わず手を離して背筋を伝いながら腰の付け根まで下ろした時、自由になった顔を振って唇を解放させたイルカが小さく拒絶した。
「も、ダメですっ カカシさんっ」
その眦からポロリと雫が零れて頬を転がった。 声に険があるなぁ。 怒ってるなぁ。 すっかり欲情して上気した顔してるくせに、目も潤んで声も震えているくせに、この人の理性は堅いのだ。
「どっか行く?」
「行きませんっ!」
やっとこさで睨んでくるけど、瞳に力が入ってないから誘ってるだけみたいに見えるんだけどなぁ。
「だって俺、これから任務なんだもん」
「もんっじゃありませんっ!」
わー、完全に怒らせた。 困ったなぁ。 このまま放って任務行っちゃって平気かなぁ。
「だってさぁ」
「だってじゃっ あ」
取り敢えず両肩に縋って突っ張らかしているイルカの手首を掴んで指に接吻けただけで、ほら、そんな感じた声出しちゃって。
「やめっ んっ」
一回緩んだ体は中々元には戻らないんだよなぁ、イルカ先生の場合は。 難無くまた両腕ごと抱き込むとちゅっと接吻け。
「「「「「「ご、ご、ご、ご、ご、ごっくんっんっんっんっんっんっ」」」」」」
だがその時、後ろから耳に入ってきたのは多くの喉を鳴らす音。 むっとして振り向くと、ギャラリィが幾重にも人垣になって見物を決め込んでいた。 只見しやがって。 今唾飲んだヤツ一歩前に出ろっ
「この人に触ったら許さないからね、痛てっ」
思い切り睨みつけて睥睨して威嚇しているその後ろ頭にゴインと何か硬い物が当たり、地の底から響いてくるような声がした。
「アナタがみーんな悪いんですっ!!」
イルカの方に向き直ると、腕組みまでして仁王立ちした彼が恐い顔で睨んでいた。 でもやっぱり目元が赤い。 この人、自分が今どんな顔してるか、全然判ってない。
「サッサと任務に、な、ゲホッ ゲホッ」
だから彼に術を掛けた。 ぼんっと湧き上がった白い煙がイルカの全身を包み、やがて薄れて消えていく。 これで彼に触ったヤツはぜーんぶ判る。
「な、何したんですかッ もー、ごほっ ごほっ」
「今俺が何したか、判ってるだろーな! 判らなかったヤツは判ってる上忍にでも聞いておけ。 ヘタなことしたら俺が帰って来た時にどうなるか、よっく考えろ! い、痛てっ」
「なに偉そうにしてるんですかっ!」
「えーーん、だってー」
「だまらっしゃいっ!」
ああ、アナタを置いて行くのは忍びない。 どうかどうか無事で居てね、イルカ先生。
・・・
そんなこんなで数日後、幾らか早めに任務を終えて帰還して、報告書提出時にその受付け所にイルカが居るのではという自分の期待は敢え無く裏切られ、アカデミー中を彷徨って見つけた彼は、書庫の書見机の一つに堆く資料を積んで一心に調べ物をしていた。 それを、少し離れた窓辺に寄りかかり眺める。 気配を消している自分に気付くことなく、書類を捲っては書き写し、また書類に視線を落としては読み耽るイルカ。 その仕草一つ一つに見入った。
彼は奇麗だ。 ほんの少し右に傾けた顔の顎から首筋、肩にかけてのなだらかなラインが、彼の優しげなイメージを形作っている。 子供達が懐き、上忍達も心を許す彼の柔軟な雰囲気。 何者をも受け入れ、どんな事でも許す、おおらかで奥深い許容量の大きさを相手に感じさせる。 だけれども彼は、支給の忍服の上からでは判り辛いが意外と華奢な体格やすべらかで肌理細かな肌をその下に隠しているように、意外と臆病で慎重、人見知りで中々心を許さない、人との間に常に一線を引いているような、そんな性格なのだ。 彼を落とすのに、それは苦労した。
(再・現・象)
そっと印を切り口の中で咒を唱え、先日施した術の成果を見ることにした。 イルカの体から白い煙がすーと湧き上がり、段々と人型を形成し出す。 これは過ぎ去った時間に起きた現象を煙で形作って再現する術で、今回はイルカに触れた人物の姿かたちとその時の状況を記録させていた。 何も気付かず机に向かっているイルカの回りにほら、次々と煙の人々が現れては彼に触れ、消えてゆく。 当然の事ながら、最初に現れたのは子供だった。 大勢の子供達がイルカに纏わりついては去って行く。 次から次へと。
---これは寂しい
彼自身が天職と言って憚らないアカデミー教師の仕事だが、時々ふと寂しげな表情を子供達に向ける意味が何となく解って、すぐに側へ行って抱き締めてあげたくなった。 だが、徐々に大人の影が現れてきたのでもう少し我慢する。 これからが本番。
---こいつらは…同僚か
彼の肩に手を置き、背中を叩き、顔を寄せ合って何かを相談したり笑い合ったり、忙しく入れ替わる男達。 女性も時にはそこに混じるが、ほんと、この人って女の人には構えちゃうのね。 思わずクスリと笑いが込み上げてきて、掌で抑えてそれを飲み込んだ。 いいんだ、それで。 アナタは俺のものだから。
---あーれあれ?
次に現れ出したのは、手に手に紙片を携えて一列に並ぶ上忍・中忍の男達。 みごとに男一色。
---相変わらずの人気者だねぇ
大体が二言三言言葉を交わして踵を返して去って行くのだけれど、中には態々顔を寄せて何か囁く者、肩に手を置き目配せする者、はっきりとは判らないが小箱のような物を手渡す者…明らかにイルカにアプローチを試みている者達が少なくないのだ。 俺が彼との仲を公にして尚、そんな無駄に命知らずなバカ共がっ!
---居るんだねぇ…
ふぅーと思わず出た溜息に、イルカがやっとこちらに気付いた。 ふっと顔を上げ、目が合った途端のその顔!
「カカシさんっ」
ぱっと立ち上がったイルカの回りで、白い煙が渦となった。 それには気付かず掻き分けるようして、彼は小走り気味にこちらに歩いてくる。 その後ろで消えかかった煙の中に二つだけ、いつまでも形を保っている塊が有った。 あれは…
---編み笠、と…
編み笠を被った背の低い、煙管の陰が飛び出して見える影。 それと、逆にとても大柄で厳つい、顎の辺りに髭のある影。 その二つの影だけが最後まで残り、そしてユラリと同時に消えた。
「カカシさん」
「イルカ先生」
そんな嬉しそうな顔されると、彼らの手前、なんだか少し申し訳ない気がしちゃうなぁ。 でも、俺はこの人を大事にしてますよ。 そんなに心配ですか?
「いつから居らしたんですか?」
「うん、さっき」
「声かけてくださればいいのに。 俺、全然気付きませんでした。」
側まで来て彼はそのまま胸に飛び込んできた。 おおっ これは珍しい。 彼にしては最高の大胆さ。 視界内に人影は無かったが、書庫には数人の気配が在った。
「いいの? 他にも人居るでしょ」
「いいんです」
剰えぎゅうーと首元に腕を回され抱き締められれば、彼を愛して止まない男として抱き締め返さずにおれようか。 抱き締めれば余すところなく撫で回したくなり、接吻けたくなり、息も絶えよとその唇を貪りたくなるのが男というモノ。 この前と一緒になっちゃうのだけれど、また殴られるのかしらん。
「待って、ちょっと待ってください」
考える前に飛ぶ生き物、それが愛する人を前にした男だよ、と彼を抱き竦めようとした瞬間に、ああ、やっぱりね、と体を押されて天井を仰がされた。
「俺、か、片付けてきますからっ 直ぐです、すぐ!」
でも、必死な様子でこちらを見上げて、手でちょっとだけ待ってと頻りに合図して、書見机に戻ろうとするイルカにニンマリ鼻の下が伸びた。 顔が赤いよ、イルカ先生。 うふふふ。 アナタも男だよね。
「あ、そうだ」
求め合うってすばらしい!と感動している所へ行きかけた彼が慌てて戻ってきて、そしてまた肩を引き寄せるようにして体を寄せると、ちゅっと一瞬だけ唇を触れさせて離れた。
「おかえりなさい」
にこっと微笑むその顔よ!
「うん、ただいま」
えへへ〜〜、俺のもんだぁ、この人は〜
「あ…の、カカシさん? 俺、片付けて… んっ」
---あ、あれ? 俺、キスしちゃってる?
気がつけば、離れようとしていた彼の後ろ手を掴んで引き戻し、抱き締めて口を塞いでいた。
「カカ…んっ ちょ、待ってって、ま、うん、んっ」
抗う体を抱き竦め、身動ぎ震える背中を撫で回す。 彼だってこの前より抵抗が緩い。 あの時、中途半端で放られたのが辛かったに違いない。 この数日間、夜毎に俺を恨みながら独り慰めていたかもしれない。 でも、ほら俺の手が欲しかったでしょう? と、尻の肉を掴んで揉めば、彼はしがみついて「くふん」と吐息を漏らした。 じゃあもう前に手を回して…
「ってっ」
煩悩大暴走の後ろ頭を何か硬い物がポカリと叩く。 イルカの手…は力なく俺の胸に縋ってる。 うん? 誰?と上を見上げると、編み笠姿の老人の煙の塊が煙管を振り上げてポカポカとカカシの頭を叩きつけていた。
「い、痛い、痛たたたっ」
---わかりましたっ わかりましたったらっ
ああ、アナタは守られているんですね、イルカ先生。 もう立っているのも覚束ないくらいの彼をすぐにでもそこら辺に押し倒したい衝動をやっとこさ堪えて、「一緒に片付けますね」と言うと、彼は不思議そうに小首を傾げた。 「はい」とコックリ頷く顎を指で掬ってちゅっと接吻ける。 その位は許してもらいたい。 ほらほら、ちゃんと一緒に机の所まで歩いてきたし、ちゃんと一緒に資料を戻すし、その合間々々にちょっと唇を奪ったって罪にはならないでしょうよ。 ねぇ三代目。
「今夜は寝かせませんからね」
最後の巻物を棚に戻そうと手を伸ばすイルカの耳に後ろからそっと囁くのだって、そりゃあ恋人同士のイチャツキの内ですって。
「は…はい」
首筋まで真っ赤に染めて俯くイルカの、ああ、その堪らなく艶やかな顔よ! こんな顔、アナタは見たことないでしょう? わっはっはっ 俺の勝ちだ! この人は俺のもの。 内心で勝ち誇っていたところに、だがその声は聞こえてきた。
『大事にせんと承知しないぞよ』
--- ……け、煙のくせに、喋るなよ
この術はもう二度と使わないどこうっと、と心に固く誓ったカカシであった。